第14話 『林檎物語』


 つらい闘いだった。
 城に帰還したメンバーの中で、疲労の激しいシーナとヒックスの二人が入院した。シーナはホウアン医院のベッドに体を埋め、清潔の証であるシーツの消毒臭に安堵して眠った。ここは泥の上でも草の中でもない。生きて帰れたことに感謝していた。
「ヒックス、どこも痛くなあい? ボクが林檎を剥いてあげるね」
「だ、大丈夫だよ。自分で剥けるから」
 隣のベッドでは、見舞いに来たテンガアールが甘ったれた声でヒックスに話しかけていた。シーナは寒くもないのに毛布を被った。
「キミは入院患者なんだから、無理しないの。ほら、もう剥けた。お口開けて。あーん」
「ひ、独りで食べれるよ」
「『あーん』、ってば!」
「・・・あーん」
 ちぇっ。いいよなあ。シーナは毛布の綿埃にむせそうになりながら、『オレも林檎を剥いてくれるヒトが欲しいなあ』と胸が切なくなるのを感じた。決まった彼女ができないのは自分が遊び人のせいなのだが、そういうことには見て見ないフリをしておく。
「シーナ。具合はどうだ?」
 ドアの開く音と同時に、ハスキーな女性の声が病室に響いた。バレリアだ。身も心も疲れ果てた今この時、いっちばーん相手をしたくない奴だった。シーナはさらに深く毛布にもぐり込んだ。
「寝てるのか? お父上から見舞いをあずかって来た。心配していたぞ」
 テーブルに乱暴に何かが置かれる音がした。
 シーナの父はトラン共和国大統領だ。バレリアは父の下で働く軍人であり、隣国の戦争の助太刀に来たのも大統領命令だった。シーナは修行のために父に言われて戦争に参加したが、もちろん気が進まない。しかし真面目にやらないと、バレリアが父に報告する。今回、息子が闘いにへばって入院したのも、父には不名誉なことに違いなかった。
 シーナは、こそっと毛布の隙間から外を覗いた。テーブルには、メロンやパイナップルの詰め込まれた豪華な籠が置かれてい
た。林檎も入っている。
「なんだ、起きてたのか」
 毛布の間から目が合った。シーナは仕方なく起き上がった。
「オヤジも大げさな見舞いを寄越したもんだ。本当に心配なら、物を贈らずに自分が来ればいいのにさ。言葉で『心配してる』と言うだけなら、オウムにだって言える。だったら初めから何も言わなきゃいい」
 バレリアだって、オヤジの命令で見舞っただけじゃないか。隣のテンガアールに比べたら、全然誠意なんて無いだろう。 
 妙だな。自分はこんな風に考えるタイプじゃなかったはずなのに。死にかけたせいで、何かに甘えたくなっているのだろうか。
「そろそろご両親が恋しくなったのか」
 バレリアはパイプ椅子に座って足を組んだ。すらりと綺麗な足があらわになったが、シーナはあわてて目をそらした。じろじろ見たら殴られそうだ。いや、あわてたのは、バレリアの言葉が核心をついていたからかもしれない。
「そんなにガキじゃないよ。いくつだと思ってるんだ」
「私より十歳年下。ビクトールより十三歳下。タイ・ホーの半分の歳」
「ちぇっ。そうだけどさあ」
 シーナは口を尖らした後、ふと思いついたように「ねえ、林檎剥いてよ」とねだってみた。バレリアは女らしいことが苦手だ。
ちょっとからかってやろう。
「林檎、だと?」
「そう。林檎。入院患者の為に林檎を剥くのは基本でしょう」
「基本・・・。そうか。基本か」
バレリアの視点が、羽虫でも追うように動きまわった。明らかにうろたえている。
「まさか、できないの?」
 シーナが小馬鹿にした口調で言うと、バレリアはまなじりを上げた。
「馬鹿にするなっ! 皮をはいで中身を取り出せばいいだけだろう!」
 しかし実はバレリアは途方にくれていた。鍋釜のたぐいは持ったことがない。包丁とまな板も触れたことさえなかった。林檎の皮剥き・・・。どうすればいいのだ? だいたい何を使って剥くのだ?
 ちらりと横のベッドを盗み見ると、テンガアールがヒックスの為に二つ目の林檎を剥いているところだった。レベル十五「シャイン・ナイフ」を使って、赤い皮を器用にくるくるとらせんにはぎ取って行く。
『そうか。自分の武器を使って剥けばいいのか』
 大きな誤解であった。
 バレリアは腰から『覇王七星剣』を抜き取った。
「な・・・」シーナが『何するの?』という言葉を発する前に、剣を前に突き出して『ハヤブサの紋章』の構えを見せた。籠から一個林檎をテーブルに置くと、
「行くぞ、林檎。覚悟!」
「うわっ」
 目の前で長剣を振り回され、シーナはベッドの上で咄嗟に後ずさった。鼻の頭を切っ先がかすめた。当のバレリアは、林檎に焦点を合わせ寄り目になりながら、唇をきゅっと結んで剣を動かしている。敵と闘う時より、表情は真剣だった。
「剥けたぞ。さあ、食べろ」
 皿には、赤い外皮が牡丹の花びらのような形で捨てられていた。スプーンですくって食べた方がいいほど、皮には実が残っている。そして剥き上がったりんごが、バレリアの掌でちょこんと佇んでいた。
『姫りんご?』
 よくもまあ、こんなに小さく・・・。
「さあ食え」
「これってほとんど芯じゃないか」
「人に剥かせておいて文句を言うな。ほら、口を開けろ」
「じ、自分で食べれるよ」
「開けろと言っているだろう」
「・・・あーん」

 隣のヒックスとは何という違いだろう。
 自分が欲しいのはテンガアールのように可愛い『恋人』であり、決して『林檎を剥いてくれる人』ではない。ランプの精に『三つの願い』を言う時にはくれぐれも気をつけようと誓いつつ、つい吹きそうになった。果物の皮を剥くところまでは父の命令にははいっていなかっただろうに。『できない』とは絶対に言えないバレリアの、意地っ張りで負けず嫌いなところがシーナは好きだった。
「マイ・スイート・ハニー。君の剥いてくれた林檎は君の唇のように甘い。
 覚えていておくれ。君が、初めての林檎を僕に捧げてくれたことを」
 口の中で芯を噛み砕きながら、シーナは大げさな身振りでキザなセリフを並べ立てた。真面目な口調で『ありがとう』だなんて、照れくさくて言えるわけがない。特に相手がバレリアでは。
「元気がでてきたようだな。その調子だ。じゃあな、また来るよ」
 バレリアは笑いながら立ち上がって、部屋を出て行った。
『ちぇっ。くどき文句に<その調子だ>は無いだろう?』
 シーナは閉じたドアに向かって悪態をつきたい気分だった。『大統領の息子』と『父の部下』という関係は暫くは解消されそうにないし、十歳の年齢差は一生無くならない。
 シーナは、食べ終えた林檎の軸を皿に投げ捨てた。林檎は本当はちっとも甘くなくて、渋くて酸っぱいだけだった。

☆おわり☆  



「王子さまシリーズ」で散々バレリアを茶化したので、お詫びにシーナ君をいじめてみました。でも、結局バレリアのこともおちょくっている。


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