第18話 『シャボンの香り』 |
ジョギング姿を披露して以来、何故か人気沸騰のヤム・クー。(第13話参照) 確かに、うるさそうな前髪を上げると結構ハンサムだったし、漁師仕事で日焼けした体や適度についた筋肉は、お姉様方の好みだった。 「また、ランニングにトランクスの姿を見たいわね」 「あの着流しの着物、はぎ取りたいわあ」 アニタ、リィナ、レオナ、ロウエン、そしてジーナとラウラ。妖艶で色気むんむんのお姉様方は、『ヤム・クーの着物をはぎとる会』というのを結成した。噂を聞いた他の男性陣は『物騒な名前だ』と苦笑した。本人は知らないらしい。気の毒なことだ。 あの押しの強い女たちが、彼の着物を脱がしてベッドに押し倒すなど、赤子の手をひねるほど簡単なことに違いなかった。 さて、こちらはタイ・ホー。リィナに色仕掛けで『ヤム・クーの好みを聞き出す』という依頼を受け、もちろん引き受けた。ジーンからも色仕掛けで『兄貴離れをして恋人を作る勧め』をするよう言われた。今回一番いい思いをしたのはタイ・ホーかもしれない(笑)。 「なあ、ヤム。魚釣りばかりしてるんじゃねえよ。女でも釣る気はねえのかあ?」 港で釣り糸をたれるヤムは、唇だけで笑った。相変わらず表情は見えない。 「女で失敗するのは兄貴を見てますからね。それに、彼女を作るヒマなんてありませんよ。兄貴のお守りで精一杯だ」 「くそ、言ったな。おれだって、自分のことぐらい面倒見れるぞ。おれのせいで恋人もできないなんて言うなら、おまえのお袋に申し訳がたたん。好きな女とか、好みの女はいないのか?」 「好み、ですか? うーん。・・・この城の中で、強いて言うなら」 「言うなら?」 「ヨシノさん。・・・あと。ヒルダさんもいいな」 「人妻じゃねえか」 「だから別にいいって言ってるじゃないですか。女で失敗したくないっすよ」 「独身でいないのか。おまえの歳まわりで丁度いいような」 「そうだなあ。テレーズさんや、アンネリーさんですかねえ」 清楚で知的な女ばかりだった。それがヤムの好みなのか。だとすると、絶望的だろう。素人のお嬢さんが、おれ達のようなヤクザもんに惚れるわけがない。 「おれの手には負えんな」 手応えを竿に感じ、魚との駆け引きを楽しみながらヤムは微笑んだ。 「そうでしょう? だから、放っておいてください。おいらは女で落ち込むなんて真っ平ですから」 最初にヨシノの名前が出たのは、偶然ではない。堅気でない者に限って、ああいう女が好きなのは何故なのだろう。もちろんヤムは、相手にされないのはわかっていた。ヨシノの夫のフリードYは公務員だ。初めて会ってから5年の歳月をかけて愛を育み結婚したという。堅実で誠実で真面目な夫婦だった。 『ちぇっ、兄貴があんなことを持ち出すから』 結局思い出して女のことで落ち込むヤムであった。 「釣れますか?」 女性の声にびくっと振り返る。ヤムは思わず竿から手を離した。ぱしゃりと水しぶきが上がり、竿は水の中に吸い込まれていった。 「ヨ、ヨシノさん・・・」 彼女のことを考えていたから、白昼夢でも見ているのか? 背後にヨシノがにっこり笑って立っていた。ヤムはあわてて立ち上がった。 「わたくし、『ヤム・クーさんの着物をはぎとる会』というのに入会しましたの」 「なななな、なんですか、それ!」 「リィナさんやジーナさんが発足させた会ですのよ」 あの、オトコの精気を吸い取る女どもか。一番兄貴に近づけたくない奴らだ。・・・ちょっと待てよ。彼女たちがおいらに目をつけただとーっ? 冗談だろっ! 「そ、その会に、ヨシノさんも入会したのですか?」 「ええ。それで、直接お願いに来たんです」 ちょ、直接『お願い』? ヤムの心臓はバクバクと音をたてて鳴った。 「今すぐ、脱いでください。さあ早く」 今すぐ? だってここは、城の船着場だぞ? いや、そうじゃない、ヨシノさんは人妻で、フリードの女房で、手の届かないひとで。 「あ、あの・・・」 ヤムは、きっちり襟のつまったヨシノの合わせに目をやった。着物はともかく、袴なんて、どう脱がせればいいのか見当もつかない。いや、違うってば。彼女は堅気の女性で、おいらなんかと関わっちゃいけないひとで・・・。 ヨシノは静かに微笑んで待っている。細いフレームのメガネの奥に、漆黒の瞳がつややかに輝いていた。・・・堕ちてしまおうか。泣くのも悪くないかもしれない。このひとのために泣くのなら。ヤムは着流しの腰の帯に手をかけた。 「早く洗わないと、夕方までに乾きません」 「・・・え」 「着物、ずっと、洗ってませんよね。気になってたんです」 「・・・。」 ヨシノにあてがわれた毛布にくるまって、ヤムはずっと海を見ていた。時々サカナがぴしゃっと跳ねる。 たぶん、水平線が赤く染まる頃、ヨシノが石鹸の香りと日向の匂いに満ちた着物を持ってくるだろう。 ヤムは本当はサカナを釣るより、こうして水辺で自由に泳ぎまわるのを見ている方が好きだった。見ているだけでいい。 ヤムは自分にそう言い聞かせ、きつく膝を抱きしめた。 ☆おわり☆ |
最初はギャグでした(笑)。ヤムは「1」の頃から単にルックスが好みで、強くもないのによくパーティーに入れてました。「虎が
幸せになるために」の三題話で書いた「五月病にかかる職業」「九月の海はクラゲの海」に出てくる、ヤクザ崩れの殺し屋の
ルックスは、完全にヤムからもらっています。
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