第24話 月を見るひと


 「なんだ先客? シドか?」
 ランタンを下げて回廊を昇り切ったクライブは、夜の空気の中に人影を見つけ、足を止めた。
「いえ、おいらです。ヤム・クーっすよ」
 展望台の柵に手をかけ、海の方を見ていた影が振り向いて言った。
「鳥目のシドが、こんな時刻にいるのは妙だとは思ったが・・・」
「ははは、時々似てるって言われます」
「何か用か? オレがここに月を見に来ること、ヨシノに聞いたんだろう?」
「クライブさんに、取り立てて用事があったわけじゃないです。邪魔する気はありません、すぐに消えます。
 この場所であんたと同じように月を仰いで、何が見えるか知りたかったんです。でも、おいらには何も見えませんでした」
「・・・言っておくが、オレとヨシノは何でもないぜ。オレは酒を飲んで騒ぐのは得意じゃないし、ヨシノは酒が飲めない。ビク達が居酒屋へ繰り出す時に、宿で二人きりでいることが多かった。でも、それだけだ。
 オレなんぞより、おまえの方がよっぽど噂になってるぞ。『フリードの妻、ヤクザの青年と夜の桟橋で逢い引き』、なんてな。城の中にも、暇を持て余している奴らがいるのさ」
 クライブはマントから覗く無表情な顔の、唇を少しだけ上げて笑った振りをした。
 ヤムも笑った。
「ヤクザヤクザって言わないでください、一応は漁師なんすっから」
「逢い引きの部分は否定しないのか」
「馬鹿らしすぎてねえ」
『問題の、夜の桟橋で、ヨシノさんはずっとあんたの話をしていましたよ』
 そして自分はマヌケ面を下げて、その話を聞いてやっていたのだ。自分は、あの童話の床屋が掘った『穴』だ。王がロバの耳を持つことを知った床屋が、誰かに言ってしまいたくて、穴を掘ってそこに向かって叫ぶ。『クライブが好き』、と。
「フリードは疎い野郎だから噂は知らんだろうが、ヨシノが闘うことには反対している。『君がそこまでやる必要は無いでしょう?』と言われたそうだ。あいつは戦士でなくて、所詮役人なんだよ。もうすぐルルノイエ突入だって言うのに、ヨシノなしでどう闘えって言うんだ。彼女の力を知らないのさ」
「フリードさんは、ヨシノさんが遠くへ行っちまいそうで怖いんでしょう。特に彼女は最強パーティーで闘い始めて、変わったから」
「・・・命がけで闘っていると、次第に精神の贅肉が削ぎ落されていくんだ。どんどんピュアになって、どんどん解放されていく。
 オレは以前の『フリードのいい妻』然としたヨシノより、今の方がずっと好きだぜ」
 自分は・・・どうだろうか。遠くから、洗濯物を干す姿やユズたちと戯れる様子を見て、あこがれていた。だが、今のヨシノを見ても、あの頃のような穏やかでほのぼのした気持ちは起きない。心臓を掴み出されるような鋭い痛みが胸を襲うだけだ。
「戦争が終わったら、どうするんだ? タイ・ホーに付いてトランへ帰るのか?」
「はあ。まあ、たぶん」
「そうか。オレはハルモニア神聖国へ帰る。処刑も無事済んだことだし、な」
 クライブはそう言うと、月を見上げた。その罪人をクライブは愛していたのだと、ヨシノはヤムに告げた。『月は形を変えるから却って信用できる』だなど、結局クライブは何も信じてはいないのだろう。彼には、死を待ち望みながら生きているような、どこか投げやりな闇がある。
 月は明るくクライブを照らし、その影は光を憎むかのように暗く黒く床に横たわった。黒こげの死体のようなそのシルエットは、ヤムの足元に掛かり、ゆがみ、塔の柵へと続いていた。
 影が身投げしてるようだな、とヤムは思った。

  ☆おわり☆  



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