第27話 『ロッキー・ホラー・ジョー苦』 |
本来は。
赤く染まる夕陽が山並みに落ちるのを見ながら、テンガアールの肩を抱いている予定だった。
峠でクルマを止め、助手席の新妻はヒックスにもたれかかる。
新婚旅行一日目の夕刻は、そうやって過ごす計画を立てていたのに。
突然の雨。空を切り裂く稲妻。幾つも缶をぶら下げたオープンカーの幌は、 故障していて閉じなかった。 「あそこにお屋敷が見える。あの家で雨宿りをさせてもらおう」 二人はニューズペーパーを傘の代りにして、クルマを捨てて走り出した。 テンガの胸には、戴き物の真紅の薔薇の花束が、宝物のように抱かれていた。 艶やかな赤いビロードの花びらや、それを取り囲んだかすみ草のベールにも、 雨粒は容赦なく叩きつけた。 「ごめんください」 時代錯誤な獅子のノッカーを叩くと、せむしの白髪の老人が扉を開けた。 「突然の嵐でお困りでしょう。わたくしは執事のソロン爺と申します。 さあ、ご主人様にお目通りください」 ギギ・・・と、錆びた鋸を引くような音と共に、大きく扉が開かれた。 ショーが始まろうとしていた。 屋敷の主人、ルカ・ブライト伯爵は、黒髪の美しい青年だった。 猛禽類を思わせる、精悍な目と唇をしていた。 「ようこそ。ヒックス殿。そして美しい若奥様」 ルカはテンガの手の甲にキスをした。ぽっと頬を染める妻を、ヒックスは苦々しく見つめた。 「ソロン爺から聞いた時は本気にしなかったが、本当にそっくりだ。 私にはジルという妹がいました。十八歳で胸の病で死んでしまいましたが。 階段の踊り場に肖像が掲げてあります。夜が明けて明るくなったらご覧になってください」 そして赤毛のマゼンダ・シードという侍女を紹介すると、彼女に部屋へ案内させた。 階段の途中で、娘の肖像画に気づき、二人は立ち止まった。 マゼンダの持つ蝋燭の灯りは絵をしっかり見るには暗過ぎたが、 兄譲りの黒髪とつり上がった切れ長の目を持ち、美人なのは見てとれた。 だが、テンガには似ても似つかず、二人は顔を見合せ首をかしげた。 「お綺麗なお嬢様でしたよ」 肖像画用に、時代がかったドレスと髪にしたのだろうか。 まるで仮装だ。たっぷりとしたドレープと袖の膨らみは、いつの時代のものなのだろう。 「客室はシングルなので、お部屋は別々になります」 テンガアールが与えられた部屋は、蔓の絡んだ出窓と天蓋のベッドのある、 お姫様のような部屋だった。 「まあ、なんてすてき」 「お花を花瓶に活けましょう」 抑揚のない声と表情の無い顔でマゼンダが手を差し出した。 彼女が花束を抱えると、一瞬薔薇がくたりと萎れたような気がしたが・・・気のせいだろう。 足つきバスタブには、女神の石像が水瓶から湯を注いだ。ピンクに染まる湯は甘い香りがした。 「あら?」 雨の中、森を走った時に枝ででも切ったのだろうか。滲みたのは手の甲に傷だった。 だが、枝で切ったというより、虫にでも刺されたような傷だ。 用意されたガウンはシルクだった。ラベンダー色のそれは、 蝋燭の灯で時々青に色を変える。雨に会ってラッキーだったのかも。 夢のような思いでテンガアールは天蓋付きベッドのカーテンを開け、 中に倒れこんだ。ふかふかの感触はすぐに眠りを誘った。 人の気配で目が醒めた。 「テンガったら。初夜なのに、眠ってしまったのかい?」 ヒックスの声だった。 「だって・・・悪いわよ、ヒックス。他人のおうちに止めて戴いて、 こんなによくして貰っているのに。お行儀よくしてましょうよ」 「ルカは気を効かせてこの部屋を用意したのさ」 影がカーテンを開けてベッドに入り込んだ。心地よい体重がテンガの体にかかり、 彼女は目を閉じた。 「愛してる。やっとこの夜が来た」 ヒックスはテンガの髪を指で梳いて、唇を首に押し当てた。 二人は何度か体を重ねていたが、やはり正式に夫婦になってからの愛の確認は感慨深いものがあった。 ちくりと、耳の横が痛んだ。記憶が蘇る。ルカ伯爵が手の甲に口づけした時、同じ痛みが走ったのだった。 「ジル、君の髪はなんていい匂いがするんだ」 −ジルですって?− 「誰っ? ヒックスじゃないわね」 「いいじゃないか、今更誰だって」 声はバリトンに変化していた。瞼を開くと、闇に慣れた目に、 さっき会ったばかりの伯爵のシルエットが浮かんでいた。 「ジルそっくりの瞳。ジルそっくりの声。 ずっと君のような娘が訪れるのを待っていたんだ。もう、三百年も」 −三百年ですって?− ルカの瞳は、闇の中で銀色に輝いていた。 「離してよ、このバケモノっ!」 「世界が終わるまで、君を抱きしめていたい」 ならば、終わらせるがいい! テンガは枕元のポーチから、ニンニクを掴んで取り出した。 「う、うわっ。なんだ、この臭さは」 「新婚旅行必須アイテム、生のニンニクだ、どうだーっ!」 ちなみに、ポーチには他にユンケルと朝鮮人参とバイアグラが入っている。 「ぎゃーっ!」 悲鳴と同時に、ルカの体が砂が崩れるようにさらさらとこぼれ落ちて行く。 −妹を愛して、三百年も漂っていたのね。可哀相なひと。天国でジルと会えますように− ルカが全て銀の砂に変わり、シーツに悲しい銀河のような模様を作った頃、 急にカーテンの向こうが明るくなった。 夜明けはこんな急には来ない。カーテンを開けると、 窓の外は快晴の真昼の天気だった。驟雨はルカが降らせていたのだ。 山の向こうに、虹のアーチが見えた。 床を、赤い小さな蜘蛛が這い回っているのを見つけ、 テンガはひと思いにスリッパで踏み潰した。出窓を開けると、 白いナメクジが桟にへばりついていた。指ではじくと、勢いよく下の庭へ落ちて行った。 ヒックスは起きているだろうか。『怖かったよー』と抱きつけば、盛り上がれるに違いない。 テンガはポーチを掴むと、とっとと部屋を出て行った。後には、ルカの残骸が、上 天気の太陽に照らされてきらきらと輝いていた。 |
三題話のHPへの投稿用に書いた作品。妄水のメンツで「ロッキーホラーショウ」をやるという、おバカな話でした。
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