第29話 妄水ホラー劇場桜の下には死体が埋まっているのです。


 エミリアは、仕事帰りに、ロウエンと二人でレオナの店で軽く飲んだ。ロウエンの方はガンガンに酒を煽り、『ギジムに求婚させてみせる!』と息巻いていた。
「私は、そうねえ。やはり、医者だわ。ホウアン狙いで行こうかな」
「無理無理。ホウアン先生は、狙っている人が多いんだから」
「言ったわね。私の手腕を見せてやるわ。これから誘惑に行ってやる。結果をすぐ知らせるから、部屋で待ってて。ボトルを開けていてもいいわよ」
 ロウエンと別れ、診療所へ向かう夜道、春でもないのにふわりと桜の花びらが目の前を舞った気がした。
『あら?』
 闇に浮かぶひとひらに気をとられた。背中をどん! と強い力で押された気がした。ピンヒールが、桜の根にひっかかり、エミリアは無残に転んだ。
「いったぁ・・・。」
 でも、いいかも。頭痛がするとか何とか仮病を使うつもりだったが、本当に怪我してラッキーかも。
 
「転んで足首をひねってしまいましたの。こんな時間によろしいかしら?」
 診療室の灯りがついているのは確認済みだった。誤算は、チビのトウタがまだ部屋にいたことだ。
「どれ、拝見しましょう。闘いに加わるわけでもないのに、あなたもよく怪我する人ですねえ」
「お恥ずかしいです」
「足を見せてください」
「はい」
 エミリアはスカートをたくしあげると、するするとストッキングを脱いだ。深いスリットのその秘密の花園をちらりとかすめたかと思うと、一瞬後に、絹のそれらは脱ぎ捨てられていた。ホウアンより、トウタの方が赤面して横を向いた。
「座って」
「はい」
 エミリアはストールに腰かけ足を組む。背後のトウタには見えないが、あれだけスリットが深いと、あんなものもこんなものも見えているに違いないと、トウタは益々顔を赤くするのであった。だが、先生は顔色ひとつ変えない。
「右ですね。まだ腫れてはいないようですが」
 ホウアンが足首を掴むと、エミリアは「あぁん・・・」と色っぽい声をあげた。
「痛みますか?」
 真顔で聞かれて少し恥ずかしくなったエミリアは、「はい」と答えておいた。
「湿布をしておきましょう。湿布薬も三日分出しておきます。痛みがひくまで、踵の高い靴ははかないように」
 事務的に処理すると、カルテをトウタに手渡した。
 
「エミリアさんが来ると、薬臭い診療所がいい匂いになりますね」
 エミリアが帰った後、片付けをしながらトウタが嬉しそうに言った。
「お母さんが恋しくなりましたか? 君はいつでもミューズに帰っていいんですよ」
 トウタはきょとんとした。先生には、バーバラさんみたいに太った僕の母と、エミリアさんが同じに見えるのだろうか?
「先生は、奥さんはもらわないのですか」
「そんな暇はありませんよ。
 そうですね、八年ほど前、看護婦さんで密かに好きだった女性はいました。私の片思いでしたけれど。彼女は胸を病んで、私の力不足で亡くなりました」
「それ以来、女性の手伝いを頼んでいないのですね」
「いえ」とホウアンは苦笑した。
「トウタを弟子にして三年になりますが、その前には看護婦さんを頼んでいましたよ。でも、その彼女は真面目だったのですが、それ以降の人は、無断欠勤の挙げ句に勝手に辞めてしまう人ばかりで。花見の季節になると、決まっていなくなってしまう。女性は当てにならない、と見切りをつけました」
「その女性は・・・」
 どんなひとでした? とトウタは聞こうとしたのだが。
「死後は、彼女の希望で、ミューズの診療所の桜の下に埋めました。私が治療しているのを見守れる場所がいい、と。彼女は看護婦の鑑でした」
 それって、先生のことを好きだったんだ。トウタにもわかる簡単なこと。でも、鈍感な先生には通じなかった。もしかたら、彼女も片思いしていたのかもしれない・・・。
 
「・・・って感じ。あいつ、きっとホモなのよっ」
 ジャージの上下になって、ベッドに寝ころびポテトチップスを摘むエミリア。既に出来上がっているロウエンはゲラゲラと笑った。
「あんた、もともと、年下にはもてるけど、ちょうどいい歳回りには全然だもん」
「ふんっ」
 エミリアの鼻息に、ポテチの細かいカケラがベッドに散った。
「相変わらず、汚い部屋だねえ」
「仕事で本の整理してるのに、部屋に戻ってまで整理整頓なんてしたくないわよ」
「うそつけ。化粧と服をキめるので精根尽き果てて、掃除する気力もないんだろ」
「まあね。気の毒に思ったら、肩でも揉んでちょうだいな」
「はいはい」
 ロウエンが、エミリアの肩に手をかけようとして、はっと手を引いた。後ろが大きく空いたトレーナーから覗く、エミリアの白い背中には、くっきりと二つ、女性のものと思われる掌の形の、赤い痣が刻み込まれていた。

       ☆おわり☆  


某花○誌の批評家によると、応募小説に「桜の下に死体」というネタがあると、まず落とすそうだ(笑)。私はその時は、 坂口安吾のファンがそんなに多いのか、などとボケたこと思っていました。 「ボディコン女の部屋は汚い」とテレビで言ってファンからも顰蹙を買ったロックシンガーがいますが(笑)、でもほんとにそんな気が しませんか? というわけで、エミリアはわりとリアルなキャリアガールになりました。



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