第37話 『サディストの女の相手をするのは』 |
レオナが扉を大きく開いた。隣の部屋の明かりが飛び込んで、ボブは一瞬目が眩んだ。 「あらあ。人間に戻ってるわ」 「ほんとアルー。ワタシさすがに人肉料理は作るとヤバイアル。手を引くアル」 「ちょっと待って」 レオナはハイ・ヨーから、中華用の肉きり包丁を受け取り、こちらに近づいてきた。うす暗い厨房に、コツコツとヒールの音だけが響いた。 「ボブ。またオオカミに変身してくれないかしら?」 ベストのはだけた裸の胸に、ひやりと冷たい感触があった。レオナは刃を胸にぴたりとくっつけたのだ。「いやだ」と瞬時に断るのも、「了解」と即変身するのも愚行だというのはわかっていた。ボブは、「一度変身すると、すぐにはもうできないんだ」と、喉から声を絞り出してやっとのことで言った。 「そう。残念ね。じゃあ、ウサギの毛皮でもいいわ」 「えっ?」 「カットバニーなら、二十羽もいれば十分でしょう。捕獲して来てくれるわよね?」 「なんで俺が」 ぴたり、と頬に刃が押し当てられた。 「何時間たてば再変身ができるの? ずっとここで、こうして、待っていてもいいのよ。 お礼に、さっきのよりいいお肉をあげるけど、どうする?」 『マゾヒストの男の相手をするのはサディストの女ではない』 これは何の小説の冒頭だったろう。ボブは一人燕北の峠にいた。 だが、少なくとも、サディストの女の相手をするのだって、マゾヒストの男じゃあない。ボブはそう思った。 集団で現れるカットバニーを、一人で倒すのは難儀した。ダメージ無しでは闘えない。二十羽捕まえた時には、ヘロヘロになっていた。 しかし、レオナも嘘はつかなかった。ウサギを持って帰ると、オープン前の店にボブを招き、特上のステーキをご馳走してくれた。 ボブは普段は人間の姿でいる。闘い等の必要性のある時にしか変身はしない。ましてオオカミの時の毛皮を狙っている相手といるのだから。 肉にナイフを入れると、熟したプラムのように赤い汁が滲み出した。人間のボブは、肉は火が通っている方が好きなのだが・・・。 「ちょっとレア過ぎないか?」 ボブがフォークに刺した肉の断片を眺めて言った。 「そーう? アタシはこれくらいがちょうどいいけどねえ」 テーブルに形のいいヒップを降ろし、前かがみになると、ボブのフォークにあった肉片にかぶりついた。深いスリットのドレスからは白い太股が覗いた。チャイナ風のドレスだが、スタンドカラーではなく胸は大きく開いていた。レオナが下を向くと地獄に落ちそうな谷間が見え隠れしていた。 「うん、いい感じよ。嫌なら食べなくていいのよ」 「・・・どうぞ」 ボブは皿をレオナの方へ押しやった。 「欲の無いヒトねえ」 おまえが欲張りすぎるんだろ。ボブはその言葉を呑み込んだ。 「ところで、ねえ。マチルダ騎士団のエリアに、金塊を落とすモンスターがいるんだってよ」 「・・・・・・。」 呑み込まずに、言ってしまえばよかったと後悔した。 「あのエリアは、ひとりでは危険が」 フォークの先端が、ボブの胸板に当たりちくりと痛んだ。ボブは息を吸い込んだ状態で止めた。レオナは躊躇もなく真っ直ぐに先を向けて手を伸ばしていた。先端は、牛の血なのかレオナの口紅なのか、赤い色で染まっていた。彼女はそれを、静かに下へ動かしていく。 「やるの、やらないの。言っておくけど、あんたは一度は私の依頼を受けて、報酬のお肉を口にしたんだからね。そう易々と抜けさせないよ」 「・・・わかったよ」 ボブは、フォークを手で払いのけた。 「うまく金塊を手に入れてくれたら、最高級の『お肉』をあげるわよ」 「いいよ、どうせ口に合わない」 「そう?」 レオナは今度はフォークの先をボブの顎に引っかけた。前に重心をかけたので、胸を覆う布は緩んで役目を果たせず、左の細い肩紐がはらりと落ちて腕にかかった。ボブはあらわになった片方の白い胸から慌てて目をそらす。レオナは何事もなかったように、平然と肩紐を上げた。 「こればかりは、食べてみなくちゃわからないんじゃないかしら?」 レオナの言葉に、フォークの先の、ボブの喉がぐびりと音をたてた。 ☆ つづく ☆ |