第40話    『愛した方が負けだった


  三日ほどボブは部屋から動かなかった。食事はレオナが用意してくれた。
「ほら、お手。ウエイト。・・・よし」
 掌からボブに食べ物を与えて喜んでいる。
「今度は順番に食べるのよ」
 生ハムを手の甲に一切れ。肘に一切れ。袖無しドレスの肩に一切れ。
「・・・・・・。」
「いらないの?」
「食べます」
 最後の一切れをかじる時に、歯が肩に触れた。レオナは「痛い」と身をよじった。
 ボブは慌てて顔を離した。白い丸みに歯の跡が微かに赤くついていた。だが、傷にはなっていない。ボブはほっと胸を撫で降ろす。
『これでレオナを食いちぎって殺すつもりだって言うんだから』
 ボブは自嘲的に笑うと、肩の赤味をぺろりと舌で嘗めた。これで食事は中断だ。
 
 部屋のドアが開いた気配に、ボブは静止した。下になったレオナのとは違う、甘い香水の香りが部屋に漂ってくる。断じて、ボブの部屋に他の女が訪れるはずはないのだが。
「チャオ。参上したわよ」
 紋章師のジーンの声だった。
「待ってたわ」
 答えるレオナ。ふたりは仲がいいらしいが・・・。  
 待っていた、だと? ではレオナが呼んだのか?
 ボブは目を見開いて、レオナの顔を凝視した。レオナはそれを無視すると、ジーンに話しかけた。
「かわいがってあげてね。でも、忘れないで、この子はアタシの坊やよ」
「わかってるわ。お互い様でしょう」
 そのやりとりに、ボブの背中は氷のように冷たくなった。背後にジーンが立って、振り向こうとしたボブは、レオナに両手で頬を覆われくちづけの攻撃を受けた。酸欠になりそうだ。毒でも吹き込まれている気がした。首の後ろで脈がどくどくと鳴っている。
「ボブ、足の傷はいかが?」
 ジーンが、人とは思えない力で包帯の上から握った。
『うわっ』
 ボブは痛みでのけぞった。視界が涙でにじんでいた。傷は、しばらく、ビリビリと感電でもしたように痛みが消えなかった。
「こういう時に大声を出さないなんて、いい子だこと」
 ジーンの長い爪が、足の裏からふくらはぎへと撫でていく。寒けがして、全身鳥肌がたった。
「あら、痛いの? 怖いの? それとも寒いのかしら。気持ちがいいなんて、レオナの手前、言えるわけないわよね」
 怪我のない方の足の指を、ジーンが口に含むのを感じた。ボブの神経の全てが、爪先に集中しようとしていた。
「やめてくれよっ!」
「ジーンに感じたりしたら、許さないわよ」
 ボブの体の下で、レオナが悪魔のように微笑んでいた。
 
 ジーンがドアを閉めて出て行く音を、ボブはうずくまったまま、シーツにくるまってぼんやり聞いていた。両手で顔を覆っていたのは、レオナに泣いている顔を見られたくなかったからだ。だが、肩の震えでそれは知れただろう。
「ボブ、食事の続きをする? それとも何か飲む?」
「・・・いらない。何もいらない」
「あんた、泣いてるの?」
「いつかおまえを殺してやる」
「おやおや」
 レオナが笑顔になったのがわかった。
「嬉しいセリフじゃない? それって、最高の『 I LOVE YOU 』だよ」
 確かに当たっている。ボブがどんな罵詈雑言をレオナに吐きかけても、全て同じ意味だろう。
『 I LOVE YOU 』・・・。
 結局、愛した方が負けなのだ。ヒトが生れた三千万年むかしから、ずっと。
 ボブは頭からシーツをすっぽりと被り、卵のようにベッドに横になった。
哺乳類の誕生以前を懐かしむかのように。

☆ つづく ☆



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