第49話 『Spiders in the Dressing Room.』


(by TOY DOLLS 『DIG THAT GROOVE BABY』より 対訳:沼崎敦子氏)
 ♪ ドレッシング・ルームのクモ あちこちクモだらけ
   ドレッシング・ルームのクモ 気をつけな!
   俺はこの上もなくハッピーな気分で 部屋を横切った
   クモは殺してしまったのだから もう俺を邪魔したりできないさ
   ところが手を伸ばして明かりをつけると
   そいつは戦闘体勢になって そこにいるんだ
   長い長い夜になりそうだった ♪

  シンは小屋の扉に手をかけ、中を振り返った。
「では、お嬢さま。お気をつけて。わたしも、何度かは様子を見に参りますので」
「心配しないで。グリンヒルの森は安全だし、この隠れ家が敵に知られることはまずないでしょう。それから、市長代行のわたくしに、『お嬢さま』はやめて」
「・・・失礼しました、テレーズさま」
 軽く礼をし、シンはドアをしめた。
 市長の令嬢であった『お嬢さま』が、こんな森の掘っ建て小屋に、一日中隠れていなければならないなんて。テレーズの心細さや情けなさを思うと、シンの胸は切なくなった。部屋は寝室と簡単なバスルームしかない。部屋にあるのは、ベッドと机と洋服ダンスだけである。テレーズは数冊の本を持ち込み、退屈をまぎらわすつもりらしい。
『それにしても気丈なお方だ。夜などは、月明かりが無いと完全な暗転となるこの森で、たった一人でお過ごしになるおつもりとは・・・』
 テレーズにとって、長い長い夜になりそうだった。
 彼女が危機を知らせたら、どんな事情があっても瞬時に馳せ参じようと、シンは心に堅く誓っていた。
「きゃーっ!」
 小屋から数歩のところで、もうテレーズの悲鳴がした。シンはきびすを返し、力まかせにドアをあけた。
「どうしました!」
「シン! 蜘蛛がっ。ベッドの下から、蜘蛛が・・・」
 見ると、粗末な木の床の上を、どんぐりほどの大きさの、黒い蜘蛛がもそもそと這い回っていた。蜘蛛としては小さい方ではないだろう。
「とうっ!」
 シンは一刀のもとにそれを斬り捨てた。
「毒のないものです。ご安心を」
「あ、ありがとう。蜘蛛ごときで大声で叫んでしまって、恥ずかしいわ」
「いえ。蜘蛛は噛む場合もありますので、ご用心を。では」
 再び会釈をして、シンは小屋を出た。そして数歩行くとまた悲鳴がした。シンは再度あわてて駆けつける。
「机の引き出しから、蜘蛛が・・・」
 五匹ほどだろうか、黒やら茶色やらの蜘蛛が、引き出しから細い糸を垂れてぶらりぶらりと下がっていた。
「たあっ!」
「ありがとう。木材が卵でも持っていたのかしら」
「お気をつけて」
 そして三たび、シンは小屋に駆けつけることになる。今度は、洋服ダンスを開けたら百匹もの蜘蛛が沸いて出てきたのだ。
「はっ!」
 シンは百匹の蜘蛛を残らず蹴散らした。
「ありがとう、シン。助かりました」
「では・・・」と、今度もそっけなく出ていくシンの、テレーズは腰に巻き付けた布を手で掴んだ。
「あの、あの・・・。こんなに蜘蛛ばかりでる部屋で、私は今夜一人で過ごさねばならないのですか?」
「申し訳ありませんでした。明日、早速変わりの隠れ家を探して参ります」
「明日のことは、まだいいです、取り敢えず、今、今夜です・・・」
「わかりました。テレーズ様が妙齢の女性なので、遠慮しておりましたが、今夜一晩だけこの部屋でお守りさせていただきます」
「ありがとう。これで、安心して眠れるわ」
  シンが守っているので、安堵したのだろう。テレーズはすやすやと寝息をたて始めた。シンは剣を抱えて床に座っていた。
「ううん・・・」
 テレーズは寝相のいい方ではないようだ。白い寝間着の裾から太股がのぞいた。シンは目をそらすようにして、上掛けをかけた。
「はぁ・・・」
 暑いのか、テレーズは腕を上掛けから出して、枕をかかえる。大きく開いた襟から、ちらりと谷間が覗いた。
「・・・・・・。」
 シンは唇を噛む。シンにとって、長い長い夜になりそうだった。
                                  おしまい

パンクはほとんど聴きませんが、トイ・ドールズだけは好きです。
ロンドンの笑いは、落語の笑いに似ている。 シチュエーションを『想像』させて笑わせる、って感じ。 洋服ダンスに蜘蛛がいただけで曲ができてしまう。



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