第51話 『シェラな一族』
 ランプが作った手の影は、ずっと動いていなかった。クラウスの手は、本のページをめくらない。彼は、机に座ったまま、もの思いにふけっていたからだ。
「クラウス。気が散っているようだな。これではいくら勉強しても無駄だ。もう休んだらどうだ?」
 父のキバがベッドの中から声をかけた。決してせめる口調ではなかったが、クラウスは赤面した。
「お恥ずかしいです。・・・もう少し頑張りますので、父上は先にお休みください」
 そう言って窓に目をやったクラウスは、もう少しで叫ぶところだった。白い大きな鳥が、ふわりと窓の外をよぎったのだ。いや、わかっている。鳥のわけはない。鳥は夜は目が見えない。飛んでいたのは、コウモリ、それも『あの』銀のコウモリに違いなかった。
 
 クラウスは、父が寝入るのを待って、そっと部屋を出た。城の裏庭にある墓場。それが彼女の遊び場だった。
「シェラさん! もう、わたしのまわりをうろつくのはやめてください!」
「わらわは、夜の散歩を楽しんでいただけじゃ。確かにおぬしの部屋の窓のそばも通ったが、別に他意はない。自意識過剰よのう」
 シェラはすでに可憐な少女の姿に戻っていた。細く柔らかな銀の髪、抜けるように白い肌、血の唇。シェラは美しい少女だった。ただし、『千年も前から』少女をしている。年季の入った少女ぶりだ。
 会ったばかりの頃、その可憐さに若いクラウスはころりと騙され、吸血鬼とも知らずに誘いに乗って唇を重ねた。正体を知ってからは逃げ続けているのだが、シェラの方が一枚上手だ。
「上着をめくって、わらわに腕を差し出すだけではないか。ケチケチするでない。ちくりと一瞬痛んで終わりであろう」
 血を吸わせないと、キスしたことをキバに言いつけると、脅迫するのだ。こんなこと、父上には絶対に知られてはならない。軍師としてまだ勉強中の身で、女にうつつをぬかしたと知れたら、父上にどんなに軽蔑されるだろう。仕方なく、クラウスは袖をめくりあげた。シェラの冷たい唇が、手首に触れた。軽い痛みに、鳥肌がたった。
 
「すぐ立ち上がらず、10分ほど座っていた方がよいぞ。トマトジュースとFe入ヨーグルト飲料とどちらがいいか?」
「ヨーグルト飲料・・・」
「レバーペーストのサンドイッチを作って来たぞよ。ホウレンソウ入りのオムレツサンドもある」
「・・・まるでピクニックですね」
 墓石に寄りかかったまま、クラウスはジュースを受け取った。シェラははしゃいで、バスケットからサンドイッチを広げ出した。
「それとも、ひじき入りおにぎりがいいか?」
「・・・はい。いただきます」
 シェラは美人だし、健気でかわいいところもある。吸血鬼だからと言って、怖いとか気味が悪いという思いは無い。
『でも、恋人を作るなら、人間の方がいいよなあ』と、クラウスは当然といえば当然の望みを持っていた。もちろん、父に一人前だと認められてからの話だが。

「これで30回目じゃのう。勲章をやるぞ」
 シェラは、紅白のリボンのついたメダルを差し出した。
「献血じゃないんだから、いらないですよーっ」
「遠慮するな」
「遠慮じゃないってば!」
「・・・昨日、『徹昼』して作ったのに・・・」
「わかった、わかりました! 頂戴します! 泣くことないでしょう!」
「大丈夫、ウソ泣きじゃ」
「・・・・・・。」
 クラウスの、声にならないため息が墓場に響いた。こうして墓地の夜は更けていく。クラウスは今夜も寝不足だ。
                                   ☆ おしまい ☆ 
これでまたノルマが3人はけた(笑)。108人まで、あと10人!


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