『眠り姫と孤独な王子』 by SouRinさん

 赤茶けた大地を、ランドクルーザーが疾走していく。
 操縦桿を握る青年は、通いなれた道――道とはいっても何も舗装もされていない、自分が何年もかけて通った際に轍が作りあげた黒い線だ――を進みながら、目的地をまっすぐに見つめている。
「待っててくれよ、お姫様。今日こそ、ボクが助け出してあげるから」
 大きく裂けた大地の隙間へと、ランドクルーザーは入っていく。目指す場所はもうすぐそこであった。

 青年――来生良が生まれたのは、宇宙船の中であった。親はシリウス星系の植民星への入植者の末裔である。惑星が寿命を向かえた時、人々は別の星へと移動することを強いられた。
 そして、彼の両親を含む一団は、人類の故郷である星へと戻ることを決めたのである。
 人類が母なる星地球を後にしたのは、気が遠くなるほどの過去のことであるという。星の位置は知っていても、誰もその星を見たことはない。それでも、他の植民星へと移住するよりは、たとえそれが禁断の行為であっても、地球に行ってみたい、そう思う者は少なくはなかった。
 大型の恒星間巡航船による旅路は長かった。最低限の者が宇宙船の維持をしつつ、交代で冷凍睡眠をとりながら、長い間旅を続けた。
 良は宇宙船で生まれた。そして、子供は良だけであった。子供には冷凍睡眠は負担になるため、地球へと旅をすることを選択する親が皆無だったためである。

 良はランドクルーザーを止めると、後部ハッチを開ける。宇宙服に着替えてから、荷物を積み出しにかかる。
 人が入れそうなポッド、レーザー装置などを積み出すと、今度はそれを軽車両に積み替える。ランドクルーザーではこの先には行けない。
 太陽の光の届かないこの先は、軽車両がやっと通れるほどの道幅しかなく、最終的には徒歩にならねばならない。何日もかけて荷物を運び込んでいたが、これが最後の荷物だった。

 6年前――24時間=1日、365日=1年とした場合だが――に、一団はこの星に不時着した。太陽系第四惑星。火星と呼ばれたその星は赤茶けており、二酸化炭素の大気を持つ惑星であった。
 地球まで後少しというところだった。今までの航路を考えれば、目と鼻の先と言ってもいい。だが、無理をして地球まで辿り着かせるには、あまりにも距離が長すぎた。
 良はその時10歳になっていた。生命活動を極端に停止する冷凍睡眠は、子供の成長、発育を止める要因になりかねないことから、彼は一度も冷凍睡眠は行わなかった。彼の両親は1年起きたら3年は寝てしまう。だから、代わりに他の乗組員が親代わりになってくれた。
 彼は代わる代わる寝起きする大人たちに育てられながら、常に友達の存在を求めていた。同じように生き、同じように生活する、子供の存在を。
 火星に不時着して、乗組員が見つけたものは、廃墟となったドームであった。地球を使い潰すことを恐れた人類が、住むべき地を他の天体に求めたとき、真っ先に使われたのが火星である。
「地球が近すぎて、逆に住みにくかったのかもな」
 捨てられたドームに、誰か感想を漏らしたのを、良は覚えている。

 ヘッドライトで足元を照らしながら、重力制御ユニットに最新の注意を払いながら荷物を運ぶ。軽車両との間を何回か往復して、とうとう荷物を運び終えた。
 途端に良は地面にへたり込む。ヘルメットを取って汗を拭いたいと真剣に思いながら、次の作業へと移る。時間はあまりない。
 ここは地下でただでさえ気温が上がらない。夜になると更に気温が下がる。それはあまり望ましいことではないのだ。
 バッテリーにつないだライトを照らす。ライトが照らす先には、大量の氷。そして、その中に少女の姿があった。目鼻立ちの整った白い顔の少女。年の頃は良と同じぐらいだろうか。幼さを残しつつも、確実に女性へと変わって行く時期。
 良はうっとりしたように少女の顔を見つめてから、少し開けた場所に簡易ドームを設置する。
 機材を運び込み準備を整えながら、良はちらちらと少女の姿に見とれている。
「もうすぐだからね、お姫様。それまで、ちょっと辛抱してておくれよ」
 つぶやくと、今度は少女には目をやることなく、良は準備を進めていくのだった。

 良が初めて彼女にあったのは、全くの偶然だった。
 ドームでの生活に飽いた良は、ドームの外を探検するのが趣味になった。当初は大人が同行したが、特に危険もないと感じると1人で行かせてくれるようになった。
 大人にとっては、この廃墟で生きる糧を生み出しつつ、宇宙船を修理することの方が大事だったからである。
 夏の日。良は日差しに耐えかねて深い亀裂の作る日陰へと入っていった。
 何かに誘われるように奥へと進んでいった。呼ばれていたのだろうと良は思う。迷うこともなく、彼はこの場所へと辿り着いた。
 自分のヘッドライトが照らし出した氷の塊にその姿を見つけて、良は最初、ただ呆然と突っ立っていた。その光景を理解できなかったのだ。
 それから、ようやくそこにいるのが氷漬けになった少女だと分かると、良は歓喜した。初めて見た少女という存在。大人以外の初めて知る他人。自分よりも少し年上だろうか?
 当時まだ12歳だった良は、少女について色々と想像を巡らせた。
 それから彼は、ことあるごとにここにやってくるようになったのだ。日々会ったことを語って聞かせたり、少女がここから出られたら、どんなことをしようかと計画を語ったり。
 そして、彼は大人から知識を習得することに積極的になった。彼女が生きているならば――いや、間違いなく生きているハズだ――彼女を助けたい。自分と友達になってほしい。
 そのために、彼は知識と技術を得る必要を感じたのだ。

 良は慎重にレーザー銃で少女を周りの氷ごと切り出していく。切り出し終わると、重力制御ユニットを使って氷の塊を簡易ドームの中へと運ぶ。
 エア・メーターを確認すると、酸素濃度が充分になっていた。ようやくヘルメットを外すと、額の汗を拭う。これでようやく一段階だ。
 次に、医療ユニットを起動すると、センサーを少女に向ける。1年前、初めて彼女にセンサーを向けた時のことを、良は思い出していた。
 確認したいような、確認したくないような。生命反応を感知できなかった時の絶望を怖れながらも、良は覚悟してセンサーを向けたのだ。あの時の喜びは、今まで生きてきた中で最上のものだった。そして、これで彼女を蘇らせたら、その喜びはいかほどだろう。
 今までは自分が語りかけるだけだった。でも、これからは返事が戻ってくるのだ。
 その想像に身を震わせながら、良はヒーターを使って少女の周りの氷を徐々に溶かしていく。
 これにも細心の注意を払わなくてはならない。もしもこのヒーターの熱が彼女に伝わってしまっては問題だ。下手に温度を上げてしまうと、そこから死が彼女にもたらされるかもしれないのだ。
 教育ファイルでみた太古の地球のミイラのように、彼女の周りを薄く氷が覆っている状態まで氷を溶かしきる。ここまでは問題ない。温度センサーで彼女の体表の温度を確認する。
 良は安堵のため息を漏らすと、彼女を抱きかかえて冷凍睡眠ポッドに横たえる。
 冷凍睡眠ポッドの表示板を確認すると、感知機はオールグリーンだった。大丈夫。自分の予想通りである。やっぱり彼女は冷凍睡眠状態にあったのだ。
 後はただ、冷凍睡眠状態から回復させてあげればいい。それには、冷凍睡眠ポッドを用いれば簡単だ。ボタンを押すだけである。
 震える指でボタンを押すと、冷凍睡眠ポッドが唸り始める。中の状態を示すセンサーが動いていき、温度が高まっていくのが見て取れる。
 少女の口から薄く息が漏れているのが、ポッドのフードが白く曇るので分かる。ここまでは順調だ。良は、じっとポッドの中の少女を見つめる。
 ポッドの唸りが静まると、フードが開く。良が駆け寄ると、少女が今まさに目を開くところであった。

 少女の瞳は、最初は何も映していないようだった。遠くを見ているのか焦点の合っていない瞳。その瞳は綺麗な緑色で、良は胸が高鳴るのを感じた。
 少女の瞳の焦点が段々合ってくる。それにつれて、少女が覚醒していくのが分かる。
 少女の瞳が良のことを捉えると、はっとしたように少女は身を起こした。
 良が見守る中、少女はキョロキョロとあたりを見回している。そして、自分を見下ろし、それから最後に良を見た。
「○×△%※?」
 少女が何かを自分に言っているのだが、何を言っているのか分からなかった。
 少女は相変わらず周りを見回し、それから必死な表情で自分に何かをまくし立てている。でも。良には少女が何て言っているのか、わからない。
「言葉が通じないってのは、考えなかったなぁ」
 自分の使う言語と違う言語があるという知識はもっている。読むことができる言語もある。だが、宇宙船のメンバー全てが同じ言葉を話していたため、良には違う言葉を話す人がいるという想像はできなかったのであった。
「まあ、そこから始めるのもいいのかもしれない」
 良は、安心させるように柔和な微笑を浮かべると、少女に向き直った。
「ボクは、良だよ、キスギ リョウ。君の名前は?」
 自分を指差して、良は名乗る。
「ボクはずっと君のことを待っていたんだよ、お姫様。ボクの知っていることは教えてあげるから、これから仲良くしようね?」
 良の言葉は、もちろん少女には理解できない。それでも、良の気持ちが伝わったのだろうか。
 少女は自分の名前を告げると、寒そうに身を震わせた。

 赤茶けた大地を、ランドクルーザーが疾走していく。
 操縦桿を握る青年の横には少女が座る。彼女は今、教育ユニットを使いながら、言葉の習得に熱中している。
 それを暖かい目で見守りながら、良は初めてできた友達に心を躍らせていた。