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「凄いな、星がいっぱいだ」 感嘆の吐息と共に呟かれた台詞に、私は手にしていた書類から顔を上げた。 火星の衛星ステーション、アレス1に向かう資材運搬用大型宇宙船のキャビンの中で、そんな修学旅行の学生が地球の宇宙ステーションに上がるような台詞を聞くとは思わなかったのだ。 呟いた主は、彼の吐く息でガラスが白く煙るほど、べったりと窓に張り付いて外を見ていた。 真新しいスペースジャケットに身を包んだ若者。年の頃は二十歳を少し越えたばかりだろうか。肩口に付いているマークは、国際連合職員のそれだ。 「宇宙に出るのは、初めてかね」 背後から私がそっと声をかけると、彼は張り付いていた窓から顔を上げ、「はい」と元気よく返事をした。 「ルナ・シティへの着任を希望していたのですが、なかなか競争が激しくて」 照れくさいところを見られたと思ったのだろうか、はにかむようにして振り返った顔は紅潮し、鼻の穴が大きく広がっていた。 資材運搬船とは言え、キャビン内の重力は1Gに統一されているから、彼の顔が上気して見えるのは、純粋に興奮しているせいなのだろう。 「宇宙ステーションにも上がったことはないのかね?」 「はい。僕が学生の頃は、まだ修学旅行に宇宙ステーションという時代では無かったですから。今時の子供達は、羨ましいですよ」 よく通る声で屈託無く笑う彼も、まだハイスクールの学生と言っても十分通りそうに見えるのだが、もしかしたら私が思ったよりももう少し歳は上なのかも知れない。東洋系の顔は幼く見える。 「僕は子供の頃からずっと宇宙に出たいと思っていたんですが、今回の計画に回されてから、ずっと地上勤務なんですよ。同僚はどんどん宇宙に行っているのに、僕はなかなか行く機会が無くって、計画そのものもなかなか実働してくれないし……。実はこのまま僕が現役の内には宇宙に行けないんじゃないかと密かに思っていたくらいなんですよ」 ぐっと力強く拳を握って、沈痛な面持ちで何やら瞑目をしている。 と思ったら、次の瞬間―― 「僕、今回の計画が始動してくれて、本っ当に嬉しいんです! これでこそ、宇宙省国際開発局に入った甲斐があったと言うものですよね!」 鼻息も荒く、感情を爆発させた。 宇宙省……? 「それが君の国の宇宙関係機関の名称かね?」 キラキラした声で明後日の方を向いて盛り上がっている彼には悪いが、聞き慣れない名称を聞いて、私は思わず手を挙げた。有り難いことに、彼は気分を損ねた様子もなく、「はい」と元気いっぱいに頷いてくれた。 「そうか。どこも、長たらしい名前だな」 そして各国で名称が違うというのは頂けない。宇宙省と言うのがどこの国の機関だったか、まるで思い出せなかった。 国連の事業である宇宙開発は、現在地球規模で行われている。各国が自国の利益を優先させたりしないよう国際法を制定し、各国の国家予算のパーセンテージに応じた出資をさせ、宇宙開発分野で抜きん出ている先進国が技術を提供し合って開発に当たっているのだ。 システムとしては良いと思う。今現在、大きな問題は何も起きていない。 ただ、その開発に当たっている各国の宇宙関係団体の名称が、航空宇宙局だったり、国家航天局だったり、グランドコスモスだったり、宇宙庁だったりと、それぞれの国によって全て違うという点だけは、個人的には大問題だ。 はっきり言って、覚えきらない。国際連合関係者の言語統一がなされた現在に置いては、尚更だ。 「地球連合政府の言語統一でさえ、完全に統一されたのはここ最近ですから」 小さく頭を振った私に、彼は右手を差し出しながら「まだ時間は掛かるでしょう」と苦笑した。 「申し遅れました、僕……私は、地球連合政府宇宙開発機関総合企画部所属、シドー=ミクラと申します。博士のようなご高名な方とお会いできて光栄です」 地球連合政府……、なんだって? 背筋を伸ばして社交辞令を述べる彼の肩書きが、全て聞き取れなかった。 「国際連合のその名称も、もっとどうにかならないものかねぇ」 差し出された右手と握手を交わしながら、やれやれと首を竦める。 「地球連合政府のことですか? 地球は一つの国家であるという主張は、良いと思いますが」 確かに私も地球は一つの国家であると唱い、世界から国境という概念を無くそうという考え方は賛成だ。 しかし――、 「宇宙に国境は無いと唱っていた衛星ステーションでも、既に国境問題が勃発しているではないかね。国連の連中が、いくら地球連合と名ばかりの主張をしていてもね、各国の思惑が違うところにあるのでは、どうしようもないだろう。建前だけの名称というのは、空々しくていけないよ」 21世紀に建設された国際宇宙ステーションは2つある。 我々人類が初めて造った宇宙ステーションは技術者の為の研究施設だった。当時は今ほど各国の協調が成されていない時代であったにもかかわらず、多くの国が出資し、技術協力をし、宇宙の平和利用と研究の為に造られたのだ。 『国境のない場所』 それが宇宙空間だ。誰の物でも無い。故に、誰も自国の領土だと主張してはならない。 宇宙ステーションというのは、国際協力と平和のシンボルでもあるのだ。 しかし、2基目の宇宙ステーションは、少し毛色が違った。 民間に委託して誰でも自由に宇宙に来れる場所として造られたそれは、ステーションに駐在してる各国の人種によって、彼らに均等に割与えられた各国のテナントの周辺にコロニーが築かれ、いつしか地球のそれのように、その地区は各国の名称で呼ばれるようになってきていると言うのだ。 境界線は引いていないと言っても、団結した民族の集団は、他の民族、他のテナントを脅かすことに繋がる。そして最近、某国の駐在しているコロニーの辺りで、他国のコロニーの連中と小競り合いが生じて、ちょっとした騒動が起きたと報じられたばかりなのだ。 「どちらも国連に古くから加盟していて、ステーションの建設に尽力を尽くした超大国だというのに、宇宙ステーションの存在意義を少しも理解していないのは、実に嘆かわしいことだよ」 私がそう言うと、彼は「ははぁ」と微かに笑って頭を掻いた。 「まあ、某国は開発に莫大な投資をしていますから」 言葉を濁す。自嘲気味に言うところは、もしかしたら某国というのは彼の故国なのかもしれない。 勿論、国連職員になったからには、どこの国の出身者だろうと、誰に対しても己の良心に恥じないよう、分け隔て無く偏見や差別を廃して業務に当たらなくてはならないとの規定はあるのだが……。それは建前だということは、だれもが知っている。 誰しも、自分の産まれた国が一番可愛いのだ。一番可愛いから、一番良い領土をより多く取ろうと、我先に主張するのだ。 それはまるで、子供の喧嘩だ。 「月の、ルナ・シティの連中が、笑っているぞ」 「あそこの連中は、結束が硬いですからね」 月の裏側に造られた月面都市、ルナ・シティは、宇宙ステーション開発の後に取り組まれた国際プロジェクトだ。使用目的は月に埋蔵する工業資源の採掘と天体観測、宇宙考古学など学術的研究の為となっている。地下で繋がったエアドームに、現在は数百人が居住している筈だ。 彼らの生活は、今では随分改善されたとは言え、地球で暮らすように快適だとは言えない。地に足をつけているとは言え、宇宙ステーションでの生活と比べても、どうだろうか。 それ故に、限られた環境の中で共同生活するという連帯意識のようなものが生じるのだろう。彼らの結束は人種の枠を越えて、固い。 限られた酸素、限られたスペース、顔を合わせるのは、同じ条件下で集められた仲間達。過酷な状況を乗り切る為に団結するのは自然の成り行きなのだろう。彼らは、もはやシティ建造数十年の間に、独自の自治によって独自の文化を形成しているという。 彼らは地球で選ばれた者達だ。いかな過酷な状況下でも耐えられる体力と精神力を併せ持った、いわゆるエリート達。産まれも育ちも千差万別な勝手気ままに生きている地球人と比べたら、遙かに鍛えられていることだろう。その中には、月で産まれた子供達もいる筈だ。彼らは地球人である上に、更に月世人とかムーン・レイスとか、様々な呼ばれ方をしている。地球人でありながら、地球を知らない彼ら。月の自治によって、月の文化で生活している彼ら。彼らがそのうち大人になって、地球に対して独立権を主張したらどうするというのだろうか。宇宙ステーション内の管理でさえままならない地球政府に、何が出来るというのだろう。どこかの国のアニメにあったように、地球対宇宙生活者で戦争でも始めるのだろうか? 「地球政府は、もう少し宇宙生活者に対して監視の目を強化する必要があると思うね。勿論、植民地として統治するのではなく、敬意を持って管理する為にだが」 今のところ、月での工業資源の採掘権は全て地球が握ってはいるが、そこに住んでいるのは、彼らなのだ。 「先月の公演でも博士はそう主張していましたね」 私の言葉に頷きながら、彼はそう言った。 「私もその意見には賛成です。それに、今回の計画が完成した際には、更にその点が重要視されてくることでしょうから」 姿勢を正す彼の目が、壁に掲げられた一枚の惑星写真に向けられた。 赤い星。火星の写真。 我々は今、この星に向かっている。 この星を手に入れる為に。 21世紀の後半に完成された超伝導物質の開発と、半重力機関の実用化により、宇宙空間への往来が楽に出来るようになり、宇宙開発技術は飛躍的に発展した。 宇宙ステーションから月面都市へ。そうして、次の目的地が、火星だ。 火星地球化計画。 火星を人類の居住出来る空間へと造りかえる。テラ・フォーミングと呼ばれるそれは、未だ宇宙開発が夢物語の時代から語られてきたことだが、それがとうとう現実のものとなるのだ。 既に、惑星開発用の資材は、火星の衛星軌道上に作られた建設作業用宇宙ステーションへ、次から次へと運び込まれている。 我々が同乗しているこの船も、その内の一つだ。 「テラ・フォーミングは、ルナ・シティを作った連中に任せるのだろう?」 今現在、ルナ・シティに住んでいる技術者集団。 初めは小さなエアドームであった月面基地を、現在のように都市機能を持つ居住空間へと造り上げてきた連中。彼らは地球上に住む技術者達よりも、日常レベルで遙かに宇宙技術に長けている。 その彼らに、火星の開発を全て任せてしまうのは、どうだろうか。 「彼らだけでなく、地上の技術者も大勢参加しますよ。管理は我々地球連合がしていますし、現場で働くのはルナ・シティの連中も入れた、各国の民間業者で作る惑星開発の総合組合なんですよ」 彼は私の懸念に手を広げて見せた。 「民間組織かね」 だから、ルナ・シティを含め、どこの政府の利権も絡んではいないと言いたいのだろうか? だが、それは2番目の宇宙ステーションを建設する際にもあった話だ。 「そうです。我々は彼ら、ああ、我々は宇宙開拓局と呼んでいますが、開拓局に参加している連中は信頼に足る企業、団体だと確信していますよ」 「なる程ね」 自信を持って言う若者に好感が持てるからだろう。思わず頷いてしまう。 まぁいい。ここで、この若者相手に議論をしても詮無いことだ。 「しかし、……また宇宙開拓局とは、なんとも大それた名前だね」 話題を変えた私に、彼の表情が和らいだ。 「はい。いずれは地球連合政府内にある宇宙空間管理局と合併して、独自のセクションとしてやっていく方針だそうです。名称は、多分、宇宙開発管理局(SDAA)となるんじゃないかと言われています」 「そうかね。簡単で覚えやすければいいよ、何でも。幾つも名前があり過ぎだ。そしてポンポン変わり過ぎだしね」 「でも、この混乱っぷりが、過渡期って感じがして良いじゃないですか?」 やれやれと首を竦める私に、彼が苦笑する。 お気楽な若者だ。 いや、この若者がと言うことではなく、若者とは、兎角そういう存在だったか。 ここ最近、頭の凝り固まった連中とばかり接していたので、若者の感性を忘れていた気がする。今から、新たなる時代を作る作業をするというのに。 「地球連合政府だって、地球連邦だったり地球合衆国だったりと色々と候補は挙がりましたけど、今のところは連合で落ち着いてますよね。でも、その内、銀河連邦なんて出来た日には、どうなるか分かりませんよ」 「銀河連邦か、それはまた、気の早い話だな」 「いつになるかは分かりませんが、そう遠い未来の話じゃないとは思いませんか?」 確かに、そうだろう。 全銀河に、人類が進出する。 まるで、子供の頃に読んでいた物語のようだ。 「さながら、宇宙の大航海時代だな」 「良い言葉ですね」 思わず口をついて出た言葉に、彼が目を丸くした。 「昔読んだ本の中の言葉だよ」 あまりにまじまじと見られて、思わず視線をそらしてしまう。 「物語の中の言葉を、現実に口にするのは、なんとも気恥ずかしいものがあるね」 「SF、ですか?」 「そうだね。オールドSFの中の台詞だったかな」 子供の頃から、SFと分類される作品が好きだった。それも、19世紀の後半から20世紀に書かれた作品が特に好きだ。それらの作品には夢がある。希望がある。未来がある。いつかは宇宙へ飛び出そうというエネルギーが感じられる。宇宙が身近なものとなった現在では笑い話に過ぎないが、それでも、つい手にとって読み耽ってしまうのは、何かを成そうとする力があるからなのかもしれない。 「キミは、SFは読むかね?」 「あ、いえ……。私はその類の話は、トンデモ小説としか思えなくて……」 私の言葉に、彼は自嘲気味に呟いたが、それはそうかもしれん。今の若者達からみたら、SF小説は古き良き時代の御伽噺。空想科学小説と呼ばれた、宇宙のファンタジー小説だ。 我々が、ワープ機関の開発やテラ・フォーミングの技術に、どれだけの月日を費やしたことか。何十年何百年の時をかけ、不可能だと断言されつも膨大な時間と巨額の費用を投じて完成させたのだ。 それを、小説の中では、いとも簡単にワープし、まるで大工が家を建てるかのごとく惑星を改造する。その躊躇の無さと全ての法則を無視する姿勢は、いっそ潔いくらいだ。実際に宇宙開発に携わってきた者として、笑ってしまうしかない。 けれど、いつかはそんな御伽噺の中に描かれているような世界に、一歩でも近づけるのではないかと思い、我々は努力し続けてきたのだ。 絵空事ばかりを追うのではなく、もっと地球のことに目を向けて、地球の中をもっと住みやすくすることの方にこそ力を尽くすべきではないのかと、何度も叩かれて、それでも挫けずに、いつかはSFを現実の物にと思って、ここまでやって来たのだ。 ここまで―― 「そのトンデモ小説のお陰で、私も君も、此処にいるのだよ」 この、星しかない空間に。 遙かな昔の人々が、空を見上げて想像力を働かせていた、まさにその場所に。 キャビンの窓からは、無数の星が見える。遠くに見える赤い星は、我々の目的地、火星だ。 「あの星は、SFが現実になる場所なのだよ」 私の言葉に、彼も窓の外へ目を向ける。 「君は新しい火星の姿が見れるのだろうね」 「博士もご覧になれますよ。緑の大地と化した火星の姿を」 すかさず言う彼には悪いが、いくら医療技術が日々進歩しているとは言え、それは見え透いたおべんちゃらだ。思わず眉をしかめてしまう。 「赤くない火星なんて、火星とは言えないよ」 「ええ?! やはりそうなんですか?」 私の言葉に、彼が声を荒げた。 「その意見は他の方からも出ているんですよ。うーん、やっぱりそうなんですねぇ。今更、困ったな。……まぁ、モニュメントとして地表の一部をそのまま残してはどうかという案も出てはいるんですが」 ……。 なにやら、若者とのギャップを感じずにはいられないが、その案には賛成だな。 「火星は比較的地球型の惑星だ、環境をそのまま残すのに、あまり問題はないだろう」 私の賛同に、彼が安堵の表情を浮かべた。 「火星は確かに、ですね。次の目的地のエウロパやタイタンなどは、一部残すとして、どこを残すかって悩みそうですが」 氷の星に高温の星か。 「ドームで丸ごと囲って保護区とするのも手だろうよ」 私がそう言うと、彼は「なる程、それは面白そうですね」と手を打った。 「我々人類がドームで生活するのではなく、その星の原始環境の方をドームに閉じこめて保存してしまうのですね。それは凄い。我々は、ここまでこの星を変えることが出来るという、画期的なモニュメントとなるでしょうね」 我々人類が、この星を改造したのだという証に、か。 拳を握り鼻息荒く興奮している彼には悪いが、私としては、そんなつもりで言ったのではないのだが……。 だいたい、本来、余所の星を造りかえるなどとは実におこがましい行為ではないか。 我々は、何だ? 神か? 創造主か? 宗教などという人間の作り出した精神的偶像は信じてはいないが、我々がこの宇宙の中で造られた存在であるという概念は、どことなくだが分かる。 この宇宙には他に生命体はいないのだろうか? この、どこまでも無限に広がっているように思える、人類にとっては広大すぎる遊び場は、本当に人類だけのものであっていいのだろうか? 人類は、どこまで行くのだろうか? ワープ機関の民間での使用許可も時間の問題だろう。百年、二百年単位で、人類はその居住地を宇宙に広げる。 今はまだ地球と、月の裏側に造られた小さな都市だけだが、順調にいけば百年は待たずに火星が手に入る。 火星が成功したら、次は木星の衛星、エウロパだ。 神の星、エウロパ。 より高次なる存在は、あの星には近づくなと警告を発していたが、我々は手を加えようとしている。 その時、審判の日に、神の裁きは下されるのだろうか? どうだろうか? ある程度火星開発に目途が立ったら、木星のラグランジュ・ポイントにステーションを建設することになるだろう。 技術革新は目覚ましい、エウロパやタイタンを開発する頃には、もっと短い時間、次世代を待たずにテラ・フォーミング出来るようになっていることだろう。 太陽系から、銀河系にまで及ぶのに、数世紀。 宇宙の尺度から見たら、ほんの束の間だ。 しかし、それはもう私の時代ではない。 私は、火星が地球化していく姿さえ見れるかどうかさえ、微妙だ。 全ては次世代の若者に委ねられる。そう、目の前の彼のような。 「議会で提案しても良いですか?勿論、博士の意見としてですが」 「構わないよ」 その頃には、私はもうこの世にはいない。後世に残る名に興味もない。 「それで、火星のモニュメントは、どこにする計画なのだね」 「はい。バイキング1号が着陸したクリュセ平原か、マーズ・パスファインダーが着陸したアレス谷が有力候補になってます。あの辺りは地形が安定してるので」 「カール・セーガン記念基地の辺りか。しかし基地をモニュメントとして残すというのは、味気ないだろう」 いかにも征服しましたという痕跡がして、平和主義を声高に叫ぶ連中から、また非難されそうだ。 「人面石と呼ばれた岩があったでしょう? あれなんかも候補には挙がってるんですよ」 人面石? ああ、あれか。 「20世紀の頃には、火星文明の名残だとか言われて、あの辺りには都があったと言われていたんだそうですよ。それで、面白いんじゃないかってことで」 確かにそんな話は聞いたことがある。我々科学者の間では笑い話に過ぎないが。 「勿論、半分ジョークなんですけどね」 「そうだろうな。バルスームの都と言えば、ヘリウムだしな」 「なんです、博士?」 聞き慣れない単語を聞いて、彼が首を傾げた。 「いや、何でもない」 オールドSF小説の話をしても、この若者には分かって貰えないだろう? 赤い星、火星と言う形容も、後少しのものだろう。 今後数百年で、火星は緑に覆われた大地へと姿を変える。 ここが赤く燃えた星と呼ばれた火星であった痕跡は、一部分だけ切り取られるようにして残されるモニュメントだけだ。 火星にはタコ型の火星人がいたと言われたのは昔の話だ。太古の文明があったと言われたのも、オールドSF小説の中だけのことだった。 地表の下には火星人の都市があると信じられていた時代は終わったのだ。 我々が、我々の手で、終わらせたのだ。 夢と希望と未来が詰まっていた、大フロンティア、赤い砂の星、火星。 その全てが、現実となる。 我々の生活の場となる。 しかし、私はいつまでも忘れない。 火星、赤き火の星、バルスームには、その昔、美しき姫がいたことを……。 【FIN】 |