『火星のプリンセス』 by 福娘紅子

 その惑星の人々は美人が好きだった。
『月には、プリンセス・カグヤという、すんごい美女がいる』
 膨大な予算の捻出も、研究の困難さも、その思いを妨げる枷にはならなかった。命の危険も何のその。神への冒涜?なんじゃそりゃ。
『美人に会いたい』
 その思いだけで、彼らは月へロケットを飛ばした。
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な躍進だ」

 床屋んちの真羅と、幼なじみの甲斐の悪ガキコンビは、チェリオをラッパ飲みしながらそのテレビ中継に見入っていた。店番をそっちのけで、甲斐のおやじも茶の間にいた。どうせ酒屋に昼間から買いに来る客は少ない。だいたい、みんなテレビを見ているに決まっている。
「カグヤ、居るかなあ」
 甲斐が言うと、甲斐のおやじが、
「馬鹿もの!カグヤ様と言え、カグヤ様と!ご機嫌を損ねると、出て来てくださらないかもしれん」
 結局、その日はプリンセス・カグヤは姿を現さなかった。
「やっぱ、あかんよ、アメリカ人は。美女に出て来てもらうにはなあ、みんなでドンチャン騒がないと。酒盛りして、歌って踊って。そうすりゃ、『何事か』と覗きに・・・」
「とうちゃん、天の岩戸じゃないんだから」
 5歳の甲斐がクールに突っ込んだ。

 その後、何発もロケットを打ち上げて、フラマウロ丘陵とかリットル峡谷とか、色々探して見たが、やはりカグヤは見つからなかった。
 戦争の方にもお金がかかることだし、そこで美人探しは中止された。戦争より、美人探しの方がずっと楽しいのに・・・と思う二人だった。

『火星には、デジャー・ソリスという、すんごい美人のお姫さまがいる』
 懲りない人々は、火星探索ロケットを送った。
 月での美女探索から30年以上経った頃。高性能カメラが火星の地表を撮り、メディアがその写真を何枚か公表した。
 残念ながら、そこには美人の姿は写っていなかった。茶けた地表に黒い石のようなものが点々としているだけだ。
 しかし、美女マニア達は浮足立った。
「おかしい。色調が不自然じゃないか?NASAが加工してるに違いない」
 世界中のマニアの間で論議になった。自分のホームページで、NASAの写真を色調調整したものを掲載する者や、NASAの過去や今回のコメントを分析して、ごまかしを指摘する者もいた。

 おじさんになった真羅と甲斐は、結婚もして子供もいたが、家が近所のせいか、未だにつるんでいる。
 二人でビールを飲みながら、パソコンのモニターを指さしたり、科学雑誌をめくったりして、時々袋から柿ピーを口に放りこみ、美女探索に余念がない。
「普通、到着したら、まず一枚パチリと撮らないか?」
 甲斐は相変わらず冷静に分析する。真羅は柿の種を噛み砕きながら、適当に受け答えした。
「最初の一枚は隠してるのかな?あ、でも、慌てたんで自分の足元撮っちまったり、指が入っちまったんじゃ?」
「・・・誰の指?」
 突っ込みの冷たさも変わらない。
「だいたい、家族旅行のデジカメじゃあるまいし」
 最近は、突っ込んでさらに追い打ちをかけて来るようになった。
 真羅は床屋の両親と同居しながらサラリーマンをやっていたし、甲斐は父亡き後に酒屋のおやじとなっていた。子供の頃は、家を訪ねるとジュースが出るので真羅はよく甲斐と遊んだのだが、今ではビールが出てくるようになった。いや、そのせいで甲斐とつるんでるわけではない。この歳になると、どこの家へ行ってもビールは出るのだ。
「で、この影。怪しいと思わないか?」
 甲斐はピーナツの塩気をジャージでぬぐうと、モニターの写真に触れた。
「ああ、この窪み?論議のマトになってる場所だね」
「・・・これが鼻。ここが左の目に見えないか?」
「そういえば。見えないことも無いな」
「明度調整してみよう」
 甲斐はそれを保存すると、フォトレタッチ・ソフトを立ち上げた。さっきの写真ファイルを開き、問題の箇所を拡大する。
「さて、と。少しずつ暗くしていこうか」
「・・・うわっ!顔だよ、顔!ほんとだ、甲斐、ここの石みたいのが瞳に見えるし!」
「これが、問題の美女の顔なのか?NASAが必死に隠そうとしているという・・・」
「それにここ、このパラシュート引きずった跡。これ、手の指に見えない?」
「ほんとだ!手の甲と指!」
 そのうち、中学の時に病気で死んだ1組の子の顔や、落武者の首も見えて来そうであった。
「くそう、NASA、やっぱり隠してたか」
「でも、何のために?」
「決まってるだろう?自分たちだけで美女の写真を一人占めしようとしたんだ!ゆるせーん!」
「それは許せん、確かに!」

 それからも、人類は、美女を探すために色々な星に探査機を送り込んだ。
 金星には、美女をけものに変える魔法使いがいるそうだから、美女は複数人数いるに違いない。土星のタイタンには妖女と呼ばれる美女がいるらしい。
「木星のガニメデには、優しい美人がいるっていうぞ」
「真羅、それは美人じゃなくて巨人だ」
 真羅は、孫の嫁に車椅子を押されて遊びに来るようになっていた。甲斐の酒屋も今は孫が切り盛りしている。酒のケースを台車で運ぶので店の前はバリヤフリーになっており、車椅子でも来易いようだ。もっとも、バリヤフリーだから真羅がここに遊びに来たがるわけではないのだが。
 二人はコードレス・モニターを縁側に持ち出し、渋茶をすすった。
「今日は、誰を見るかね?ヴィーナス?」
 甲斐はキー操作をして、探査衛星のモニターを切り換えた。彼は現在、3個の探査衛星を所持している。
「いや。久々に、デジャー・ソリスにせんか?」
「そうするか。オリンポスにでも登ってみるとするかね?プリンセスが山登りしているかもしれん」
 二人はクスクスと笑うと、暗い宇宙に設置されたカメラの映像を覗き込んだ。
 春の日差しはうららかに縁側を包みこんだ。庭の樹木をぼうっと霞ませるほど、いい陽気だ。
 モニターでは、荒れた赤い砂漠が、優雅にそして妖艶に、二人に微笑みかけるのだった。

 <END> 2004.4.21

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