「おひとりさまパーティー」 |
(一)
夏の終わりの夕暮れはまだ日が落ちきらず、マッチ箱のマンションたちが切り分けた空は、半端な紫と朱色に分断されていた。まるで安いカクテルみたいな配色。
ところどころ、気の早い窓が明かりをともし出す。
僕は冷蔵庫から発泡酒を取り出し、プルトップを引いた。
部屋から見えるのは、昨日と同じ、変わり映えのしない景色。中庭を隔てた古い鉄筋の壁と、同じ形に並ぶ窓、窓、窓。
そんなに注意深く景色を見たわけじゃない。だから、その窓を見つけたのは、偶然だった。
ひときわ明るい電灯のダイニングルーム、やたら派手な帽子を被った女性が座っていた。シルクだろうか、光沢のある鮮やかなボルドーに大きな庇。チュールレースや花が飾られた、大げさな帽子だった。
そう、外国映画なんかで、高級なレストランや一流の劇場でご婦人たちが被っている、あんなやつだ。
服は、座っていてよく見えないが、よそいきのドレスってやつでも着こんでいるのだろうか。
このあたりは、僕も含め、ぱっとしない収入の人間が住むぱっとしないマンションが並んでいる。日常的に高級レストランへ出かけるような町ではない。特別な日なのか、それとも特別な収入でもあったのか。まあ、なんにせよ、羨ましいことだ。僕は缶を飲み干して窓辺へ置いた。
ところが、数分後、その部屋に宅配ピザが届いた。
ホームパーティーでも始めるのかもしれない。その為の装いだったのか。まあ、レトロな時代ならまだしも、ホテルのレストランだってあんな帽子で行ったら浮くはずだ。
その考えもすぐに打ち砕かれる。女はワインの準備をしてたった一つのグラスにそそぎ、キッチンのテーブルですぐにピザを食らい始めた。
チーズの伸び方を確かめ、転がりかけたオリーブをてのひらで受け止め、指についたチリソースを楽しみ。
お客は来ないのだ。彼女の為のピザなのだ。全部彼女のピザなのだ。
咀嚼する度に帽子のチュールがゆらゆら揺れた。
おひとりさまパーティー。
僕は、気の毒なものを見てしまった気がして、自分のカーテンを引いた。
(二)
次の夜、僕は再びその窓に釘付けになった。
その風景を見るまで、正直昨日のことはすっかり忘れていたのだ。
例によって煌々と明るいその窓。女はテーブルにデコレーションケーキを広げ、切り分けていた。もちろん、一人で。
苦味の強そうな黒いチョコレートケーキはシンプルで飾りが少なく、ナイフに迷いも出ない。
横には、代官山に本店がある有名なケーキショップのケータリング用ケースがくしゃりと潰してあった。
腕を出したドレスの肩が白い。カクテルドレスというやつだろうか。髪はふわりとアップにして、キラキラと光るのは宝石かイミテーションの髪飾りでもしているのだろう。今夜も、おひとりさま、部屋でパーティー、らしい。
『おいおい、ホールケーキを一人で食うのかよ』と思って見ていたら、一切れたいらげると、残りはダスターへ放り込んだ。もったいないことを。
今夜は帽子を被っていないので、ぼんやりと顔は見えた。
あの格好から推測すると化粧もしっかりとしているのだろう、だがそれを割り引いても、そこそこきれいな女性に見えた。ヤケになってひとりパーティーするほど、モテない女でもなさそうなんだが。
言い訳するわけじゃないが、僕は特にその部屋を覗いていたわけじゃない。かのヒッチコック映画の「裏窓」でジェームズ・スチュアートが手にしていたような、双眼鏡なんて使っちゃいない。夜、カーテンを開け放した明るい窓の中のあれこれは、嫌でも目に入ってくるのだ。
たぶん僕だけじゃない。こっちの棟で窓辺にいた者なら、皆がその風景を見ただろう。
彼女は次の日は夏着物を着て、ケータリングの和食を食べていた。赤坂だか銀座だかの有名店のものだ。
翌日はゴスロリ風の黒いレースのドレスで、クール便で届いた通販のチキンのグリルを食べていた。そう、もちろん一羽丸ごと。例によって普通に一人分を食べて捨てた。
その翌日は、真っ赤なチャイナドレスで中華を。その中華料理店は最寄り駅のそばにあり、テイクアウトもできる。だが、彼女は宅配を頼んだらしい。何故わかったかというと、向かいのマンションの駐車場に、赤と黒の目立つその店の車が停まっていたのが見えたからだ。
部屋で一人で着飾って豪華な食事をするのが趣味だとしても、食材を買ってきて作ったり、仕事の帰りにテイクアウトしたりもできるはずだ。料理が苦手なのかもしれないが、紹興酒まで一緒に頼むのは、よくわからない。酒屋で買った方が、ずっと安い。重いから?いや、宅配でコーヒーも一緒に頼んでいた。
・ ・・彼女は、外に出ていないのじゃないか?
全てを宅配で済ませ、着飾って、部屋で暮らしているのか?
金持ちの愛人なのか?愛人が来た時に不在だとまずいので、ずっと在宅する必要がある、とか。だが、だったらもっといいマンションに囲うだろうし。いやいや、単に恋人が訪ねてくるのを待っているだけかもしれない。外に出る必要のない仕事、漫画家や小説家なんかかもしれないし。時々テーブルにノートパソコンを持ち込んでいたりもする。
僕がその女に気付いて、そろそろ二週間。
彼女は毎晩ドレスアップしてケータリングのご馳走を食べ続けた。
そして、知る限り、その部屋には、食べ物を届ける者以外は、一人も訪れはしなかった。
彼女がドアから外へ出るのも、一度も目撃したことはない。
ずっと部屋にいて、ずっとおひとりさまパーティーを続けている。
僕は、彼女が飲食しているか、パソコンをやっているか、それ以外を見かけたことはなかった。
(三)
「所長!うちもやられましたーーー」
若い調査員が、事務所のパソコンを見て悲鳴を上げた。
都内でも長い営業を誇る堅実な探偵事務所だった。自社のホームページのトップ画像が、トレードマークの精悍な黒犬から、白いプードルに差し替えられていた。
ここ数ヶ月、探偵事務所や弁護士事務所などのホームページがハッカーの被害に遭っていた。
こういう事務所は個人情報データを扱うパソコンはネットワークとは切り離しているので情報流出は無いが、ホームページ改ざんというのは、非常にイメージが悪い。信用が第一の商売である。顧客離れが顕著になる。ハッカーの被害に遭ってから客ゼロという事務所も少なくない。
警察は動いているが、個人情報を狙う営利目当てでなく、愉快犯であるため、犯人の特定が困難となっている。二件目三件目以降は模倣犯の可能性もあり、捜査は難航している。
(四)
彼女は今夜は何を頼んだのだろう。服装はOLのデート風スーツ。
イタリアンか、フレンチか。最近隣町の地中海料理レストランがケータリングを始めたらしいから、もしかしたらそこかも。
僕は缶チューハイを飲み干し、買ってきたハンバーガーをほおばった。
インターネットニュースでは、都内で二ヶ月ほど前から起きている強盗殺人事件が話題になっていた。(僕の部屋にテレビはない)
宅配業者やケータリングサービスを装いドアを開けさせ、住人を殺害して金品を奪うという悪質なものだ。
だが、冷たいようだが、僕は、皆が言うほど被害者が気の毒とは思わなかった。今の世の中、何も信用できない。不用意にドアを開ける方が悪い。
僕は、心当たりが無い限り、絶対にドアは開けない。宅配便はコンビニ受け取りにしているし、出前なんて頼まない。郵便の書留なんぞが来る時もあるが、呼び鈴には絶対応じず、配達員をやり過ごす。本物かどうか僕にはわからないからだ。後日、不在通知表を局に持参して受け取ればいいだけのことだ。
だが、今日、ネット上でかまびすしかったのは、被害者たちが、実際に宅配便の再配達を依頼したり、ピザの宅配を頼んでいたことが明らかになったからだった。
ピンポーン。
心当たりがない呼び鈴がなる。ここらあたりのマンションには、一階で一度ボタンを押してから入るなんていうセキュリティのシステムはない。
僕は息を潜めて覗き穴を覗く。
「鈴木様。ニューヨークピザのお届けです」
うちは鈴木なんて苗字ではないし、もちろんピザも頼んでいない。確かに表札は出していないけれど。
外見は、紅白のストライプ帽子と、白い上着に赤と白の縞のズボンの、街でよく見かけるあのユニフォームだけれど。
一連の事件の、犯人なのか?
僕は音がしないよう気をつけながら唾を飲み込んだ。
警察に連絡する気はない。面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだ。ドアを開きさえしなければ、決して危険なことはないのだ。だが緊張でふくらはぎが痙攣しているのがわかった。この痙攣は床を鳴らしてはいないだろうか。
「あ、すみませーん、うちです」
薄い壁越し、隣家のドアが軋み、能天気な声が聞こえた。
「ネットで入力する時、部屋番号を間違えちゃって」
その後すぐに商品と代金の日常的な会話が始まり、僕は胸を撫で下ろした。そして、あることに思い当たった。
『ハッキングか!』
強盗殺人犯は、ピザを注文したり荷物の再配達を頼んだりした者を特定できているのだ。それは、店側の、ネットで連絡した者のデータをハッキングしているに違いない。
凄いことに気付いてしまった。僕は少し得意になって、そのニュースで皆がワイワイ書き込んでいる掲示板にその旨を書き込んでやろうかとさえ思った。いや、そんなおとなげないことはしないが。
そして、ふと向かいの彼女の建物に目をやる。
駐車場にニューヨークピザのバイクが停まり、配達人がエンジンを切った。彼女はピザを頼んだのだろう。よく見かける紅白のスクーター。紅白の帽子に、白い上着に赤いズボン。・・・赤いズボン?
今隣室に来た配達人のズボンは紅白の縞じゃなかったか?
背筋に悪寒が走った。
僕は警察へ緊急通報した。
面倒ごと云々なんて言っていられない。彼女の命が危険にさらされているのだ。
「ニューヨークピザのニセのユニフォームを着た男が、一人暮らしの女性にピザを届けようとしているんだ!」
『部屋番号、わかりませんか?』
向かいだからマンション名は知っている。正確な住所もネットで一瞬でわかった。だが、部屋番号までは・・・。
「五階だよ、五階のどこかの部屋」
オペレーターはイタズラと思っているかもしれない。
『5マル、いくつでしょうか。それともフロアに十以上お部屋がありますか?』
ピザ屋は、向かいのマンションに入って行く。紅白の帽子を目深に被って。
エレベーターはすぐ来るに違いない。
僕は・・・ニューヨークピザのサイトを開いた。指がキーボードを走った。
「517号室だ!早く警官を向かわせてくれ!」
(五)
都内の高級レストラン、といいたいところだが、そこそこのレストランで、僕と彼女は向かい合って座っていた。
ハッキング(正確にはクラッキングという)は、懲役一年以下又は30万以下の罰金だが、初犯なので執行猶予がついた。
「女性の命を救ったので情状酌量の余地あり」と弁護士は主張してくれたが、ホームページ改ざんの件とは関係ないので却下された。しかも、警官が彼女の部屋を訪れた時、犯人は彼女にのされて、既にロープでぐるぐる巻きにされていたのだ。僕は全然彼女の命は救っていないわけで。
「おとり捜査って、日本では禁止だよね?」
その店では、まあまあいいワインを頼んで、僕たちはグラスを合わせた。
「警察は、ね。私は違うもの。ただの探偵事務所の社員」
彼女は、ある刑事から個人的に頼まれ、昼食と夕食、時にはオヤツも、ネットでケータリングし続けたのだ。
「ちなみに、あなたがトップページを猿山の写真に差し替えた探偵事務所よ」
「うわ。すみませんでした」
「ねえ、こんないいお店で、フルコースを奢ってくれるって。大丈夫?会社、解雇されたんでしょ?」
「ここが?だって、君、すごい店の出前を取ってたから、舌が肥えてるかと思って」
「経費で落ちるから贅沢しただけよ」
「なんだ。・・・あのドレスや帽子も経費?」
「退屈そうだから、厭きないように色々持って行ったのよ」
「あのすごいドレス、全部自前なんだ?」
「悪かったわね。着ていくところが無くて」
「・・・名門ホテルのレストランや一流の劇場は行けないけど。コスプレパーティーくらいなら、一緒に行けるよ」
彼女はくしゃっと笑顔になった。
「なに、それ。デートに誘ってるの?」
パーティーは、一人より二人の方が、きっと楽しいから。
<END>
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