『砂の城のローレライ』

 

(めるへんめーかー作『歌う竜』シリーズ「花冠のローレライ」より)

 

僕は砂になってしまった。

城を囲い、城を守る砂の泉の一部となった。僕はこの蟻地獄に捉まり命を落としたのだ。「意識」だけが存在し、さらさらと金色の粒を移動させては模様を作った。

駆け落ちだなんて、似合わないことをするからこんな目に遭ったんだろう。城の庭師の息子という分際で、お嬢様を連れて逃げるなんて。いや、手を引っ張られて無理矢理連れ出されたのは、ほんとうは僕の方だった。

 

『会ってみたらすてきな人かもしれないじゃないか』

城壁を乗り越え、僕は気が進まないままにローレライに手を貸した。

『いやよ、人が決めたいいなずけと結婚するなんて。ダサイわっ』

−だからって何も僕を巻き込まなくても・・・−

小声で言ったつもりなのに「何?不服なのっ?」と彼女の耳にしっかり届いていた。ローレライは僕に抱えられて塀を降りた。

『だって私たち、愛し合っているのよ。駆け落ちしなきゃウソよ』

僕はブンブン首を横に振った。誰と誰が愛し合っているって?そんな話は初耳だぞっ!!

砂に囲まれた城から出たことのないローレルは、恐いんだ。ここから出て、知らない男に嫁ぐことが。新しい世界に飛び込むのが恐くて、逃げ出そうとしている。幼なじみの僕を道連れにして。

そして、跳ね橋を渡る手間を惜しんだローレライが、砂の泉にはまった。助けた僕の方が力つきて取り込まれてしまった。

僕は死んでこの流砂の一部となり、僕の死を目の当たりにした彼女は、狂った。

 

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 

「ファンダリア王国、全国ダーツの旅〜!」

 王子は、壁に貼られたこの大陸の地図に向かい、ダーツを投げた。針は一回で陸地内に刺さった。ダーツが示したのは、砂漠の孤島と陰口叩かれるある小さな領地だった。

「おい、魔法使い。この領主に姫はいるか?」

「はあ。いらっしゃいます。御歳16歳になられます」

「ようし。それでいい。父上に報告してくれ」

「王子〜、いくら『早く決めろ』と王にせかされたからと言って。お嫁さんをそんな風に決めるなんて〜〜」

 側近魔法使いの悲鳴のような抗議は、無視された。

 

 

<1>

 

「ふぅぅぅ、やっと森を抜けたな」

竪琴を抱えた長身の男がほっとした声を出す。

「月が出てますよ、ジエイド王子。森の中では気づかなかった」

手風琴を背負った小柄な少年が、夜空に浮かぶ青白い満月を指差した。

満月の下には、城のシルエットが黒く浮かび上がっていた。

「城まであと少しだな。そろそろ『王子』はやめてくれよ、ブルー」

「了解、『ファーレル』。…あれ?」

ブルーと呼ばれた少年は目を細め、城壁の上を凝視した。

「何か動いて・・・。人だ!しかも女の子!」

長いドレスの裾が揺らめくのが見える。銀の縁飾りが時々きらりと光った。長い髪のすらりと細い娘だった。

「女とは限らんだろ。これだけ遠目なんだ。女装癖のある執事かもしれんぞ」

「またそんなひねくれたこと・・・」

「月夜に城壁で踊る奴など、まともなわけがないんだから」

「そりゃまあそうですけど」

もっと近くで姿を見ようと、ブルーは一歩を踏み出した。ずぼぼぼっと厭な感触がした。あっというまに足首まで埋まり、ブーツに砂が入り込んだ。

「うわっ、なに?」

片足の動きを封じられてブルーは尻餅をついた。

「気をつけろ、砂だ。いたるところに砂が川を作っている」

ファーレルが手を貸した。

「これが・・・。噂には聞いていたけど・・・。砂の中に建つ城かあ」

よいしょと立ち上がったブルーは、ブーツを脱いで砂を捨てた。きらきらと細かい粒が流れ落ちた。

「ブルー。おまえが正しいようだ。あれは女性だ」

唐突にファーレルがつぶやいた。彼は城壁の上で踊る影をまだ見上げていた。

「あれがローレライ姫なのだろう」

そして深くため息をついた。ブルーも、村で聞いた噂を思い出し、真似するようにため息をついてみせた。

 

 

<2>

 

「わたしたちは旅の歌うたいです。村で、こちらの姫君のお心が沈んでいるらしいという噂を聞き、お慰めしようと参上した次第です」

翌朝、ファーレルとブルーは城を訪れた。

艶やかな黒い髪を背中にたらし、琥珀色の竪琴をかかえる吟遊詩人は、緑の目とみごとなバリトンの美しい男だった。

手風琴のブルーは、華奢で背も低く、どこか妖精のような雰囲気を持っていた。銀の前髪からのぞくブルーアイが、いたずらっ子のような笑みを含んでいる。

しかし、この美しい歌うたい達を前に、領主とその妻は困ったように顔を見合わせた。

「お心はありがたいのですが・・・」

「娘は今、歌を聞いて理解できるような精神状態にはないのです。村を通っていらしたのなら、噂もお耳に入っているでしょうが」

「・・・・・。」

返答に困り、ファーレルは領主たちの次の言葉を待つ。

「私たちが、王子との結婚を承諾などをしなければ・・・」妻が突然声をつまらせた。

「ローレライがヴィーヴァと愛し合っていたなんて。母として失格です。全然気づきませんでした。ただの仲のよい幼なじみだとばかり・・・」

「知っていれば、あんなわけのわからん王子との婚約など、いくらでも破棄してあげたものを。わしたちも、よく知ったヴィーヴァとなら、反対などしなかったのに」

ピクリとファーレルの片方の眉があがった。

「・・・ わけの・・・わからん王子?」

「ファーレル!せめてご領主達だけでもお慰めしようじゃないか!」

芝居がかったブルーの大声に、ファーレルはふんと鼻で笑い、「そういたしましょう」と楽器を構えた。

「わたし『なんか』の歌がお気に召すとよいのですが」

ファーレルは、静かに歌い出した。それは大地の恵みや太陽の輝きを歌う美しい曲だった。やさしくそして元気が出るような。

妻はハンカチーフで目元を抑え、領主は目を細めた。歌いながら、ファーレルは目の端で、窓から金色の髪の娘が覗いているのをとらえた。

まるで子供か猿のように、こっちを珍しそうに凝視していた。

「ありがとう。すばらしい歌であった。金貨と、今夜の晩餐とベッドをさしあげよう。晩餐でもまた歌っていただけるかな」

「御意。『こんな』流れ者の歌でも、お慰めできたことを嬉しく思います」

ファーレルは、これでもかというくらい深深とおじぎをしてみせた。そして限りなく絨毯に近づいた顔は、べえーっと舌を出していた。

 

 

<3>

 

夕方までいとまを貰った二人は、庭に出てさっきの娘を探した。窓からのぞいていた娘だ。だが、もう庭には人影はなかった。

ファーレルたちは、砂の泉のほとりにしゃがみこんだ。

「やれやれ。すっかりわたしは悪者のようだ」

「だって悪者じゃないですか。自分をフったローレライに仕返ししようとしてるんだから」

 

* * * * * * * * * * 

聞きなれない若い男たちの声だった。僕はローレライの名前が出たので、意識を集中して耳をそばだてる。

金の砂の表面に映る人影を確認した。

・・・近くに。どこか近い場所にローレライがいる。ローレライの気配は、声がしなくても僕にはわかった。建物の陰から二人の様子をうかがっているのだろう。

* * * * * * * * * * * 

 

「人聞きの悪い。わたしは、一国の王子との婚姻を拒否して庭師とかけ落ちしたという姫に興味があって、一目見てみたいと思っただけだ。仕返しなど・・・」

「相手が死んで姫が狂ったと聞いて、嬉々として『見に行こう』って旅立ったくせして」

「否定はせんがな」

ファーレルはポロンと弦をはじいた。まっすぐな前髪が青年の顔にかげりをつける。ブルーは横目で盗み見た。

ダーツで婚約者を決めたくせに。ローレライの肖像画だって、ろくに見たこともなかったくせに。

愛さないくせに裏切りは許さない。

『あなたは、まさに、王のうつわですよ』

その時、建物の陰から人が飛び出してきた。殺気がなかったので、ファーレルは短剣を抜くのが遅れた。しかしそれは必要なかった。人影はファーレルの胸に抱きついた。

「ヴィーヴァ!帰って来たのね!どこへ行ってたのよ、私を置いて」

金のウエーブが波打った。ふわりと甘い花の香りがファーレルの鼻腔をくすぐる。

クリスマスプレゼントを貰った子供が、父親に抱き着いたみたいだった。

だが、娘の頬も胸も腕も柔らかく、年頃の女性のものだ。ファーレルは金属みたいに無表情に、娘を引き離した。

「人ちがいですよ、お嬢さん。いや、あなたがローレライ姫ですね。わたしは旅の歌うたいでファーレルと申します」

娘は小首をかしげた。どこまでファーレルの言葉を理解しているのかはわからなかった。

「なんだ。ヴィーヴァじゃなかった。…わたくしに気安くさわらないでよ!」

娘は体を離すと、ぷいとむこうへ行ってしまった。

「このぉ、あまーーーーっ!ぶっコロスっ」

「ファーレル、お、落ち着いてくださいよぅぅぅ」

と、その時、興奮したファーレルが足場を踏み外した。体はバランスを失い、砂の泉の中に落ちた。

「いててて…」

打った腰を撫でながら、立ち上がろうとしたが、ずぼっと足が深みにはまった。

「ファーレル!」

みるみるファーレルの体が沈んでいく。砂がファーレルの作る窪みに水のように流れ込んで行く。

「うわっ。早く助けろ、魔法使い!」

ファーレルは砂に腰までつかりながら悲鳴をあげた。

「そ、そんな。僕は魔法を使えない劣等生だって言ってるでしょう! ちょっと待ってて、ロープか棒を探してきます」

「何をどう待てというんだぁぁぁぁ」

ファーレルがもがけばもがくほど、体は沈んで行く。小走りで離れていくブルーの背中が見える。顎の先が砂の表面に触れた。襟首から砂が入り込んでくる。ファーレルはきつく口を閉じ息を止めた。あわてて目もつぶる。

 

 

<4>

 

『いやっ、サソリだわ』

十歳になっているだろうか、金色の髪の少女が庭で遊んでいる。どうやらここの城の庭のようだ。隣に立つ少年は、少女より少し大人びていた。

『ヴィーヴァ、恐いわ、殺しちゃって!』

『これは毒サソリじゃないよ。恐いものじゃない。サソリは害虫を退治してくれるし…』

『いやっ、気持ち悪いもの。私が始末してって言ったら始末して!』

少年は肩をすくめると、そばにあったスコップでサソリを叩き潰した。固そうに見えた外殻はあっけなく破壊され、中から黒っぽい液体が出て砂に染み込んでいく。

 

今度は13歳くらいになった、同じ少女がいた。レースで飾られた部屋の天蓋付きベッドに、寝間着のままでうずくまっている。

『ローレライ、馬車の用意ができたそうだよ』

さっきの少年が、すでに青年と言っていい年齢になって扉をあけた。

『なんだ、まだ準備してないのか。侍女達はどうしたのさ』

『レディの部屋をノックもせずにあけないでちょうだい!』

『はいはい、失礼しました』

青年は、小さな子供をなだめるような笑みを作る。

『隣の国の舞踏会に遅刻しちまうぞ。舞踏会デビューだろ。おとうさまたちももう馬車でお待ちだよ』

『…行かない』

『えっ?』

『行きたくない。行かない。あのドレス、子供っぽくて笑われちゃうわ。それに、つまんなそうだし、時間の無駄よ。私、寒気がするの。風邪ぎみだから、行けないわ』

『ローレライ…。初めての舞踏会は不安もあるだろうけど、きっと楽しいこともたくさんあるよ。ローレライは行ったことのない国だけど、おとうさま達も付いてるじゃないか』

『…。』

『いつまでも、引きこもってちゃだめだよ。外の世界も少しは見ないと』

『偉そうなこと言わないで、たかが庭師の息子のくせして! 出て行って! 頭痛がすると言ったでしょ!』

『寒気じゃなかったっけ?』

ローレライはきゅっと唇を噛むと、手元のぬいぐるみを青年に向かって投げつけた。青年はあわてて扉を閉じた。

 

『会ってみたらすてきな人かもしれないじゃないか』

城壁を乗り越え、男は気が進まない口調でローレライに手を貸した。

『いやよ、人が決めたいいなずけと結婚するなんて。ダサイわっ』

『ローレライ、そっちは駄目だ、砂の川がある。跳ね橋を渡ろう』

『だって、橋には守衛がいるわ』

『説得してみて、ダメなら買収してみて、それでもダメなら戦ってみる』

『そんなまどろっこしいの、御免だわっ』

そして、跳ね橋を渡る手間を惜しんだローレライが、砂の泉にはまった。

『ヴィーヴァ!助けて!何とかして!』

青年は必死に手を伸ばす。自分が砂に足を踏み込んでいることにも気づかず、夢中で腕を差し伸べていた。

 

* * * * * * * * * * 

僕は、たとえ「かけおち」だろうが、ローレライが外へ出ようとすることは、悪くないと思ったんだ。もちろん、ほんとにかけおちするつもりなんかなかった。村で生活して、人と接して、新しいものに立ち向かうことに免疫ができればいいくらいに考えていた。あんな事故に巻き込まれるなんて、計算違いだったんだ。

ローレライは罪の意識で、ますます殻に閉じこもってしまった。

* * * * * * * * * * 

 

ファーレルは、背中にしっかりした芝の感触を確信し、目をさました。

「大丈夫ですか、ジエイドお…ファーレル」

ブルーの心配そうな顔が覗き込んでいた。

「大丈夫なものか、耳の穴まで砂が入った」

ブルーは先が鉤になった棒を握っていた。まるで魚でもひっかけるように、釣り上げたらしい。失礼な助け方だ、とファーレルは少しむっとした。

ファーレルは半身を起こし、髪や服の砂をはらった。ケープのひだや袖の折り返しにまではいりこんだ砂が、ぱらぱらと芝生の上にこぼれおちた。

あれは…何だったんだろう。泉には死んだ例の青年の思念が残っているのか?

「ブルー。ローレライとの婚約は、別に破棄になったわけではなかったよな?」

ファーレルの唐突な確認に、ブルーは怪訝な顔になった。

「はあ、まあ、はっきりと断ったわけじゃありません。表向きは、姫のお体の具合が悪いという連絡があって、お輿入れは延期ってことになってます」

「紋章入りの正式な便箋を持ってきておいてよかった。領主殿に催促の手紙を書こう。姫の具合はいかがですか、こちらは待ちわびておりますってな」

「そ、それっていやがらせ?」

「人聞きの悪いことを言うな。ちょっと、興味が出てきた、あの姫に」

ファーレルは、まわりに零れた砂を一粒、人差し指に付着させて拾い上げた。

「気の毒な男だ。いや、気の毒な女だ、と言うべきかな。彼は、なかなか懐の深いいい男だったようだが。彼を愛してなかったなんてな」

「それって…ローレライ姫と恋人の庭師の話ですか?」

ファーレルはその問いには答えず、ふっと指に息を吹きかけて砂を吹き飛ばした。

「あの女は、誰も愛してないよ。愛しているのは自分のことだけ。わたしと同じだ。いい組み合わせだと思わんか?」

ブルーは返事に困って、大袈裟に肩をすくめてみせた。

 

 

<5>

 

ブルーが村のメッセンジャー屋に出かけ、ファーレルは城に一人残された。

咎める者がいないと、人は、ちょっとしたタブーやいたずらを試してみたくなるものだ。ましてや「コドモ」なら、なおさらだ。

ファーレルは、ローレライの部屋と思われるピンクのレースの窓の近くに腰を下ろすと、竪琴の弦をつまびき始めた。案の定、金色の頭が、ちょこんと窓から飛び出した。

ファーレルは、軽快なメロディをつまびきながら、「こんにちわ!」と話し掛けた。

「…!」

頭は慌てて陰に引っ込んだ。

「あれ、気のせいだったのかな?金色の小猫がいたような気がしたのだが。

自分の為だけに歌うのはつまらないものだな。小猫ででも、聞いてくれる者があると張り合いがあるものを」

大声で独り言を言った後、ファーレルはおどけた調子で歌い出した。

頭は、そろりそろりと顔を出した。ファーレルは横を向いたまま歌いつづけ、気づかない振りを続けた。

歌は、楽しくちょっと風刺の効いた願い事の童話で、女房の鼻にソーセージがくっつくくだりでは、「小猫」はきゃっきゃと笑い声をたてた。

歌が終わると、ファーレルは断固とした足取りで窓辺に近づき、カーテンの陰に隠れてしまった「小猫」に話しかけた。

「はじめてお目にかかります。ローレライ姫でいらっしゃいますね。わたしは旅のうたいびとです」

「……。」

姫は息をひそめて隠れている。

「確かにわたしは下賎の者です。お姿も見せていただけないほどなのでしょう」

「いえ、そんな!」

声に狂人の響きはない。いたってマトモな反応が返ってきた。

「それとも、わたしの歌がお気に召さなかったのでしょうね」

「いえ、そんな。久しぶりに笑いましたわ」

ローレライは、カーテンから姿をあらわした。これから一生幼なじみの喪に服して部屋に閉じこもるには、若くて美しすぎる娘だった。ファーレルはひざまづいて手の甲に口付けした。

「なぜ狂人のしばいを?」

「そうでもしないと、すぐに嫁がされてしまいますから…」

「そんなにご婚礼がおいやなのですか。きつい言葉ですが、死んだ者は帰りませんよ」

「……。ひどいことをおっしゃるのね」

「ま、ずっとこのお城にいらっしゃるなら、領主殿もお喜びでしょう。溺愛とお見受けしました。王子からの申し込みを断るわけにもいかず、仕方なく受けたものの、ほんとうは姫を手放したくないのでしょう」

「父の思惑は存じません」

「王子側から婚約破棄させる方法を教えてあげましょうか」

「何ですの?」

ローレライは顔を輝かせて身を乗り出した。ファーレルはその機会をのがさず、抱きしめて唇を奪った。

「何するんですのっ!」

「流れもののうた人びととねんごろになったという噂が、あちらの国に伝われば、断ってきますよ。わたしの子供でもはらめばまず間違いなく」

「バカ言わないでちょうだい!」

「かけおちした庭師殿は、あなたに指一本触れなかったとみえる」

「当たり前でしょう!ヴィーヴァは私にとって兄のような…」

言いかけて口をつぐんだ。

「恋していたわけではなかったんですね?」

姫はその言葉を肯定するように、顔を両手で覆った。

「わたしは、彼の眠るこの砂の泉を見守りつづけるつもりです。どこへも行きません」

「それは、罪ほろぼしですか。それとも、外へ出たくないいいわけ?」

パシンとローレライの平手がファーレルの頬を打った。

姫は物も言わずにファーレルの前でカーテンを引き、鼻先で窓を閉めた。

 

 

<6>

 

「そのほっぺた、どうしたんですか。指の跡みたいのがついてますけど」

戻って来たブルーが、目ざとくファーレルの頬を指差した。

「まるで小猫にでも引っかかれたみたいですよ」

「そうだよ」

「いじめたんでしょ、どうせ」

「まあな。…領主殿がせっかく晩餐に招待してくれたんだ、とりあえず出席してやろうじゃないか」

 

晩餐では、ローレライは手掴みで料理を食べてみたり、果物をファーレルにぶつけたり、狂った真似を続けていた。ファーレルが歌の準備をしていると、手紙が届いた。

「どうしたものか」と思案に暮れる領主。

「はっきりと断った方がいいかのう」

ファーレルが口をはさむ。

「王子はかなりわがままで横暴な男だそうですよ。王家のプライドを傷つけたとか何とかいちゃもんをつけて、きっと領地を没収、領主様ご一家を投獄・・・」

「と、投獄!」

ローレライでさえ食べ物を取り落とした。

「僭越ですが、意見させていただきます。領主様ご夫妻は、姫を甘やかせすぎてはいませんか。いくら大切だからといって、城の中で庇護していては、精神的にも成長しませんよ。

もっと外の世界に出て、もっと心を強くすることをお勧めします。お心が強ければ、あんなことで狂ったりはしなかったでしょう」

「狂ったと申したな!うちの姫を!」

領主は怒りで席を立ちあがった。

「領主に意見するなどと、吟遊詩人のくせに出過ぎたことを!」

「姫のわがままで、領主様が投獄等ということになれば、ご領地は荒れますよ。今は、平和で穏やかな土地のようですが」

「出て行け!今すぐこの城から出て行けーーー!」

 

「せめて、料理を全部食べ終えてからにしてほしかったな」

手風琴をしょったブルーがふくれた。

「まあ、そう言うな」

「森で野宿はイヤですよ。村へ急ぎましょう」

「もう少し待ってくれよ」

ローレライの部屋の窓があいて、姫がこっそり抜け出してきた。

「父が短気でごめんなさい。砂の川に気をつけてください、夜だと見分けがつきにくいです」

「わたしのために部屋を抜けてきてくれたのですね。ありがとうございます」

「別にあなたのためじゃありませんわ。

あの…本当に私たち家族は投獄されるのですか?」

「されませんよ」とケロリと言う。

ほっとした表情になるローレライ。と、ファーレルはローレライを抱き上げた。

「あなたは、ちゃんと王子に嫁ぐことになるのですから」

「な、何をなさるのです!」

「このまま連れて帰ります」

「やめてよっ!人さらい!誘拐魔!…えっ、連れて帰る?」

「このまま、王宮にお輿入れしていただきます」

「いやよっ! ・・・あなたは何?王のスパイ?」

「どうして私のまわりにいる者は、みんなわたしのことを悪くみるのでしょうねえ」

抱きかかえて歩いても、ファーレルはびくともしない。

「わたしは、あなたが気に入りました。あなたが初めて船に乗って恐れおののくところや、嵐に震えるところをみたい。何も遮ることのない朝焼けが空と海を染めるのを、瞳を輝かせて見つめるところを見てみたい」

「あ、あなたは…」

「わたしがジェイド王子です。あなたのいいなずけの」

「だ、騙したわねっ!」

「自分こそ。狂ったふりしてたくせに」

ローレライは指摘されて赤くなった。

「わたくしを連れてこの城を出られるわけがないでしょう。橋には守衛がいます。見咎められますわよ」

勝ちほこったように微笑むローレライに、ファーレルも笑いかけた。

「もちろん、橋を渡るつもりはありません。泉を渡って行きます」

「狂ってるわ!私を殺す気?」

「それは…彼の意志次第ですね」

泉の前で、ファーレルは歌い始める。ローレライを抱きかかえているので、楽器がつま弾けず人の声だけの歌だったが、それは砂の一粒ずつにも染み入るような美しくやさしい歌だった。

ファーレルは、砂の中に足を踏みいれる。ざざっと砂の表面が崩れ、足を飲み込む。

「やめてください、ファーレル!」

ブルーがファーレルのマントをつかんだ。

「せめて世継ぎを作ってからにしてくださぃっっっっ!」

「自殺するつもりはないよ。…ヴィーヴァ。頼むよ。君もこれが一番いいと思うだろ?」

ファーレルが泉に向かって話し掛けると…。ざざざざと激しい音がして、左右に砂が引いていった。

「えっ、なにこれ」

ブルーも唖然とし、ローレライも息をのんだ。

砂が、大波が砕ける形のまま停止した。まるで時間が止まったように。ファーレルが足を踏み入れた場所からむこう側のほとりまで、赤茶色のしっかりした土がむき出しになって、絨毯が引かれたようにまっすぐと伸びていた。

「うわっっっ。なんかどっかでみたようなシーン」

ブルーが立ちすくんでいると、ファーレルが促した。

「早くしろ。すぐに崩れてくるぞ!」

ファーレルはローレライを抱いたまま、大股に地面を駆け抜けた。王子の分の荷物を持たされたブルーも後ろに続く。背後を砂がどさどさ落ちてくる音が聞こえた。

「ひぇぇぇぇ。ファーレル、早くしてください、後ろがつまってますよぅ」

「ファーレル、降ろしてください。私も走りますから!」

「…え?」

「わたくしを抱いているとどうしても遅くなります。

逃げたりしませんわ。早く!このままじゃ三人とも死にます!」

ファーレルはその言葉をきいてかすかに笑ったようだった。彼はローレライを降ろすと、腕をひっぱって走り出した。

 

むこう岸までたどりついた三人は、膝をついて草の上にはいつくばった。

「わたくし…こんなに…本気で走ったの…はじめてです」

ローレライは乱れた呼吸の中で、とぎれとぎれに言った。

ファーレルも草に寝転がったまま答えた。

「けっこう楽しかったでしょう?」

「そんなわけないでしょう!…ドキドキしました。こわかった。砂にのみこまれるかと思った」

「そうかなあ。わたしは楽しかったですよ」

「……。」

「みてごらんなさい」

ファーレルが、今来た道を視線で示した。砂はもうもとにもどり、泉の水面の穏やかさを取り戻していた。青い月が砂の一粒一粒をきらめかせた。遠く城の影が映えた。

「この泉を渡ってきたなんて…。この泉にあんな奇跡が起こったなんて!」

「ヴァーヴァは、あなたが外に出ていくことに賛成のようですよ」

コクリとローレライはうなずいた。

砂は夜を写し星屑をちりばめたように輝いている。

幼なじみのヴィーヴァ。彼が眠る砂の泉。

『わたしは、行っていいのね?』

砂はきらきらと輝き、イエスと言ったように見えた。

 

村の宿屋のおかみは、表に出ないローレライの顔は全く知らないらしかった。まして、ファーレルのマントを巻いて異国のドレスのようにまとう、髪も降ろした娘が姫だなどとは想像もできなかったことだろう。三人は特にとがめられることなく、宿を取った。

「ブルー。私たちは婚約者同士だ。気を効かせろよ」

 部屋に運ばせた粗末な晩餐の後、ファーレルはブルーに耳打ちした。

「もう〜、ジエイド王子! 婚礼前に、あまり悪いことはしないでくださいよ」

「悪いこと? 『イイコト』はしても『悪いこと』はしませんよ」

「まったく・・・」

『気を効かせた』ブルーが宿の外に出て、月の下、しばらく手風琴を奏でていると、月が雲に隠れた頃には王子も荷物を持って抜け出して来た。竪琴を抱え、マントをひるがえして。

「さ、行くぞ。ほら、お前の荷物だ」

「行くぞって。姫は?」

「酒に盛った薬がよく効いたようだ。ぐっすり眠っている」

「・・・。」

「明日の朝。目が覚めて、ローレライはどうするかなあ。

 わたし達のベッドはもぬけのカラ。金も持っていなくて、文字通り裸一つ」

 王子は、ローレライのドレス代わりだったマントをブルーに向けてひらひらと振った。

「『領主の姫です』と名乗れば宿の代金は父親が肩代わりするとしても。旅の楽士とねんごろになったことは隠せない。

身分を隠せば、よくてもあの宿でタダ働き。運が悪ければ、どこかに売られるかもしれんな」

 ブルーは絶句して、ファーレルの顔をまじまじと見上げた。色白で整った冷たい顔だち。闇の中で、王子の瞳だけが、猛禽類のように生き生きと輝いていた。

『この人は・・・自分を一度否定した者を、絶対に許さない・・・』

「だが、どの人生が一番面白かったかなんて。けっこうわからんものだぞ?」

 王子は片目をつぶってみせた。そして、竪琴を抱え直すと、歩きだした。

 ブルーも急いで後を追う。ブーツのヒダから、一粒、金の砂が石畳の道に落ちて、きらりと光った。

 朝までは、まだまだ時があるだろう。

 砂の城の姫よ、ゆっくりと眠れ。

 

<END>

 

 

この作品は、

ファンタジーマンガの大御所・めるへんめーかーさんの『花冠のローレライ』(「歌う竜」シリーズの中の一編)を元にして書いたものです。

めるさんのお話ですから、元は、もっと可愛くて健全で美しいお話です。

わがままなお姫様が、許嫁との結婚が嫌で、兄のような庭師の息子と駆け落ち。庭師の息子は砂に飲まれて死ぬ。姫は狂う。

この設定は、同じです。

原作は、楽士コンビ(主人公たち)と王子は別の人です。ラストは、正気にもどった姫と許嫁の王子がハッピーエンドで終わります。主人公の楽士は本当は、プレイボーイながらも、もっとのほほんとしたいい人です。楽士の共も『少女』で、彼を好きという可愛い設定。

 

小説の描写練習で、マンガを小説化していた時期がありました。描写の練習になりやすい異世界ファンタジーに絞ってマンガを探し、「花冠のローレライ」を見つけました。

『砂に囲まれた城』と『狂った姫』という設定が好きだったからです。

原作が、私が書いて楽しいモノとは違う、健全で可愛らしいお話だったので、もうほぼ私が勝手に変えてしまいました。

というわけで、こういう作品になりました。

私の描くオトコは、みんな性格が悪いなあ・・・。

 




              <END>

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