「タイタンの獅子」

--そんな「どうぶつの森」惑星 --




 1.「タイタンの獅子」

色とりどりの月たちが、靄のかかる夜空に浮かんでいました。そういうここも、土星の月にすぎないのです。
獅子は、今日も(昨日やおとといや何日も前からと同じように)、その建物の残骸を掘り起こしていました。二足歩行で上手にスコップを握っていましたが、目当てのモノは見つかっていないようです。汗で額に張り付いたたてがみをかきあげ、獅子は深くため息をつきました。
折れた柱や崩れた壁に混じり、たくさんの書籍が土にまみれていました。布張りや箱入りの立派な装丁の本ばかりです。仲良しだった亀くんは、この建物に住み、自慢の蔵書に囲まれて暮らしていました。もちろん、崩れる前は、ですけれど。
堅い甲羅の亀くんが、この程度の瓦礫に潰されてしまったとは思えません。この中でまだ眠っているのか、土の中を移動して出ていったのかはわかりませんが。もし眠っているとしたら。獅子は、自分ができることをしようと、こうして毎日スコップで掘り起こしているのでした。

地球からタイタンに連れて来られた獅子の、彼は三代目で、そして最後の獅子でした。仲間は全員死んでしまいました。
窒素とメタンの大気。マイナス180度Cの気温。この中で生活できるようDNA操作された動物たちが、たくさん連れて来られたのだそうです。祖父母の獅子達もその一行の中にいました。
父母は彼に狩りを教えずに亡くなりましたが、人間達が作った「しくみ」が残っていたので、食べ物には困りませんでした。「しくみ」は、「工場」という地域にたくさんあり、地球から持って来たらしい材料を使用しながら今も作動しています。地球人が村というものを作れた場合、100年は「きれいな水」や「たんばくしつ」などを提供できる「しくみ」だったそうです。
だから、獅子は狩りができません。ただ、彼を見ると動物たちはみな逃げたので、友達はできませんでした。堅い甲羅の亀くん以外は。
獅子がぼんやりとエタンの海を見ていた時、亀くんは近くの岩場で読書をしていました。逃げる様子も隠れる様子もなく、ずっとそこにいました。
「僕がこわくないの?」
すると亀くんは初めて本から目を離して、
「ふぉほほほ。・・・若いのう」
と笑いました。それから亀くんは本を一冊貸してくれて、そうして友達になりました。

「なにしてんだい?オレも手つだおうかい?」
耳元でした声に、獅子は飛び上がりました。亀くんのことを思い出して、ぼんやりしていたようです。
声の主は白いウサギでした。でも目は赤くなくて、ターコイズのような濃いブルーでした。
「ここを掘ればいいのか?スコップ貸せよ。・・・で、どんなお宝が出てくんだい?」
ウサギは、唖然としている獅子からスコップを奪い取ると、土を堀り始めます。
「君、僕がこわくないの?」
そういえば、亀くんと会ったときに初めて口にしたのもこの言葉でした。
ウサギは鼻の下をこすると
「オレに怖いものなんてねえよ」
と笑いました。
「ああ、そうか。おまえが肉食獣だからか。オレはサイボーグなんだよ。だから食えねえよ」
「サイボーグ!・・・地球から来たの?」
「ああ。移住船に乗せられてね」
「じゃあ、亀くんのことも知ってるよね?」
「あの本オタクの亀じじいか。ああ、一緒に乗って来たよ。偏屈なじじいだった」
「ひどいこと言うんだな。僕の友達なんだ」
「友達?そうか、すまねえ。機械なんで、ウソやお世辞が言えないしくみになってるんだよ。悪かったな」
「亀くんが埋まっているかもしれないんだ、この下に。それで掘ってたんだ」
「えーっ?・・・なんだ、お宝じゃないのか」
ウサギはスコップを放り投げましたが、獅子に睨まれてまた拾って握り直しました。
「そう言や、立派な本もいっぱい埋まってるな。亀じーさんの家だったのか。でもなんで?人間の建物がそう簡単に崩れるわきゃないだろ」
「・・・。」
「リセットスイッチを押したのか?」
「わからない。誤作動したのかもしれないし」
人間の居住していた建物には、「リセットスイッチ」というものがついていました。人間がこの星の生活に絶望した時に使う「しくみ」で、それぞれの好みのやり方で「終わり」にできるプログラムが組み込まれていました。
「亀じーさんが押したのなら、そっとしておいた方がいいと思うぜ」
「間違えて押したのかもしれない」
「コンピューターがしつこいほど確認するんだぜ?」
「だって、僕がいるのに。僕がいたのに」
「・・・・・・。」
ウサギは無言で、スコップを獅子に握らせました。
「ま、がんばれよ、ほどほどに」
そして獅子の肩を叩くと、「じゃあな」と去って行きました。
獅子は、また作業を始めました。スコップに足をかけ、体重を乗せて掘りました。スコップに寄りかかるようにして、掘りました。
たくさんの月たちが、そんな獅子の背中を照らしていました。


2.「泣かないウサギ」

そのウサギは青い瞳をしていました。普通、白いウサギは色素が薄いので目も赤いものです。でも、そのウサギはサイボーグなので、彼を手術した獣医博士の好みで、青い瞳をしていたのでした。
「私はね、いかにも『私は今まで泣いていました』みたいな赤い目をして扉から出て来るような女は大嫌いなのさ。だから、おまえの瞳も、赤でなくブルーにしたよ」
博士は、彼にそう言いました。
博士もタイタン行きの船に乗る予定でした。博士は、地球も、地球のしきたりも、地球の人間も大嫌いでしたから。でも、直前に事故に遭って入院し、船に乗れなくなってしまいました。船には、別の獣医博士が乗りました。ウサギ用の、25ページのマニュアルと2枚のカルテを持って。ウサギは、「オレのすべては、25ページと2枚なんだな」と思いました。

一緒に船に乗って来た人間たちは、タイタンの微生物から病気になり、有効なワクチンが開発される前に多くの人が死にました。例の代理の博士も死にました。
人間が全部死んでしまったあとも、DNA操作された動物たちはたくさん生き残りましたが、もともと連れて来た数の少なかった肉食獣は、わずかな頭数しか残りませんでした。
ウサギは、ゴツゴツと険しい溶岩のような地面を歩きながら、
『さっき会ったあれが、最後の獅子だろうな』
自分の頭の中でデータ照会をする前からそう思いました。
『肉食獣でも、イタチとかキツネあたりはまだいるだろうけどな』
体の大きな種から倒れていく。人間同士の闘いとは反対に、自然の食物連鎖の闘いは、小さいものの方が有利でした。
ゆるい上り坂をのぼって行くと、かつて人間の学校があった場所に出ました。建物は壁にひびが入り所々崩壊していますが、まだ形は残っています。そこに、何種類かの小動物がたむろしているのを発見しました。
「やあ。みんな、ここに住んでいるの?何の種類が何人ずついるの?」
ウサギは、壁に背をつけて座り込んでいるりすに話しかけました。りすの尾はところどころ毛が抜けて、決して美しいとは言えぬ毛並みでした。
「なあに、あんた、地球の人間のまわしもの?」
りすは、長いまつげを目ヤニで張り付かせたまま、ウサギを睨み付けました。
「なんだ?」「だれか来たって?」
手長猿やらタヌキやら猫やらアヒルやら。十匹近い小動物たちが、りすの声を聞いてわらわらと集まって来ました。一階の教室の窓から、昇降口から、建物の陰から。
「君らは、ここで共同生活してるのか?」
地球の人間のまわしものと言われれば、そうかもしれないとウサギは思いました。タイタンでの動物の生息状況を、定期的に地球に連絡する作業をしているからです。
「もうここにはこれ以上の動物は住めないよ」
リーダー格らしいタヌキが、一歩前へ出て言いました。
「ここに住むつもりはないから、心配無用さ。しかし、この広い建物がいっぱいとは、いったい何匹住んでいるんだ?」
「そうか、ここに住まないならいいんだ。僕が把握できる人数が手一杯だってだけのことだよ。時々、『寂しいから一緒に住んでいい?』なんてでかい肉食獣が来たりするんだ。とんでもないよ」
「獅子のことか?」
「アレに会ったのか?・・・こっちは小さな草食動物ばかりなのに、一緒に住めるわけがない。アレが近づいて来ただけで、ここは大パニックだったよ。みんなで一つの教室にたてこもって全部のドアにつっかえ棒をして、窓を少しだけ開けて、そこから交渉をした」
ウサギは、獅子が、『僕が怖くないの?』と、自分の方が怯えているような口調で話しかけたことを思い出しました。
「飢えてなければ、獅子はいたずらに動物を襲うことはないけどね」
獅子の為に、ウサギは、精一杯はっきりした声で、そう言っておきました。
「でも、ここのみんなと暮らしても、獅子はよけい寂しくなるだけだったろうね」
「僕らが臆病だって言うのか?僕らは、力を合わせて、お互いを思いやりながら暮らしているんだぞ。弱い者同士、肩を寄せ合って。肉食獣なんかと、一緒には暮らせない。僕らは細々と暮らしているけれど、それなりに幸せなんだ」
ウサギは、タヌキの演説を聞きながら、『それなりに幸せな』死んだような目をしたりすの横顔をぼんやりと眺めていました。
「君も肉食獣じゃないか。君らが忌み嫌う獅子の同類だ」
タヌキが愕然とするのと同時に、他の小動物が驚いたようにタヌキを見ました。りすさえも、瞳を開いてゆっくりと顔を上げました。
「今まで僕らはうまくやっていたんだ!言っていいことと悪いことがある!」
「サイボーグなんで、ほんとのことしか言えないんだ。悪いな」
タヌキの演説を遮ると、ウサギはその建物を立ち去りました。
『小動物が20匹程度。一匹が肉食獣』というデータを自分のハードディスクに書き込みながら。
『ココハ、僕ノ場所ジャナイ』
ウサギを創った博士が、よく口にしていた言葉が、何故か思い出されました。


3.『惑星を背負う甲羅』

ウサギは、一カ月ほど歩き回りデータを収集して、母艦Bに戻って来ました。
母艦は五隻ありました。地球の大陸と同じ数です。どの艦も故障などはなく機能はすべて生きていますが、消エネの為にウサギはBだけを使っていました。通信設備、医療設備などが作動しています。
ウサギは、通信施設から、動物の生存状態と分布のデータを送付しました。データは小型ロケット便で地球に向かいます。先に月基地で回収され、途中から衛星通信に変換されることもあります。
作業が終わり、ウサギは艦内の点検に入りました。メディカルセンターで機能維持以上の電力が消費されています。
「誰かが、ケガか病気でセンターを使ってんのか?」

センターを覗くと、使われているのは、治療施設ではなく、研究設備の方でした。モニターの前でキーを叩く丸い背中。こげ茶とも深緑とも暗い灰色とも見える、幾何学模様の甲羅が見えました。
「じじい、生きてたのか。何してんだ、こんなとこで」
「若造。相変わらず失礼な奴じゃのう」
亀は口許で笑うと、キー操作を続けます。
モニターには、冷蔵装置に保管されている人口胎盤が映っていました。冷蔵装置に保管・・・のはずです。でも・・・。
「酸素と血流データが変動してる!じじい、何したんだ!?」
ウサギは、亀の襟首につかみかかりました。言葉は質問の形でしたが、ウサギには亀が何をしたかわかっていたのです。
いくら母艦が大きいと言っても、乗せられる人間の数には限りがあります。「生まれている人間」以外に、山ほどの精子と卵子が積み込まれました。タイタンの大地で生活を始めたなら、100もの人口胎盤がたくさんの人間を出産(製造?)していく予定でした。結局そのシステムは、使われずに終わりましたが。ワクチンの無い現状で子供が生まれても、3歳までには死んでしまうだろうと判断されたからです。
「生き残れない人間を今さら作って、何しようとしてるんだ?」
「わしら動物は生き残っとるぞ。・・・おっと、君はサイボーグじゃったな。
 人間にも遺伝子組み換えをしてみたんじゃよ。わしらがウィルス感染しなかったのは、そのおかげだという可能性が高い。可能性のあることは、試してみようと思ってのう」
「人体実験なんて・・・きさまは『神の領域』に踏み込んでるぞ」
「ふぉほほほ。サイボーグが宗教を信じとるのか」
亀は面白そうに笑うと、検査データを保存し、モニターを切り換えました。メダカくらいの影がピクピク動いています。
「地球に『神』などという発想が生まれなければ、もっとマトモな星になっていたかもしれんがのう。
そうじゃ。このコが無事に産まれたら、『エマ』と名付けよう。アダムとエマのエマじゃ。ふぉほほほ」
「悪趣味なジョークだ」
ウサギは眉をしかめて肩をすくめました。
地球が丸いと認知される前。大地は、巨大な象と亀と蛇たちが支えていたのだそうだし。かられが自分を『神に近いもの』と考えていたとしても、仕方ないのかもしれない。ウサギはそう思いました。
「このことは地球には報告せんでくれよ。わしのことは死んだことにしてくれ」
「勝手なじじいだな。それで家を崩壊させたのかよ。獅子が、泣きそうな顔で瓦礫を掘ってたぜ、あんたを助け出そうとして」
「・・・。あの獅子は・・・いつも泣きそうな顔をしとったよ。初めて会った時ものう。
獅子はもともと孤高なもんじゃ。そのうち慣れるじゃろ」
『エマ』に抗体があって生き残れたとしても、この惑星で、幸せになれるのだろうか?
ボコボコと荒れた大地。チタンの海。森も草原も無い花も無い。生き甲斐のない濁った目の動物たち。そしてたぶん友達もいない。・・・そのうち慣れるのか?
『いや。オレの考え方がそもそも間違っているんだ。生きることは幸せじゃないんだ、きっと』
ウサギはため息をつくと、もう一度大きなモニターを仰ぎ見ました。まだメダカのような『エマ』の影が、かすかに動きました。


4.「小夜啼鳥」

「ソレ」は、連動していました。
「新たなタイタン人を生み出すプロジェクト」が発動された時…人工胎盤のスイッチがオンにされた時に、眠りから醒めるようにプログラムされていました。
「ソレ」はゆっくりと目覚め、使命を意識しました。
もう主のいない船の一室。忘れ去られていた鳥かご。小夜啼鳥は、自らの嘴でつかえをはずし、籠から飛び出しました。

数日ぶりに船を訪れたウサギは、研究施設のソファでカメがうずくまっているのに出会いました。
「どーした、じいさん。老衰かい」
研究が行き詰まったのだろうとウサギは思いました。人間を作るなんて、しかも、一度は滅びたこの環境で作るなんて、カメのしていることは尋常でありません。そう簡単に成功するわけが無いのです。
「ふん、わしがこのプロジェクトを見届ける前に死ねると思うかね。
それより、これを見てくれ」
のろくさと立ち上がったカメは、モニター画面を切り替えました。キーをたたくと、貯蔵庫の冷凍卵子と冷凍精子の在庫状況が表示されました。
「なんだよ、これ。精子が半分に減ってる。しかも一晩でこれだけの数が死滅するなんて、普通じゃ考えられない」
「死滅したのは、XYのものばかりじゃ」
「環境に適応できないのか。それとも」
「人為的じゃよ。一定時間、温度設定を変えたらしい」
「だれが…」
「その犯人を、これから捜しに行こうと思ってな。おまえさんを待っとったんじゃ」
「なんでおれが?」
「マスター・キーを持っとるじゃろ。それに、これは地球に報告すべき出来事じゃないかね」
「マスター・キーって。犯人はこの船のどこかに立て篭もってるのか?」
「しょせん、籠の鳥じゃよ」
カメは「ふぉほほほ」と笑ってみせました。

「ここは…」
カメに連れてこられてキーを挿し込んだのは、医師団の部屋の一つでした。船はどこの部屋も荒れていたし、扉の横の小窓は既にガラスが割れていました。鍵など無くても簡単に出入りできます。
「あの女医の部屋じゃよ。…と言っても覚えておらんだろうがの」
ドアを開けると、部屋の主の性格を彷彿とさせる整然した部屋が広がっていました。必要最小限に置かれた家具は垂直と水平を保ち、冷やりと鋭角な机の角がこちらを狙っているようです。ただし、机にもテーブルにも椅子にも、何十年分もの埃が降り積もり、時間が堅さを和らげていました。
カメは、窓ぎわに下げられた鳥篭に近づくと、中の小夜啼鳥に話しかけました。
「なぜ、あんなことを…と聞かんでも、まあ想像がつくがな」
「この星を、地球の二の舞にしたくないだけよ」
歌うような美しい声で、小夜啼鳥は答えました。
この鳥はサイボーグだろうとウサギは思いました。そっくりの鳥が、長身の白衣の女性の側で歌っていたことを、ぼんやりと思い出しました。
まだ若く美しかった彼女は、「女」としてでなく「医者」として船に乗り込みましたが、船の人々−「世間」−は、そんなことは許してくれませんでした。だから女医は、飛行中もタイタンに着いてからも、ずっとこの部屋にこもって暮らして、そして老いて死にました。「女」の役割の者は、「船員」や「技術員」「農夫」などの労務者たち、複数の者の妻として相手を務め、何人も子供を産まなくてはならないのでした。そうしなくては、労務者は仕事への覇気があがらないからだそうです。
小夜啼鳥は、いつも女医のそばにいて、ずっと美しい歌を歌い続けていました。もちろん寿命から考えると女医より先に死んだと思われますが、彼女は小夜啼鳥を手術し、造り変えたのでしょう。ウサギの飼い主がそうしたように。
「誰かが、人工的に人間を創ろうとした時。私は、XYの遺伝子を抹殺する命を受けていた。まだ人間でも無いモノを抹殺したからといって、私を裁く罪状があるとでもいうの?」
「すでに滅びたこの星に、女の帝国でも打ち立てる気なのか?」
ウサギの言葉に、小夜啼鳥は鼻で笑いました。
「『帝国』。『打ち立てる』。…オスのあなたの考えそうなことね。私は、暴力や争いの因子を排除しただけよ」
平行線だと、ウサギは思いました。この部屋から一歩も出ずに暮らした女医の、恨みや憎しみが、この愛らしい鳥に植え付けられていました。
「で、おまえさんは、使命をまっとうできたわけじゃ。さて、これからどうするんじゃ?何をして生きるんじゃね?」
カメが、なぐさめるような口調で尋ねました。
「……。」
小夜啼鳥は、虚勢を張るように、高くよく澄んだ声でひよひよと一声鳴いてみせました。籠の桟に積もった雪のような埃が舞って、やはり埃の積もった床の上にゆっくりと落ちていくのでした。


5.「サルヤマの双頭のサル」

胎児のエマが3カ月になった頃、ウサギはまた惑星内の探索業務に出かけました。

獅子はまだ、泣きそうな顔しながら、穴を掘り続けていました。校舎のイタチ達は、あいかわらず、何から守るのか教室の入り口にバリケードを築いていました。
あとは、メタンの海の近くで暮らしている小動物の集団、第1母船の近く(動力を切ってあるので扉は開かず、中には入れません)で雨風をしのいでいる鳥たちの群れ、食料工場の近くにある猿山。その他、あと十グループほどが現存しています。ウサギが一週間で歩いて回れる範囲ですが、集団はそう多くありません。人間がいる間、ほとんどの動物が彼らの生活範囲の近くで暮らしていたことを考えると、そう遠方で生存している者達がいるとは思えません。
工場の側の「山」のように盛り上がった土地に、ウサギや地球の人間が「猿山」と呼んでいるグループが生活しています。
猿たちが工場を住まいにしなかったのは、色々な動物が食料調達の為に出入りするので、危険があるからのようです。もっとも、最初の知的なボスの配慮を、今の猿集団たちが理解しているかは怪しいものですが。
ウサギは、工場の三階部の大きな窓の前に立ち、双眼鏡で上から猿たちの頭数を数えました。
『猿…と呼んでいいものやら、なんやら』
尾の無い者、片腕・片足が無い者などは、まだマシな方です。頭が二つある者、上半身だけ二つあって腰からくっついている者、耳が4つある者、目が1つの者。
近親相姦が多いせいなのか、地球でほどこされたDNA操作の副作用が何代も後に出たのか。それともタイタンの大気の影響なのか。
角のような骨が一本頭蓋骨から突出している者。ところどころ体毛がなくて、ウロコがある者。指にヒレがある者。
進化なのか、退化なのか。
『羽の生えた猿、なんてのが出て来たら、地球人はよろこぶかもなあ。昔から、羽の生えたニンゲンは彼らの夢らしい。その猿を研究すれば、夢が叶うかもしれん』
レンズの望遠をさらに拡大させ、ウサギは手すりに寄りかかって、ジュークなのか本気なのか図れないセリフをつぶやきました。まわりにはもちろん誰もいませんでしたが。

工場は吹き抜けで、鉄の階段で昇ったこの最上部からは、中の機械類も外の猿達もよく見渡せました。
ボスは今は存在しないようですが、派閥はあって、三つに分かれているようです。体毛が白っぽい者達、黒毛の者達、茶色い者達。見た目で派閥を作ったとしか思えませんでした。色の似た者たちがひとまとまりの集団でうごめいています。色の違う集団とは明らかに距離を保ち、絶対に近づこうとしません。近づく時は、食べ物を奪うなど戦いをしかける時でした。
派閥の中でもいざこざは絶えず、健常らしい体格のいい猿が、今まさに一匹の猿の喉笛を噛み切ったところでした。小さい方の猿は、何か大猿の気に障ることでもしたのでしょうか。自分の血溜りの上に倒れるとひくひくと痙攣した後、動かなくなりました。
「ちぇ、せっかく数え終わったのに」
ウサギはメモを修正しました。
別の集団では、雌であろうまだ子供の猿を、頭が二つの成獣の猿が壁ぎわに追いつめ、犯そうとしているところでした。
「でまた、作るわけかよ。やれやれ」
ここ数年、猿山の頭数は少しずつ増えています。唯一、この星で繁殖に成功した種かもしれないとウサギは思いました。
小競り合いは、いたるところで起こっています。食べ物を取り合って、激しく噛み付き会う猿たち。少しでも柔らかい地面を取り合うために、体をぶつけ合って戦う猿たち。
『これが、成功した、ただひとつの種か』
ウサギは、うんざりした気持ちを押さえて、双眼鏡をケースにしまい、工場の階段を降り始めました。
探索の作業を終えて帰ったら、エマは4か月くらいになっているでしょうか。
『カエルくらいにはなってるかな』
まだグロテスクとしか思えない姿でモニターに映るであろう、エマの姿を、懐かしく思い出すウサギでした。



 ★ ★ ★ <END> ★ ★ ★ 


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