『人生は回る』


三題話で書いた小説です。いただいたお題は、「イイダコ・クラゲ・黄金時代」



 「まるではばたいているみたいですね」
筒状の巨大水槽のまわりは、ゆるいスロープになっている。その水族館は、360度好きな方向からサカナを眺めることができるのだ。
「エイがこんなに優雅に泳ぐなんて、知りませんでした」
節子は瞳を輝かせた。黒目がちの瞳に水槽からの光が反射してさらにキラキラして見えて、わたしはあまりのかわいらしさに目をそらした。
「オニイトマキエイは、エイの中で一番大きいんだ。トビエイ目トビエイ科。和名でなくマンタって呼ばれることが多い」
「へえええ。マンタって、聞いたことありますぅ」
 水槽の中のサカナたちも、ゆっくりと又は敏速に、水の流れに乗って回っている。エイやマンボウやジンベイザメは人気があるので、ガラスに近づいてくると人が集まってきて軽い歓声さえ漏れた。
節子の言葉が丁寧なのは、年齢が離れているせいもあっただろう。わたしは女性と接するのが得意でなく、五十近くまで独身だったが、老いてからの淋しさを考え、紹介所に申し込んで何度かの見合いの末、節子と結婚した。世間の「ふっくら」という範疇よりだいぶふっくらしている女性だが、それもまた可愛らしく思えた。
「きれい。クラゲの泳ぐ姿、すてきですね」
「これはミズクラゲ。夏の終わりによくいるやつだ。こっちは、ブルージェリーフィッシュだね。他に、赤と白と緑がいるんだよ」
 私は一人でよく水族館に来ていたので、無駄にサカナに詳しかった。節子は「へえええ」と尊敬のこもった瞳でわたしを見上げた、と思う。二人ともそう若くないが一応新婚であるし、うぬぼれではなかったはずだ。わたしの黄金時代であった。

「おじいさんっ。またそんな歯にわるそうな皿を取って」
節子がわたしの名前を呼ばなくなってからもう30年ほどたつ。「おとうさん」の後、今は「おじいさん」と呼ぶ。
「なあ、イイダコは大丈夫だろう、噛みやすいんだから。マダコじゃないんだ」
わたしも、「なあ」とか「おい」とか呼ぶようになって、同じくらいたつ。
「またそんなへりくつ。タコはタコでしょう。噛めなくて飲み込んで、大騒ぎになるのはイヤですからね」
もうわたしのサカナの知識は、疎まれこそすれ尊敬されなくなった。
「取った皿は戻せないだろう」
「私が食べますから。おじいさんには、ほら、納豆巻きなら噛み切りやすいわよ」
「・・・。そうめんならいいだろう、文句はないだろう」
「そうめん? いいですけど。でも、回転寿司にそうめん? 今はなんでもあるのね・・・って、おじいさん、それ、クラゲの酢の物でしょっ」
「タマゴを練りこんだそうめんかと思って」
「そんなわけないでしょ。ほら、納豆巻き。こっちにしなさいな」
「・・・。デザートでも食べるか。白玉あんみつ、オーダーしておくれ」
「いいですよ。でも白玉は私が食べますからね」
「・・・。」
 あそこで時間が止まっていればと、ふと思うこともあるが。人生は回り続ける。
「ほら、おじいさん、カッパ巻きも食べていいですよ」
 むこうからコウイカがやってくるが、たぶんこれも却下される。寿司も回り続ける。

 

 <END>

自由に演じていただいて結構ですが、必ずご一報をお願いいたします。
メールの連絡先は「福娘寄席」表紙をご覧ください。

福娘の童話館別館 「福娘寄席」表紙へ

『福娘はウキウキ』表紙へ戻る