SKY外伝 『地下鉄の中の君』

 四月十日。なんだか今日はいつもより地下鉄の中が混んでいる。どうやら近くの専門学校やら高校やらの入学式があるらしい。朝から混んでるのははっきり言って嬉しくない。学生が春休みの間は、少しだけ楽だったんだけど。
 とか言う俺も、一年前までは高校生だったんだけどさ。
 一年なんて思ったよりも早いよなあ。
 毎日毎日仕事して。そのあとで、仲間と遊んで。俺は趣味でみんなとバンドを組んでんだけど、その練習したりして。彼女がいればデートもするんだろうけど、そんなのいないし。
 それなりに平凡な生き方。つまらなくは……ないけど。
(うわっ……)
 地下鉄の、この混んだ中で、ブレーキがかかったせいで人が倒れ込んでくる。
 しかも、足まで踏まれた。
 ちくしょお、とか思ってたら、隣の女の子(とは言っても、同い年くらいだと思う)が俺を見上げて(この混んだ車内ではこれも至難の技だろう)口を開いた。
「すっすみませんっ」
 おやおや。
「大丈夫ですよ」
 俺はにこやかに答えつつも、少しだけ感動していた。
 この混んだ中では、足を踏もうが肘鉄食らわそうが謝りもしない奴が多いのに、ちゃんとすまなそーな顔をして謝るなんて、なかなかエライんじゃないの。
 彼女はしかも、次の駅で降りるときに、もう一度
「すいませんでした」
と言ってから降りて行った。
 人の流れにのってさっさと消えてしまったものだから、俺は何も言えなかったんだけど、だけどなんだかいい気分でその日一日が過ぎていくだろうことは、簡単に想像できた。


 四月十一日。いつも通りに出勤。つい目がキョロキョロしてしまう理由は……別に逢いたいとか、そーゆーことじゃないさ、きっと。うん。
 地下鉄を待つ場所は、完全に昨日と同じ。時間も、ほぼ同じ。
 いやでも、毎日毎日同じ時間に来るとは限らないしさ。……って、だから別に逢いたいとかそーゆーわけじゃなくてさっ。
 気になる。
 そう、気になるってのが一番近いよなっ、うん。
 ほら、あんなにいい子だからさ。だからちょっと気になるんだよな、うん。
(……来たっ)
 瞬間俺は、全身を耳のようにして彼女の声を探る。今日は友達と一緒らしい。昨日は一人だったのに。友達が出来たのかな。
(やっぱりいい子だしなっ)
 なんて俺はちょっとホクホクしている。ああなんか馬鹿みたいかも……。
 彼女はなんだか凄く楽しそうに話をしている。にこにこしたりして。
 地下鉄がくる。
 その混んだ車内に、彼女とその友達と、少し離れて俺が乗り込む。その他大勢のことは、この際無視して。
 ちょうどいい場所をキープした俺は、彼女をなんとなーく観察していた。
 身長百六十ちょっとってとこかな。髪は、背中の半ばくらいまでのロング。染めたふうでもないのに、茶色っぽいのは、地毛なのかな。自然な色だから、多分そうだろーな。サラサラした髪は、枝毛なんてありそーにない。
 上着とかはあまり金をかけているってわけでもなさそうで、しかも似合ってる。多分、自分に合った服ってのをわかっているんだ。
 彼女が降りる駅に着く。うわあっ、もう行っちゃうんだっ。ちぇーっ。
 彼女は友達と一緒に地下鉄を降りてく。
 また明日、だなあ。


 四月十七日。彼女の学校は完全週休二日らしく(彼女が友達と話してたのが聞こえたんだ)、昨日と一昨日は逢えなかった。だけど今日は月曜日! 待っていたのさ、この日をっ! まあ、彼女の学校が休みだろーが休みじゃなかろーが、俺んとこの会社も土日休みだから同じことなんだけどさ。
 ここ一週間俺は結構機嫌が良かったらしく、その上土日は逢えないからってちょっとふてくされてたらしく、結果バンド仲間に、
「宏伸、絶対いいことあっただろ、おまえ」
などと言われてしまった。(宏伸ってのは俺の名前ね)
 そろそろ認めよう。俺は確かに彼女に逢いたいんだ。
 所詮しがない片想い、遠くから見るだけだろーがいいのさ。今はきっかけを探すのに精一杯なんだい。
 同時刻の地下鉄。俺の少し後ろから彼女が乗ってくる。
 そうそう、一週間見ていて気づいたことがある。
 彼女、一人で来るときと友達と来るときがあるんだけど、一人のときは必ず凄く暇そうな顔をしている。学校行くのなんてかったるいよって目をしてる。
 友達といると、全然そんなことないのに。もの凄く、楽しそうなのに。
 そして、今日は一人だ。
 いつものように彼女を見ていたら、急に彼女が身じろぎをした。何だろう、と思った瞬間、彼女は誰かの指を握って、その指をそらすように持ち上げて力を入れていた。
「そろそろさわるのやめてくださいます?」
 その一言で、なにがあったのかを理解する。
 この時期に多くなる……痴漢、だ。
「なんでしたら、このまま駅員さんのとこに連れて行きますけど」
 つ……強い……。
 それにしても許せん奴だっ。加害者らしき男は、彼女の声を聞いて集まってくる視線の中、逃げ場所を探すように目をそらすが、この混んでる車内では動けもしない。そうかと思ったら、次の駅で人の波にのってその男はその場を離れた。彼女から逃げたらしい。彼女はもの凄く悔しそうな顔をしていたから、俺はその男とすれ違ったその時に、足をぐりぐりっと踏みつけてやった。男は小さく、痛っ、と言って、だけどそのまま逃げるように降りて行った。ふふんっ、いい気味だ。
 彼女はなあ、てめえなんかがさわっていい子じゃねーんだよ、ばーかっ!


「……で、その後どうしたんだよ」
 夜、バンドのメンバーの家に遊びに来てその話をしたら、リーダーでもあるキーボーディストののぞみちゃん(『ちゃん』とか言ってるけど望という名の男だ)が興味津々に聞いてきた。
「どうしたって……そのままだけど」
「そのままって?」
「だから、彼女が降りるまでずーっと見てて……」
「話しかけたりしなかったわけ?」
「うん」
 当たり前じゃんそんなことできるはずないだろ、とかって思ってたら、のぞみちゃんは深々とため息をついた。
「そこはやっぱり、キミって凄いね、とか話しかけれるチャンスだったと思うんですけど」
 バンド最年少のボーカル兼ギターでこの家の主でもある拓ちゃんが言ってくる。
「じゃあなに? 拓ちゃんだったら声かけれちゃうんだ? ナンパじゃん、そんなの」
 できるはずないじゃん、とか俺は思ってたんだけど。
 こいつならできると知るのは、もう少し後のことになる。
「もう少ししたら、絶対に声かけるけどさ」
 と、俺はしっかりと言ったけど。
 それは本当に大分後になってからのことになるのであった……。


 四月二十四日。彼女は地下鉄に乗る時間を変えたのか、火曜から姿を見ていない。
 これも全部あの痴漢ヤローのせいだっ!
 かと言って、おれがもっと遅いのに変えたりすると、会社遅刻しちゃうしなあ……。早いやつには乗ってないということは、すでに判明してるし(早くから来て待ってみたりはしたんだ、一応は……)。
 つまんねーなあ。
 朝逢えないと、なんだか一日が長く感じるんだ。
 こんなことなら、もっと早く声をかけておくんだった……。


 五月五日、こどもの日。そんなことはどーでもいいんだけど。
 世に言うゴールデンウィークは明日明後日の土日で終わりだ。今日金曜日は、俺たちの突発ライブの日。
 それはそれで楽しくて嬉しいんだけど、やっぱり想うのは彼女のこと。
 十七日以降全然逢ってないんだいっ!
 ああ本当に逢いたいのにさあっ。
 俺はそのムカツキをベースの音にぶつけることにした。ただし、練習中に、だけど。
 ギャギャギャーンッッ、としか言いようのない音を聞いて、のぞみちゃんが一言。
「青春ですこと……」
 意味不明だーっっ!
 まあ、練習でどんな音を出そうが、本番でまともな(ってゆーか最高な)音を出せばいい、ということで。
 本番は、大いに盛り上がった。
 ひとりだけ、聞いてるのか聞いてないのかよくわからなくて、ずーっと座ってた子がいたけどさ。
 ところがその子は、ライブが終わって片づけようとしたときにも、まだ座ってた。
 のぞみちゃんが、その子の方に近づいていく。俺らに、片づけはじめといて、と言って。
 そのときから、なーんかどっかで見たことある子だなあ、とは思ってはいたんだ。でも、ライブ会場だし、いつも来てる子かなあ、とか思ってたんだけど。
 片づけが終わってから、下に行って車に乗っていたら、のぞみちゃんが後からその子を連れてきて……驚いた。
 地下鉄の彼女じゃんーっ!
 なななんでこんなところにっ!?
 あっでものぞみちゃんが彼女も打ち上げ連れてくるって言ってたんだっ。
 うわあ……超ラッキーじゃん……。


 それからあと、拓の家での打ち上げで、俺はやたらとはしゃいでいた。彼女――春日美奈ちゃんは、やっぱりにこにこと俺らと話をしていた。
 そう……それで、ひとつ気づいたことがある。それは、もの凄く俺にとっては哀しいことだったりもするんだけど。
 美奈ちゃんは、拓が好きなんだ。
 だけど、気づいたからと言って別に何かが変わるわけではない。拓は大事な仲間だし、俺が美奈ちゃんを好きだってのも変わらない。今はまだ、それでいいんだ。
 負けを認める必要はないんだ。


 きっと、地下鉄の中で声をかけるのは、そう遠くない未来のことだろう。





長編小説コーナーの入り口へ戻る or 案内表示板の元へ戻る