平成7年度
四国高等学校登山選手権大会
の記録
この記録は昔883が書いた文章をほとんど原文のまま掲載しています。
登山専門用語や阿波弁が多く読みにくいと思いますが、ご了承下さい。
アンダーラインがある言葉は下のボタンを押すと解説があります。
城東パーティー しのみや(地形):CL
K村(気象):SL
S敷(装備
883(医療食糧

 朝、城東高校に集まった、しのみや、S敷、K村、883の4名は物理室で最後のパッキングを終え、O川先生のデリカにザックを積み込み、乗り込んだ。今日から3日間高知での四国大会に出発するのだ。
 さて、出発し、まず北西の方に進み、高速道路を使って高知まで行くというルートで行った。
 しばらくして高知駅前に到着した。もう既に他の高校も集まっていた。車から降り、トイレに行ったり弁当食べたりした。そしてその後、ザックをトラックに積む。しのみやさんのザックを受け取った人が重そうであった。そしてバスに乗り、開会式の行われる長沢に運ばれた。
 さて、長沢で開会式も終り、幕営地寺川に運ばれ、大会についての説明があり、その後テントサイトまで行って大きな石をどけて腰をおろした。テントサイトの土は見たところ固そうで、ペグが入りにくそうである。また、寝る時も痛そうであった。
 少々してテントの設営が始まる。前半は順調。しかし、予想通りペグがほとんど入らない。必死に打ち込み何とか完成。後はしのみやさんの言い訳にかかっている。しかし、この文章を書いている者も人間である。どの様な結果か覚えていない。
 その後、テント内で腰を落ち着けていると、「気象」が呼ばれたのでK村さんが出かけていった。しばらくして帰ってきて、今度は「医療」が呼ばれた。883が行き、装備と知識の審査を受けた。隣りはテーピングテープが少ないやら、消毒液の中身が少ないやら、そのさらに隣りはテーピングテープが細いやら言われていたが、城東は問題なかった。
 一日目のこの日は体力審査は無く、残るは食料計画の審査だけだ。これも問題なくクリアー。そして夜寝るだけとなった。しかし、ここで883がとんでもない物を忘れた事に気付く。なんと、シュラフ(寝袋)を忘れたのだ。こんな持ってきて当然の様な物を忘れたのだ。しょうがないので、過去一体何回使われたのかという程滅多に使われないが、装備審査では必ずあるツェルトに包まって寝る事にした。そして、そのツェルトで寝ていると、テントにO川先生が入ってきた。この大会では先生も同じテントで寝るのだ。しかし、O川先生はツェルトであることに全く気付かなかった。
 夜中、さすがにツェルトでは少々寒い。883は目が覚めた。すると隣りで声がする。
「お母はん!ほれはあかんって!」
なんと隣りでS敷さんが寝言を言っていた。そしてその後、5音階(だんだん音が高くなる)の屁をかまし、静かになった。

 2日目朝、起床時間がきた。周りの高校もテントから出だした様なので、早速城東も朝食の支度にかかる事にした。しかし、ここで883がとんでもない物を忘れた事に気付く。朝食はうどんであったのだが、そのうどんのダシを忘れたのだ。これははっきり言ってヤバイ!いくらなんでも朝食はしっかり食っとかんかったら体力がもたん!これから山に登るのだ。しか〜も!朝食はO川先生も食べるのだぁ〜!とにかく仕方が無いのでダシ無しで作った。食うと…非常に何と言うか良く分からん、うどんの麺自体の甘味のある味であった。そこへO川先生が現れた。
「おぅ、これワシのんか。」
と言うと一口食べ、そのままそれを持ったままどこかへ行ってしまった。そして帰ってきた時、食器はカラであった。アレを食ったかどうかは我々は分からない…。
 さて、その後、テントを撤収して集合し、いよいよ体力の審査が始まった。歩くと結構調子がいいみたいで、全くキツさを感じなかった。
 しばらく歩くと、前の班の最後尾のチームが遅れ出した。遅れに遅れ、ついに前のチームが見えなくなった。そこであわてたわが班の班長の池田高校のM馬先生は、
「前に追いつくから走るぞ!」
と言うや否や突然前の遅れたチームを抜き去り走り出した。もうこの後はキツいキツい。ローテーションで城東が班の一番前の時だったのだが、どんどん後ろの高校がいなくなり、手箱山の手前では班は城東だけの状態であった。後ろの高校はこの遅れで減点されたのであろうか。
 さて、手箱山での大休憩で遅れた高校とも合流。女子とも合流。そして誰だったか忘れたが、山の話を聞いた。883座ったまま少々寝てしまった。さて、行動食、水分もとり、再び出発。
 下りなのであるが、前を行っていた高知の高校が遅れ気味であった。(原因はのちに知ることになる。)そして丸滝小屋に着き、昼食となる。
 さて、昼食なのであるが、ここでヤバい事に気付く。昼食は弁当で、大会側から配給された物なのだが、(四国大会は食糧が2回分でいいので楽である。)O川先生の分も一緒にもらっていたのだ。O川先生は女子の方の班長をしている。そして、女子が丸滝小屋に着く頃には男子はもう出発しているのだ。
「しまったなぁ〜。大休憩の時に渡しとったらよかった。」
まぁとにかく弁当を食べ、しょうがないのでマジックで箱に「O川先生へ」と書き、水場に置いておいた。(後で聞いたらちゃんと手に渡っていたようだ。よかったよかった…。)
 さて出発という所で前を見たら、さっきの高知の高校。パッキング最低級。ヘッドが横に垂れ下がっている奴までいた。(この方が高知のこの高校の問題児。この大会に出た城東の選手の思い出に残る人である。)
 岩黒山を目指す上り坂で滅多の拝めないものを見た。後ろを振り返ると、なな・なんと、あのMr.しのみやが遅れとる。ど・どうした事だ。理由は大体分かった。恐らくあのザックは鬼のように重いのだ。あの人の事だから25kg以上は確実にあるだろう。後にも先にもあの人が上りで遅れたのはこの時だけであった。まぁ審査員がおらんかったので減点はされていないであろう。
 そして下る。土小屋にもう着くというところでわが班の班長池田のM馬先生は道を間違えた。おかげで変な所から出てきてしまった。ここで水補給のできる休憩をとった。
 そして出発。少々上って下るという道だったのだが、下りでまたまた先ほどの高知のパッキング最低男。ここで思った
「なるほど…さっきこの高校が遅れとったんはコイツのせいか…。」
それにしてもこの男の遅れ方はすさまじい。遅いなんてもんじゃない。下りやぞ!そして坂を下り終え平地に入った。
「……。」
なんとこの男平地でさえ差がドンドン開いていく。ここで城東メンバー全員が思っただろう。
「アンタどうやって県大会突破して四国大会まで来たんな!」
その後、伊吹山の手前で休憩となった。
 先程の男、他のメンバーからボスと呼ばれ、敬語を使われている。
「なに〜!あの体力無しのパッキング最低男が…。」
そう思った。(のちに山荘シラサで聞いた事だが、城東メンバー全員がそう思ったそうである…。)そして、お約束で行動食、水分をとり出発である。
 ローテーションで我が班は、先頭が例の高知の高校。そして次が城東。その後ろにもう一つの高校という状態となって伊吹山を目指すこととなった。さ〜あ、ここからが高知のボスの本領発揮である。登り始めて少しして、ボスは遅れだした。ボスは自分の高校の最後尾であった。どんどん遅れていく。しかも前を進んでいる班長のM馬先生も高知のその高校の他のメンバーもボスが遅れていることに気付かない。非常にヤバい感じである。前が見えなくなってしばらくして、もうこれ以上は前と離すワケにはいかない。後ろもせき止めてムチャクチャスローペースである。
「抜きます。」
そう一言言って、ボスを抜き去り、我が城東と後ろの同じ班のもう一つの高校はまたまた走った。走る走る。それでも前はまだ見えてこない。伊吹山を走り抜け、まだまだ走る。
「うお〜。あのボス、一体何km遅れとんじゃ〜。」
後ろの高校も苦笑していた。それにしても班長も班員も気付けよ。後ろが誰もおらんのやぞ。普通気付くやろ!特にボスの前を歩っきょった奴!お前は感覚無いんか。後ろから何の気配も無くなったんやぞCLもや〜!CLは常に後ろを振り返り、遅い奴がおったらほいつのペースに合わせんとあかんのやぞ!班長のM馬先生!一心不乱に歩いとらんとちょっとくらい振り返って下さい!とにかく皆さんしっかりしてくれ!今まで後ろに大集団がゾロゾロついてきよったんが突然一人としてついてこんようなったんぞ。気付け〜!ってコトでゴールのシラサ峠手前(もう目の前)の道路でやっとこさ追い着いて、ボスが遅れているという事を告げた。(「ボスが遅れとう。」とは言わなんだが…。)
「えっ…ボスが遅れとるんか?」
そう言った。お前らマジで気付かんかったんか!2km位はあいとったぞ。とにかく高知の高校はその道路でSTOPし、ボスを待つことになった。んで、うちらは目の前のゴールを目指す。すぐ着く。
 シラサ峠では装備の審査が行われた。しかし、この審査は少々納得がいかなかった。なぜなら、審査の厳しさが審査員によって全く違うのだ。隣りの班は、「防寒具!」と言われたらセーターの入った袋を上に上げればいいだけであったのに、うちの班の審査員は一人一人袋を開け、材質まで確認された。予備食や非常食もなんか計画書に書いとる重量と比べられたりした。隣りの班はほんなことしとらんのに。確かにパンの重量を1000gにしたのはマズかったが、それならそれで他の班も同じくらいの審査をしてほしいものだ。何か流動食が無いとか言われたし、乾電池もバラけとったら
「これは使ったやつでないんか?」
とか言われたし。とにかく四国大会という舞台なのでそういう所はもっとしっかりしてほしかった。
 さて、装備の審査で少々の不快が残ったが、一応これでもう審査も無いって事で大会も終わったようなもので、「後は下るだけか…。」と思い、山荘シラサに入った。
 夕食を食べ、自由となった。四国大会でしかない完全フリー交流会の様なものである。城東は徳工と同室であった。徳工CL以外は少々すさまじい性格を持った方達であった。ある男は、
「髪を刈ってあげようか?そしてさようなら。」
と言い、去って行った。
 風呂は決められた時間内ならいつ行ってもいいという事なので当然行った。(それにしても四国大会は本当にいい大会である。実質上大会は1泊2日であり、しかも昼食の弁当付き。しかもその後山荘で舎営し、メシも夕食と朝食用意してくれ、風呂にも入れる。本当にすばらしい…。)
 そしてその後、計画書の交換などをしに女子の館へ行った。しのみや先輩が
「あ・あの…計画書…交換してくれませんか…。」
と言った時の緊張した顔は笑えた。

 3日目の朝を迎えた。外は雨が降っていた。パッキングをして、ザックカバーをして、朝食を食べに行った。
 朝食も食べ終わり、何分かして、雨具を着て外に出た。そしてスパッツを装着した。(全く役に立たんかったけど。)そして話を聞き、いよいよ下山。
 雨がひどく足場が悪く結構滑った。少し行くと、
「うわ〜!」
と後ろで声がした。振り返るとS敷さんが横に滑って落ちかけていた。やっとの事で上がってきて一言
「死ぬかと思った。」
と言った。
 上りに比べ、下りは飽きてくるのであまり好きではないのだがとにかく下り、一日目の幕営地寺川に戻ってきた。屋根の下に入り、バスが来るのを待った。そして、バスが来たのでザックをトラックに積み、バスに乗り込んだ。
 バスは開会式が行われた長沢の学校で停まった。そして体育館で閉会式が行われた。
 結果発表。徳農が3位であった。さすが。女子は市校が2位であった。そして閉会式が終わった。
 再びバスに乗り、結果を見ると、池田5位、徳工6位、城東8位であった。NO!県総体で勝った2校に負けとるではないか!フフフ…やはりあの総体2位というのは運が良かっただけだったのか…。女子は池田が男子と同じく5位。(8校しか出てへんけど…。)いやいや、それにしても徳島は登山のレベルが高い様である。ベスト8に徳島の全ての高校が入っている。まぁ、そういう事でバスは高知駅に帰ってきた。雨は上がっていた。
 バスから降り、トラックからザックを降ろし、しばらくしてバスが行ってしまった後、883は叫ぶ。
「バスの中に財布落としてきてしもた!」
そうなのだ。寝とってポケットから落ちたようなのである。しょうがないから帰ってからバスの会社に電話する事にした。土産が買えなんだ
 その後、OGAWA’S DELICAに乗り込み、徳島へ。883は車の中で、シュラフを忘れた事をさんざ言われた。そして、その後どっかでご馳走になった。(場所は忘れた…。)徳農と一緒に。そして、後は城東に向かって一直線。城東に着くと、部室にザックを放り込みスグ帰った。

 それにしても、あの山をあんなに走ったのだ。体力点に+αして欲しかった(笑)。まぁこの大会の敗因は知識不足でしょう。(でも883の医療は確か満点だったと思う。)あとやね。装備の審査であんなガンコ○ヤジに当たるとは…。まっこの大会で心に残る事は高知のBOSSしかないですわ…。

というワケで平成7年度四国高等学校登山選手権大会の記録はこれで終わりっス。最後まで読んでくれたアナタ。アンタはエライ!どうもありがとう。

ちなみに883の財布はあのバス会社を利用した小学校の先生が見つけたくれて郵送してくれた。



第37回 四国高等学校登山選手権大会 計画書