まず、僕のスキー日誌からスキー記録を紐解いて、今シーズンを振り返ってみよう。今年に入り、スキーをした回数をアルペンとクロカンに分けて卓上カレンダーに記録している。それによれば、湧別の大会に参加するまでにアルペンを9日、クロカンを23日行ったことになる。これは、この2ヶ月間が僕のスキー人生の8割を占めることを示しており、スキー頻度のピークが最高潮に達しようとすることを物語っている。さらに、湧別後もアルペンを2日、クロカンを6日間行い、この勢いは現在の所止まっていない。特にクロカンの総日数はちょうど30日を迎えている。
しかし出だしはこんな調子ではなく最悪だった。雪もなかなか降らず、ニッセンの山田さんに選んで貰ったスキー板はビニール袋に入ったまんまだった。あの秋のローラースキーからのブランクは相当あった。年明けに滑り始めると、こんなはずでは自分の運動神経をのろう毎日が続き、悔しい思いを味わう。それではと思い、Sさんからクロカンのビデオを借り、脳裏に焼き付け、S藤氏の叱咤激励(飴と鞭)とともに辛〜い日々を乗り越えようとした。周回を重ねるごとに、先輩(年寄り)たちに抜かれる、もうこんなのは嫌だ。土日に練習もしたりしt。でもでも....、悔しい毎日に終わりはなかった。こんなんで85kmは完走できるのだろうか?。不安は膨らむ一方だった。
クロカンの練習も20日目を迎える日、初めて千歳ホルメンコーレンに参加し、40kmに挑んだ。結果は3:42で完走。しかしスタートから3kmまではビリから3番目の位置にあり、転びまくった。肋骨もなんだか痛くなり、7kmを過ぎると20kmの選手に抜かれ始めた。ああ、T田女氏、Hヤシさんに抜かれるのは御免だ!悔しすぎる。
....以下省略....
ゴール後の休憩所では、N坂夫妻とT田女氏、Hヤシたちはくつろいでいた。帰り仕度は万全で、今にも帰りそうだった。表彰式は終わっていたそうだ。僕は痛切に感じた。”遅いのが、遅いのがいけないんだ”と。大会に参加して、抜きまくり見返してやる。それが最高だと。帰ったら練習だ!。
さて、試験場に帰り苗畑のコースで練習する、そんな頃、あることに気付いた。僕よりも遅い奴がいることを。あいつだ!(失礼)K田氏は同等いや、それ以下か〜!よし、抜いてやる。ギャフンと言わせるゾー!。さらに考えた。もう一人、T谷女氏。いつも苗畑では抜かれているが、85kmだったらいけるかもと。
それは、まるで弱いものいじめをする卑怯者だった(ちびまる子ちゃんに出てくる藤木と同じくらい)。いや本当にそうだった。しかし、スポーツという名を盾にして自分を弁護した。”そう、これはスポーツです。結果が全てです”。勝者は偉いんだと。オリンピックを見ろ!と。苗畑のコース上で、こみ上げてくるものを押さえきれず、湧別での勝利を確信しほくそ笑んでいた(湧別の大会へと続く)。
しかし、スタートの合図の後、予想外の事が生じた。”まさかの転倒”。マークが消えた!あばらが痛い!焦る気持ちのまま、何度目かの転倒で沢に落ちかけた時にはK谷君に見られた。言いようもない気持ちがつのった。K田氏の緑色のジャンパーを泳ぐ目で探しながら、ペースを無視し、前半の勢いで後半もいけると....取りあえず追いつけ。必死に漕ぎながら前へ前へと進んだ。
旧白滝の前でK田氏を捉えた時、気持ちは安堵感にあふれた。よし、まず一人目。次は誰だ?。(以下、記憶が真っ白で書けません。)
ではでは、皆さん来年また、かの地でお会いしましょう。
結果 85km 結果7:36:10 839位
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