やるべきことはほぼやった大会一週間前、やるべきでない風邪につかまった。そういえば、3年前も直前に風邪をひいて、ノルディック複合の河野とビークが大接戦を演じているのを、療養中の風呂屋で見ていたのだった。まあ、この辺でひいておけば大会の日当たりには直っているだろう....。と思った。しかし、今年の風邪は粘り強いのだった。しつこいのだった。いつまでも咳が止まないのだった。”こいつ、いい加減にしろ!わーん”という気分であった。結局、大会前日まで毎晩腹を引きつらせて、すっかり丸瀬布位までの腹筋は使ってしまったらしかった。
大会当日、会場でバスから降り寒風にさらされて、胃までむかついてきた。コース上に”お好み焼き”を作って走行妨害....という冗談まで出るありさまだった。それでも、走り出してしまえばなんとかなるだろう、と闘う気はまだ十分であった。あくまで野望は10位以内。強気である。スタートと同時にもう風邪も忘れて押しまくり、一気に坂を駆け上がった。スキーも良く滑り、これまでで一番の出だしだ。クローチングを組みながら冷静に自分が20位前後にいるのも確認した。でもいつも通り体は寒さで硬直していて、クランクであわやコースアウト。かわすT馬氏を前に見ながらとりあえず一団に付いて行く。
白滝を過ぎ、次第にザラメ部分が多くなってきたせいか、スキーが滑る気がして少しずつ前に出た。しかし、このころからこの日のために改良してきた腰のボトルが凍りかけているのが気に掛かる。T馬氏、O氏が給水している脇を勢いにまかせて前に出たのはいいが、特製ハチミツレモンは吸えなくなっていた。なんとか口で解かして飲もうとあがいていた瞬間、ストックが前に刺さって前歯を痛打。気ばかり焦る。スキーは良く滑るのでその後も積極的に少しずつ集団の前に出て、ついに今年好調のI氏の背中を発見。このまま行けば結構行ける、とこの時は感じた。けれど、差は縮まらないまま丸瀬布へ到着。飲めないボトルを一時あきらめポカリを、と手にしたカップはおかゆだっった。”おえっ!”。本当に”お好み焼き”を作りそうになった。一気に疲れが出て咳き込み、急な壁の上で遂に立ち止まる。T馬氏、O氏がかわしていく。
これまでであった。まるでいつもの後半型の自分の逆パターンだった。すっかり足も出なくなっ気力も萎える。こんな落ち込みは、かつて札幌SMでKパパと激戦して、残り10kmで潰れた時以来かも知れない。瀬戸瀬の給食所でいつもながらのバナナとポカリを貰ってようやく一息ついてる横を、女子TOPの青野夫人がすり抜けていく。ちょっと頑張って追ってみるが、ピッチに付いていけず、登りが辛い。次々と後続にもぬかれるようになり、もう遠軽で大休止を取ろうかととも思った。しかし、勝負は何が起こるか分からない。湧別原野には魔物が....と気を取り直して、バナナとポカリのみで遠軽を後にする。ここで休むと動き出す気力が失せそうで、それより早くゴールしてゆっくり寝ころびたい気分だった。雪面がまぶしくて半ばもうろうとしつつも、足を前に出すだけでスキーはやたらとよく滑ってくれて有り難かった。HF-CERA様々だ。ふらふらしているところをS氏に”がんばっ”と声かけられて抜かれる。そのうちTさんあたりも来そうだなあ、とか思いながら、ひたすらポカリをもらいS氏を追ううちに少し元気が出てきた。咳は相変わらずだが、残り10kmで気力・体力が回復してきた。原野コースを走っている子供らからの声援がうれしい。
最後の坂も思ったより楽に登り切ってゴールへ。もう100番位には落ちたと思っていたのに、50位に入っていたのがうれしかった。T馬氏が最後にI氏に勝ったことを聞いて、なんかこっちが守れなかったものを、死守して貰ったような気がした。自分としては、こんな体調ながらT馬氏と20分差でゴール出来たのだから、まだまだ行ける気もした。やはり、夏のマラソンしかないか?....。だが、終わった後でなんだかんだ言ってもやはり、”強いものが勝つ、のではなく、勝ったものが強い”(堀井談)のがレースなのであった。
(....その後、N坂は湧別よりハードな道スポに出場し、全力で自衛隊と戦い、真っ白になって、再び闘病生活に入る羽目になるのであった。嗚呼、彼が再び日の目を見るのはいつの日か....?。)
結果 85km 結果4:36:15 50位
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