将来ありがち?であって欲しくない例

 前編で”自己主張”の前振りをしておいて、今回は永遠の課題”自己責任”について。両者は一見全く関係ないように見えるけど、実はとっても密接なんだなあ。実は。
 山で遭難事故が起きたり、ゲレンデ外で雪崩事故が起きると、決まって行政等の管理責任をヒステリックに主張する的外れなマスコミ。”危険だとは知らなかった”と無知をさらけ出して責任逃れする当事者。それと、それら両者の異常な行為を見聞きしても、なんの疑問も抱かないメダカ国民。行政等の大きな組織に責任を押しつける事は、一見”強きをくじき弱きを助ける”勧善懲悪みたいな感じがするから良く見えるのかもしれないけど、言い換えればこれは凄く怖い事なんですね。

 つまり、”我々一般大衆は、かくも無知で未熟で能なしなのですから、全知全能のお上の名の下に、我々が無茶しないように手足をどうぞ縛って下さい”と言っているようなものですから(アンタはマゾか?)。

    ここでお定まりの脱線。

       人間って不思議なもので、全くなにも縛られるもののない自由より、多少規制とか障害とかがある方が、どうやら心地良いらしい。例えば全く障害物のない、どこまでも一枚バーンの白銀のゲレンデ、ここをフリーで滑ってもすぐに飽きちゃうけど、コブだのジャンプだのポールだの深雪だの立木だのと、滑走を規制・困難化する障害が多少あった方が面白いとかね(低山の密林みたいに障害があり過ぎも困るけど)。

       これは別にスキーに限った事じゃなくて、先生や校則に反発する事で威勢良い学生もしかり。また他には、親の反対で余計燃え上がるカップルとか、e.t.c.e.t.c.。まあ、生まれながらにしてあまのじゃくなのは、私だけじゃないって事か?。

 で、管理責任を突きつけられた行政は、それによって窮地に陥るかと言えばまるで逆。規制強化の錦の御旗を得たのですがら千載一隅の大チャンス!。権限は増えるは、財団法人○○協会やらの特殊法人を沢山作って天下り先は増えるは、権限に群がるモノ共から利潤をピンハネして収入もがっぽがっぽ増えるはで、もう大変!。ウハウハでんなー!。


将来ありがち?であって欲しくない例4〜とある冬山の入山口にて 係員曰く
    「はい、そこの山スキーヤー!。(財)日本山スキー安全滑走協会(仮称)の免許証見せて。
     え、あんたの認定まだ中級じゃないの。だめだめ!、この山は上級の認定じゃないと入山許可おりないの!。帰って帰って!。
     え、上級の認定料なんて高くて払えないだって?。そんな事俺に言われたって困るよ。でもそのお陰で俺はおまんま食えるし、お宅らだって命守ってもらえるんだから、文句いいなさんな!。」
そこに一本の無線連絡が。
    「なに、山頂にて協会の免許不携帯の山スキーヤーを発見?。ようし、即逮捕しろ。なに、崖尾根方面に現在逃走中だって?。だったら崖尾根に追いつめて、なんとしても捕まえろ。
     え、あそこに追いつめると奴が危険だって?そんなの気にするな!。免許持たずに山に入る奴の方が悪いんだから自業自得だ!。いいから追いつめろ!。」

 但し口酸っぱく”自己責任”社会とは言っても実は、責任取れるちゃんとした”自己”があって初めて成り立つ社会でもあるんダナ!、これが(ダンダンヤヤコシクナッテキタ?)。しかし今の日本には、そのちゃんとした”自己”を持った大人がどこにもいない。流行に流される・ブランドに流される・権威に流される・人の評判に流されるe.t.c.。

 確固たる”自己”がない人間に、責任の伴う判断なんて果たして出来るでしょうか?。なぜならその人は、物事の判断基準となる”自分の物差し”を持っていないのですから。せいぜい人の意見や評判という、”借りてきた物差し”で計るのが関の山。そのくせその判断に失敗した時には、言い訳や開き直りだけは天下一品ときたものだから、全く困ったものだ(こんな輩、貴方の身近にも必ず居るはず?)。

     ここで言っている自己主張とは、ちまたで流行っている”ジコチュー”とは違いますのでお間違いなく。主張をすれば必ずその事についての責任が伴うのが、大人の社会。つまり、”言った事に責任がとれる大人の主張”の事でして。

     また”言ってナンボや!”とか”言うだけはタダ”みたいに、なんでもかんでも主張すりゃ良いと言う訳でもありません。大人なんですから、”分別”と”恥”と”バランス感覚”を持ち合わせた人でなきゃ、誰も相手になんぞしてやくれません。そうでない人の事を世間一般には”おおかみおじさん”と言います(ハテどこかで聞いたような?)。


 つまり、”流されない・惑わされない”確固たる自己があって、且つそれが主張出来る大人。そんな大人が判断してはじめて責任を取れるのが”自己責任”ってゆー訳なんですねえ。そしてその責任の取り方が時として自分の生命の安全にまで及ぶのが、アウトドアの掟!。つまり山は”大人の社交場”って事になるのかな?。

 ここまで2話にわたって長々と書いてきたけど、これでやっと二つの言葉の関係が繋がったかな?。長いコラムもこれで終了!かと思いきや、ちょっとまだしつこくその続きってゆーかー、補足ってゆーかー(語尾上げ)、自己責任の続編があったりなんかする。と言うのも、これだけでは私が”規制反対!”を声高に主張していると誤解されて、もしかしたら”政府なんてくそ食らえ!”、”人民を拘束する全てから解放せよ!”、”革命だー!”なんて考えている、アナーキーな無政府主義者だと思われていて、時代錯誤の極左から勧誘されても困るんだもん!?。

 ただ次編は山スキーからはかなり脱線するので、ここまで読んで食傷気味になったり消化不良を起こした方は、読まない方がいいよ!。したっけね!。


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