この国の構図

 ”さっきから黙って聞いてりゃ、自己責任だから規制はいらないって言った矢先に、規制はやっぱいるだの、なんらかの枠組みが必要だの、ああだのこうだのと、結局どっちが良いんだよ!。白黒付けんかい!”と言う読者の声が聞こえそうだ。確かにややこしいかも知れないけど、別に相反する事を単なるご都合主義で使い分けているのではなく、ここで首尾一貫しているのは以前触れた”この国の構図”という、動き出したら止まらない得体の知れない邪悪なシステムへの警鐘!。

 なに、”余計訳が分からなくなった?”、でももうこの”自己責任”シリーズもこれでお終いだから(こっちもいい加減もう飽きた!)、総括の意味でもうちょっとだけ書かせて!。


 ”この国の構図”に触れる前にまず、”この国の規制”について。とにかく必要以上に規制が多すぎ、且つ厳しすぎ、おまけに複雑で曖昧というのが現状。つまりお上がその気になればどんな善良な市民・団体だってしょっ引く事が出来る。”お前のところ、抜き打ち検査するぞ!”と脅されればビビるのは、善良なる飲食店しかり、商店主しかり、運送業者しかり、燃料店しかり、善良なる(?)風俗営業者しかりe.t.c.....。

     その良い例が道路交通法。もし貴方の車の後ろを、貴方を検挙する目的を持って尾行すれば、ものの数十分で、”スピード・一時停止・駐停車禁止・etc...違反”で、貴方は免許を取り上げられる事間違いなし!。

 そしてその多すぎてきつ過ぎる規制は、どう考えたって全員に公平・厳密に適応するなんて事は不可能で(国民みんな罪人になっちまう)、その権限をどう使うかは、監督官庁の裁量に委ねられている。おまけに複雑で曖昧な規制は監督官庁の解釈次第ではどうとでも適応可能。つまり、監督官庁に気に入られれば天国、睨まれれば地獄。そこから”裁量行政”なんて余地も生まれる訳。

 これじゃー、官と民が対等どころの騒ぎじゃなくなって、民は官のご機嫌取りに血眼になる。大蔵省と銀行(MOF担って言葉覚えている?)の関係なんて、まさにこれ。結局民も、官の顔色を伺ってばかりで、利用者なんてそっちのけになり、一番困るのが蚊帳の外に置かれた、利用者たる一般市民。

 そして官はますます図に乗って、民を監督する為の特殊法人を次から次へ立ち上げて、自分たちの天下り先を確保。その法人の資金は、監督官庁から睨まれたくない”民”をちと脅せば湯水のように得られる。で、官僚時代では絶対得られない高収入・高退職金をGETするだけでなく、現役官僚へも、正規に予算要求したって絶対通らないような裏予算などとして還元するものだから、現役だって甘い汁を吸う。道理でこの”構図”を死守する訳だ。

     ここでお定まりの脱線。生類哀れみの令等、今より遙かに理不尽な規制・罰則が多かったのが江戸時代。あまりに刑死・獄死が多かったため、牢獄で一生を終えたくないと言う意味で”畳の上で死にたい”と言う言葉もあった位だし、”役人の子はにぎにぎを....”等、取り締まり官庁の腐敗ぶりも凄かったようだ。必要以上の規制が、”民・官”共にだめにする構図が見える。


 ”この国の構図”を打破する手段は二つある。一つは規制緩和というより、一度規制を全廃した上で、本当に必要な規制のみを残すという、大前研一流で言えば”ガラガラポン!”。但し”官・民・財”の鉄のトライアングルが強力な現状では全く持って望み薄。

     なんだったかメディア媒体は忘れたけど、とある規制の必要性について行政担当者が、”本人は死のうが勝手かも知れないが残された家族が....”等の回答をしていた。私もその時は一見正論に聞こえたけどよく考えたらやっぱ変。だって命の危険性がゼロじゃなく、やらなきゃいけない必要性がある訳でもない”アウトドアスポーツ”なんて、その論法で言えばお上の規制・保護なしには絶対やっちゃいけないって事になる(山スキーや登山やフィッシングやオフバイク・MTバイクetc)。つまり自己責任って概念が全て否定された事になる。

     人には生まれながらにしては”幸福になる権利”はないかも知れない(これは本人の資質と努力次第)。でも第三者の生命・財産・権利・e.t.c.とかに影響を及ぼさない限り、”自ら進んで不幸になる権利”は生まれながらにして持っているんだよね。だからタバコ吸おうが、単独行で冬山行って死にそうな思いしようが、バイクですっ転んで下半身不随になろうが....。幼稚園児じゃないんだから、そこまでお上に干渉されたくないってば!。

 二つ目は、これも枕詞として使われ過ぎたけど”情報公開”。公権発動の際にはその理由と選考過程等の説明責任が必要になったり、特殊法人・官庁の資金の流れがガラス張りになれば、”越後屋!そちも悪よのう!、ふっふっふ”的な、官に服従しない業者への嫌がらせや、”お代官様、これをお納め下さいませ!”的な甘い汁も吸えなくなる。

     本来マスコミは、このような”巨悪を眠らせない”事に主眼を置くべきで、これが真のジャーナリスト魂。ただ単に”政治・行政が悪い”等の、大衆受けする非難報道だけでは、闇の向こうは何も見えない。具体的に切り崩して行かないと。例えば、責任の所在が全く曖昧な現行の官僚システムe.t.c.とか。

 なんでもかんでも管理者責任に転嫁して自分の非を認めない、”大人”に成り切れない幼稚な国民性。それに迎合し、異様な過保護を肯定報道するマスコミ。自分の権益を増やす事はあっても、絶対手放さない官。”話としては分かるけど、これと山の”自己責任”とは、何の関連があるのさ?”って?。

 例えば、オフピステブームがこれ以上過熱して、ロープ外での雪崩事故が今以上に大量発生したらどうなる?。また例えば、未熟なツアーガイドが大量遭難死亡事故を起こし、保険も支払い能力もないもんだからなんの賠償も受けられない遺族が大量発生した日には?。社会問題化して、法規制を求める世論と共に、”この国の構図”で説明した巨大で邪悪で得体の知れない化け物が動き出すかもよ?。そして一度動き出したら官僚制度が崩壊するまで止まらない、そんな化け物に、雪山まで登って来られたんじゃあたまらない!。

 つまり、無責任や責任転嫁や他人任せや知らんぷりを決め込んで、スキー場のロープくぐりにうつつを抜かしていたら、いつの間にか君たちが”フリーライド”と呼んでいる山を”フリーにライド”出来なくなるという可能性もあるという事なのサ、お兄さん!。


 さて、”単に自己責任と言ったって、確固たる”自己”、”自分の物差し”、”それを主張出来る勇気”があってはじめて”自己責任”が成立する....”から始まった”うるさい!くどい!”、7回連続シリーズもようやくこれで終わり。最後まで七面倒くさい話にお付き合い下さった方も大変ご苦労様。さて来週からは、もうちょっとライト?な話題。
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