近年のバックカントリーや、オフピステブームについて思うこと

 最近ボードがはやるようになってから、ゲレンデボーダー・スキーヤーがそのまんまの格好で、なにも装備や知識を持たずに、スキー場のリフトを使って登り、コース外を立入禁止のロープを越えて滑る事を、オフピステと称するようになりました。

 だけど、”これって本当のオフピステ?”と思ってしまいます。最低でも読図や雪山の知識を持った人が、それなりの装備と自己責任で挑むフィールドを”オフピステ”や”バックカントリー”と呼ぶのじゃないかと思っています。

 誤解しないで下さいね。私はボーダーを拒否しているのではありません。パウダーを滑る快感を求める者同士、山スキーヤーもボーダーも仲間だと思っています。ただその装備と危機管理能力があまりに貧弱なのが疑問なのです。最低でも地図・磁石や、ミスコースした際登り返す事が出来る装備(スノーシューやシール)と、雪山での判断能力は、たとえスキーコース脇とはいえ、最低必要だと思うのです。

 今年に入っても('99年)、ルスツスキー場やサホロスキー場でボーダーの遭難騒ぎ(いずれも自力下山)があり、遂に3月にはニセコで、ボーダーが雪崩で一名死亡という事態にまで至りました。たとえスキーコース脇とはいえ、リスクはやはりあるのです。


 私も山に登る際、リフトがあれば使いますけど、あくまでリフトはアプローチの手段。目的はその上に広がる斜面です。ですから地図・磁石や、ミスコースした際登り返す事が出来る装備と、雪山での判断能力は必携です。基本的には”働かざるもの、食うべからず。自分の足で登らざるもの、パウダーを滑るべからず。”が私のモットーです。これでゲレンデ管理者との余計な摩擦も避けています。

 でも滑りたいやつには馬耳東風、はっきり言って、何を言っても無駄なのが現状です。”自己責任で滑っているんだから、余計なこと言うな!”と言われるかも知れません。でも”自己責任”の言葉の真の意味ご存じですか?。雪山での自己責任とは”己のミスは、時によっては己の命で償う”事です。それだけの覚悟ありますか?。

 その覚悟があったとしても、まだちょっと待って下さい。ゲレンデには、山とは違い、さまざまな人がいます。いわば公共の場なのです。そこでもし、”立入禁止”のロープをくぐっている大人の姿、あるいはそのトレースを見て、”自己責任”の言葉の意味を知らない子供がまねして滑っていったら!。それでも”自己責任”を主張出来ますか?。

 ただし、”トレースがあるから”と、安易に”立入禁止”のロープをくぐっていって遭難する大人には、私は全く同情しません。自業自得というものです。遭難してから”トレースを付けたやつが悪い”と人に責任転嫁しても、だれも助けてくれないのがオフピステ=大自然の掟。その覚悟がないなら、間違っても”立入禁止”のロープをくぐらないことですね。

 ただこういう輩があまりに増えすぎたら、我々山スキーヤーもそのあおりを食って、たとえば将来”ニセコ全山、スキー場以外立入禁止”にもなりかねませんね。(困るなあ)


 ゲレンデからロープを越えて滑る”カミカゼボーダー・スキーヤー”は、ゲレンデ脇なんて安直なことを言わず、どうしてもコース外を滑りたければ、スキー場の管理外の山頂まで登って、そこから自分の判断でコースを選んで滑ればいいのです。後は怪我をしようが死のうが自分の勝手。他人を巻き添えにしない限り、個人には怪我する権利も死ぬ権利もあるのですから、他人にとやかく言われる筋ではありません。これこそ”自己責任”です。

 外国の事例では、スキー場管理者が、状況に応じてコース外を閉鎖したり解放したりする所もあるそうなのですが、これを日本に適応する案にも、”自己責任”と言う見地から私は反対です。”コース外を解放していたので大丈夫。なにかあったら管理者の責任だ”という、滑る側の甘えを助長しかねないからです。


 ちょっと話が大きくなり過ぎたので、これで一区切り。なにを言いたいのか論点が定まらなくなってしまいました。

 さて今週末、天気が良ければ、シールを付けてどこの山に登ろうかな?。


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