日本人にはあまり知られていないメジャーリーガー列伝。

イチローや新庄や野茂や大家やマック鈴木や伊良部などのいろいろな活躍により
メジャーリーグはたいへん身近なものになりました。
メジャーリーガーについてもっともっと知りたいという方も多いと思います。
そこで日本人にはまだあまり知られていない伝説のメジャーリーガーについて
書いてみたいと思います。それを読むなりなんなりしてください。

ジョー・ジャクソン
(シューレス・ジョー)
(1889-1951)
1910年、アスレチックス入団。
入団した翌年に打率四割をマークするなど、天才的バッターとして有名でした。
゛シューレス ・ジョー゛(はだしのジョー)の名前は、
マイナー時代に足にあう靴がなかったためにはだしで出場したことからつけられました。
1915年にホワイトソックスに移籍。常に三割以上をマークしました。
しかし1919年の八百長事件(ブラックソックス・スキャンダル)により
球界を永久追放されました。
映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作のモデルでもあり
アメリカ人の間では今も名誉回復運動が根強い選手です。
デビッド・ジョケッティ
(デビッド・イフ)
(1912-1944)
1931年、インディアンズ入団。
俊足のデビッドとして知られ入団以来6回の盗塁王のタイトルをとっています。
1943年に志願して第二次世界大戦のヨーロッパ戦線に従軍しました。
その後ヨーロッパ各地を転戦しましたが、 1944年12月、ベルギー領バストーニュで
戦闘があったときに悲劇が起こりました。当時彼が所属していた部隊はドイツ軍に
包囲されていました。ドイツ軍の砲弾が毎日毎日飛んできました。
彼はそれをすべて走ってかわしていました。しかしある日いつものように走ってかわそうと
したところ、サイズが合わなかったのでしょうか、靴が脱げてしまい彼は走ることができませんでした。
戦後、1948年にワールドシリーズを制覇したインディアンズは、長い低迷期に入ります。インディアンズファンは「あの時、デビッドの靴が脱げていなければ。」といつまでも彼の死を悼んでいました。
゛デビッド・イフ゛。歴史に"もしも"は無いということがこれほど残念な話もありません。
ニッキー・ランディス
(フォゲット・ランディス)
(1892-1968)
1912年、ブレーブス入団。
四年連続の二十勝を三回も達成するなど、息の長い名投手として知られました。
゛フォゲット・ランディス゛(忘れんぼうのランディス)の名前は登板する際によく
靴を忘れてきたことからつけられました。生涯確率は352.です。
晩年は慈善活動に力をつくし、
「靴は忘れても貧しい子供達のことは忘れたことはない。」という言葉どおり
生涯を慈善活動にささげました。
ボストンには ランディス財団が今も残っています。
ピート・クレメンツァ
(マジック・ピート)
(1922-1988)
1950年、レッズ入団。
28歳というけっして早くはないメジャーデビューにもかかわらず、
入団した年からショートのレギュラーを守りつづけ、守備の要としてチームメイトに
頼りにされました。その華麗な守備は"マジック"といわれファンを魅了しました。
しかし苦労した期間が長かったためかその性格は悪く、後輩の選手の靴を隠したり、後輩の選手の靴に画びょうを入れたり、後輩の選手の靴にマヨネーズを入れたりと、
ベンチでも゛マジック゛ぶりを大いに発揮したといいます。(本人は否定)
後に パイレーツの監督として選手の靴を握りしめたり、選手の靴を遠くに放り投げるなどの采配で 二度のリーグ制覇を達成しました。(本人は否定)
エドワード・グレイ
(エド・ハウンド)
(1938-)
1960年、アスレティックス入団。
攻撃的なスタイルで゛ハウンド゛と呼ばれた強打者です。
試合相手に派手な野次を飛ばすことでも知られ、それが原因の乱闘が何度もおきています。
また、選手の靴の匂いをかぐという奇妙な趣味の持ち主で、当時の選手の大半がかがれ、「ハウンドに靴の匂いをかがれなかった選手はほんとうのメジャーリーガーではない」とも言われました。
現在では゛エドワード・グレイ福祉協会゛の会長として全世界の恵まれない子供達の靴の匂いをかぐ活動を行っています。

ジョン・カスティーノ
(カスティーノ.Jr)
(1978-)

1998年、デビルレイズ入団。
靴屋の息子に生まれ、生まれたときから靴に不自由はしなかったそうです。
ロッカールームには常に二十足以上の靴が入っており、そのことがチームメイトや対戦相手やファンの嫉妬を招き、試合中は常に大ブーイング、ビーンボールの連続、
舌打ちの嵐でした。その後も1イニング中に七回靴をはきかえるリーグ記録達成、
まわりが薄暗い時に靴に火をつけて明かりをとる、「靴と安全はタダ」などの暴言を
吐くなどその傍若無人な振る舞いに批判が高まり、1999年退団。
現在、 実家の靴屋を継いでいます。

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