パッキャラマド霊廟

12世紀、この地一帯を支配したイドゥ朝の名将として中東一帯にその名を知られているのがイザーク・カーン・パッキャラマドです。
モンゴル帝国のイル=カン国に圧迫されながらも、忠臣パッキャラマドによりこれを撃退したパッキャラマドの伝説は14才以下の子供なら誰でも知っています。15歳になるとそうでもありません。
 イドゥ朝の君主ムハンマド・イドゥ・パシャにたいへん信頼されたパッキャラマドは戦いに出るときに常にパシャよりクラリネットを託されていました。そして戦勝の際には神とパシャへの感謝としてそのクラリネットを演奏し、皆泣いたということです。
 しかしある戦場でそのクラリネットを壊してしまい、戦いには勝ったものの音の出ないクラリネットを持って、「パシャへ戦勝を伝えることができなくなった」といって泣き、その場で自ら首をはねて命を絶ったといいます。
パシャは大いに嘆き、吟遊詩人に彼の歌を作らせたのでした。その歌は現在国家として歌い継がれ世界中に広まったのでした。