2.シャワー。


思えば彼らは今日までどれだけの逆境に耐えてきたことか。

ホースつきシャワーである。

凄惨なるかなその運命。元来は身体に湯や水をそそぐための道具の

はずである。

しかしその可動性が仇となりバスタブの掃除にも使われるはめになる。

彼らは石鹸やシャンプーを洗い流すためにあるのであって、バスピカや

バスマジックリンを流すためにあるのではない。

本末転倒。

そんな言葉が心をかすめる。

しかしシャワーの問題点というのはほかにもある。

恐怖映画である。

A級、B級、C級を問わずに使われることだが、

2番目に殺される金髪ロングヘア美女(週刊誌見出し風。)は

シャワーシーンで殺される。

この場合胸毛大盛りの男はあまり殺されないので

セクシーシーンとして使われているのだが、元来は

シャワーのもたらす恐怖感を出すシーンなのである。

シャワーはその音により周囲の雑音を消し去り、また、頭からかぶると

湯が顔に流れ目を閉じさせる。そして湯の温度が外気の接触から

解き放つ。

もたらされるのは完全な孤独。孤独すら感じさせない孤独。

周りで何が起こっていても気がつかない。殺人鬼がせまっていても。

そうなったら対抗する手段はない。あらゆるものをほり出している姿では

排水口に赤い水が流れこむばかりである。

そうならないためには外部とのつながりを保つ必要がある。

だが電話は感電の恐れがあるし、糸電話は水に濡れるとつかえない。

インターネットなど論外である。よべどさけべどシャワーからのがれる

すべはない。

これこそがバスピカやバスマジックリンを流しつづけた人類への

シャワーによる復讐ではないか。



関係ないが下から出るシャワーというのはどうだろうか。



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