続々々・智恵子(小)
はじめに
この物語はある作家(家族の強い要望により匿名)の智恵子(小)との深い愛憎の様子を作家本人が記した日記である。作家自身は発表の場を求めていたが、家族の強い反対により、商業誌での発表は見送られた。そのため一昨年に作家の匿名、また作家を特定できるような個所の非公開を条件としてその一部をSAKANAFISHにて公表した。
今回は、作家自身の強い要望により、前回の続きの公開をするものである。
なお、前回、前々回、前々々回掲載分をご覧になりたい方はこちらへ。
12月16日
今年は例年に比べるとかなり暖かいが、それでもこの季節になると寒さが身にしみる。長年着つづけたコートが古くなったので智恵子(小)に買ってきて貰う。黒牛皮のコートに赤い錠剤が無数についている。「元禄衣装較べ。」成程。
12月17日
佼善社に書き下ろしの打ち合わせ。ハイヤーで20分。後で社長が「鶴の箱」で昼飯を喰わせると言う。然し最近の運転手は無口になったものだ。昔は五月蝿い位に喋って来たものだがちらと見ただけで後は黙りこくっている。そのくせ鏡越しにちらちらとこちらを覗っている。下衆な男だ。
12月18日
冬になるとやはり河豚が喰いたくなる。「二十水」。コートをじゃらじゃらいわせるのもすっかりなれた。夕方、驟雨。雨がコートにかかって折角の錠剤が溶けだした。足元から大きな蟻が現れる。蟻がどんどん大きくなる。どうやら錠剤を吸って大きくなるようだ。大騒動。帰りに「抱月」。
12月19日
書き下ろしの構想を練る。インパール作戦の牟田口廉也中将と米国のジョオジ・パットン大将の評伝はどうか。智恵子(小)がまたコートを買ってくる。今度の錠剤は青い。外に出ようと思うが、やめる。
12月20日
拙著「「偽国」の犬」の出版パーティ。出版社の悪習というものか。このような処で変に顔を合わすから文壇というのが煩わしくなる。奈良原(註・当誌判断により仮名)。なぞは文士より政治家に成るべきではないか。青い錠剤を飲ませてやると奴の額にマウス(註・当誌判断により仮米国出身人気鼠名)のアニメーションが浮かび上がる。奴の作品のように素晴らしい出来だ(註・当誌判断により仮形容詞)。
12月21日
風邪気味。生姜を煎じて飲むと良いと智恵子(小)が言うので生姜を買いに行かせる。そのまま戻らず。
12月22日
未だ戻らず。
12月23日
天長節。未だ戻らず。
12月24日
耶蘇聖誕祭前日。水道の蛇口を捻ると黄白色に濁った液体が流れてくる。臭いを嗅ぐとどうも生姜汁のようだ。仕方がないのでそのまま飲む。夕食、しゃぶしゃぶ。
12月25日
耶蘇聖誕祭。智恵子(小)が家の中のブーメランをすべてつなぎ合わせて大ブーメランを作ると言う。確か昨年も同じことを言っていたように思う。昨年は256個のブーメランが見つかった。今年は25個。不作。
12月26日
相島君の「落剥」の解説を依頼される。年末進行の時期で忙しいのは解るがこんな時期に仕事を頼むのはどうかしている。来年まで、手をつけるのもやめておく。
12月27日
年末なので家人が家に帰るかと聞いてきた。文士に新年も何も無いと言って電話を切る。暦というのは人を巻き込まずにはおられないようだ。暦の呪縛からそろそろ解き放たれるべきではないか。「320045、320044、320043」智恵子(小)が何事か言っている。
12月28日
「きしむら」から数の子が届く。こればかりは正月の風習としておくには惜しい。いい酒を開けたくなる。台所の酒瓶を見てみると中身はすべてひよこに変わっている。仕方がないので遠州屋に届けてもらう。ピヨピヨとうるさくて眠れず。「240805、240804、240803」智恵子(小)が何事か言っている。
12月29日
今年最後の「抱月」。女将が21世紀21世紀とうるさい。世紀など変わったところで多くが変わるはずもない。しかしこの20世紀というのは19世紀末のデカダンスの壮大な異端(原文傍点有り)も終に生み出すことが無かった。21世紀には文学など無くなっているかも知れぬ。嘆息。家に帰ると酒瓶のひよこがさまざまな色に染まっている。幼少期のトラウマが襲う。「165423、165422、165421」智恵子(小)が何事か言っている。
12月30日
終日「歯切れ」執筆。ひよこが鶏に。智恵子(小)は「82653、82652、82651」。
12月31日
大晦日。気がつくと蕎麦なぞを取っている。やはり日本人だな、と苦笑。新年が近づく。「4、3、2、1、0!」全国ではカウントダウンの馬鹿騒ぎ。智恵子(小)は「82653、82652、82651」。
1月1日
元日。無聊。客も無く賀状も無い。虚礼を廃するにしても廃し過ぎだ。智恵子(小)は「82653、82652、82651」。
1月2日
「4、3、2、1、0!!」嗚呼!