佐々木田兼志郎博士の文学講座
絵で見る近代俳句・短歌
四国帝大 文学博士 佐々木田兼志郎博士 |
助手 なんだくん |
長塚節「剥製鳥」との題にて
木の枝にとまれる鳥のとまり居て逃ぐる事もなし鳴く事もなし
佐々木田博士 | 長塚節は「ながつかたかし」と読みます。 決して「ながつかぶし」ではありません。」 |
なんだくん | 豈図らんや! |
佐々木田博士 | 君は一体何を言っているのだね。 |
なんだくん | 噫! |
佐々木田博士 | …長塚節は正岡子規門下の歌人で、子規の 「写生説」を忠実に実践した繊細で清澄な歌風で 知られています。 また、小説「土」は農民文学の代表作です。 さて、そんな彼の作風から生まれたこの歌を 分析してみましょう 「剥製鳥」つまりはくせいの鳥は動きません。 昔「天才バカボン」で「バカボン」のはくせいが 作られるという話がありましたが、 普通のはくせいは死んだ動物を使いますので 動きません。 この歌で、長塚は 「木の枝に止まった鳥がとまっているが、 逃げることも、鳴くこともしない。」 と言っています。 最初に「剥製鳥」と断りを入れていることから、 きわめて当たり前のことを言っているように 見えます。 しかし、歌の中で長塚は「鳥」という言葉は 使っても、「剥製」と言う言葉は使っていません。 「剥製」ではなく「止まった鳥」。 つまりこの歌の中で「剥製」は、「生きているが 動きの止まった鳥」としてとらえられているのです。 生きていれば「逃げるか、鳴くか」するはずです。 ですが現実には「逃げることも、鳴くことも」しない のです。 それだけが生きている鳥と違うため長塚は 不審がって見せているのです。 それほどこのはくせいは生きているものに近い、 生命力を持ったものだ、ということです。 長塚は「とまれる」「鳴くことも逃げることもせず」と、 生命力とは正反対な言葉を使っていながら、 死んだ「剥製」に「生命」をふきこんでみせたのです。 では、この歌を元にした絵をご覧になってください。 |
佐々木田博士 |
いや、ニワトリというイメージは ぜんぜんないんですが…。 |
なんだくん | 咄! |
石川啄木
秋近し! 電燈の球のぬくもりの さはれば指の皮膚に親しき。
佐々木田博士 |
さて、石川啄木ですが、この歌は 「東海の小島の磯の白浜に われ泣き濡れて蟹とたはむる」の歌とは違い、 「秋近し!」の「!」にたいへん力が こもっています。 その点から啄木特有の悲しみのイメージがないと 思われますが、 実は大変な悲しみを背負った歌なのです。 |
なんだくん | 是、不可思議なる哉。 |
佐々木田博士 | 白熱電球というのはとても高熱です。 ちょっとしたプラスチックくらい溶かす勢いがあります。 それと「親しい」つまり近い温度の 「指の皮膚」なのですから、 啄木の体温もたいへん高かったと思われます。 もうひとつ、啄木の歌で有名なのに 「たはむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて三歩歩まず」 というのがありますが、 これは母が軽くなったのを悲しむ歌と一般には 思われていますが、実はその反対で 啄木自身があまりに大きく重くなってしまったことを 悲しむ歌なのです。 啄木は一見やさしいイメージがあります。 しかし彼は朝日新聞の社員として高給を得ていながら、 遊興のため友人達から借金をしまくり、その額が 現在の価値で1300万円にのぼるといいます。 そんな彼に母親から「1万円」相当の仕送りを 要求された時に日記でたいへん嘆いています。 金を貸すということに対してです。 そんな彼が母のことを悲しむわけがありません。 全部自分のことです。 つまり、啄木は世間で思われているより 高熱で巨大だったということです。 |
佐々木田博士 | 体長30メートル体重250トン、 数百度の熱線を吐き、渋民村、小樽を 相次いで壊滅させた啄木は 東京を目指しました。 東京を襲った啄木は宮城にせまり、 帝都壊滅の危機を迎えました。 その時明治天皇と乃木希典大将の二人が 「ロイヤルエキセントリックボンバー」をくりだし、 かろうじて啄木の息の根を止めました。 しかしこの戦いで傷ついた明治天皇と乃木大将は それを確かめると相次いで亡くなりました。 そして大正時代が始まったのです…。 |
なんだくん | 噫!已んぬる哉! |
佐々木田博士 | では、最後に自由律俳句の 種田山頭火の句と絵をご覧になりながら お別れしたいと思います。 皆さん、さようなら。 |
種田山頭火
こほろぎに鳴かれてばかり
なんだくん | 噫!人心の荒廃ここに極まれり哉! |