なあホームズ。  
 

なんだいワトスン君。
ずいぶんと不景気な顔をしているな。

そりゃ不景気な顔もするさ。
実際に不景気なんだから。
 
 

その言い方はおかしいな。
第一、好景気だからって
人は高景気な顔をするのかい?
神武景気のときよりも
イザナギ景気のほうが人は高景気な
顔をしていたとでも言うのかい?
そんな記憶ボクにはまったくないよ。

体験したのかよ
神武景気とイザナギ景気。
 
 

そのへんの説明は遠慮させてもらうよ、
ワトスン君。
時代というのは恐ろしいものだ。最近は
神武景気やイザナギ景気と言っただけで
右翼扱いされてしまう。
僕は無益な争いは好まないのでね。

しないよ
さすがにそれくらいじゃ。
というかイザナギ景気とか神武景気が
最近の人々に通じているかもあやしいよ。

 
 

僕はこう見えてもイギリス人だからね。
そう言った議論には
くみしない事にしているよ。

…君と僕の間に距離があることが残念だよ。
ホームズ。
 
 

さて、それはそれとして
腹が減ったよ。
何か無いのかい、フィッシュ&チップスとか
ローストビーフとか。

無いよ。
何しろハドソン夫人は今出かけているんだ。
もう少し我慢しろよホームズ。
 
 

ああ腹が減った。なあワトスン君。
ポケットに入っていないかい、
フィッシュ&チップスとローストビーフ。
そこの本の下敷になってはいないかい。
フィッシュ&チップスとローストビーフ。

…もしかしてホームズ、
フィッシュ&チップスとローストビーフが
なんなのか
よく知らないんじゃないか?
ただ、イギリス人の食い物といえば
それしか知らないから適当に
言っているんじゃないか。
 
 

馬鹿なこと言うなよ、ワトスン君、
僕はチャキチャキの英国紳士だよ。
むろんあれが何かよく知ってるよ。
特にフィッシュ&チップス、
あれはね、

お茶漬けにするとうまいんだ。
 

何を言ってくれてるんだ
ワトスン!

古い手法だよホームズ。  
 

きいっ!悔しい!
こんな屈辱、耐えられないわ!
セバスチャン、家に帰ります!
フィッシュ&チップスを用意して!

まだその方が
よかったかもしれないね、ホームズ。
でもさっきの流れではそのノリは出しづらかったね。
 
 

くそう評論家ぶりやがって。
なんだお前は。
何様のつもりだこのヒゲ野郎。
まったくこれだからヒゲはヒゲはヒゲは…。

あ、どうやらハドソン夫人が
帰ってきたようだよ。
 
 

とたとたとた。
ホームズさんホームズさん、
若い女性のお客さんですよ。
何かたいへんな用事があるとか言って。
ワトスンさんワトスンさん。

そうですか、それではお通ししてください。
あとフィッシュ&チップスとローストビーフを
頼みますよ。大至急だ!
 
 

はいはいそうですか。
とたとたとた。
とたとたとた。

…なんだかフィッシュ&チップスと
ローストビーフは来ない気がするよ。
 
 

それよりも事件だよ、
ワトスン君、 実に久し振りの事件だ。
これは難事件になる気がするよ。

まだ依頼人に会ってもいないのに
どうしてこれが難事件だとわかるんだい?
 
 

単純な推理だよ、ワトスン君。
なぜなら、ハドソン夫人は赤い靴を
はいていた。そして右のすそに小さな、
チョコレートのかけらがついていた。
そして右の目のマスカラが少し落ちていた。
つまり…

つまり?  
 

勘だよ。

ぶっとばすぞ。  
 

それはやめてくれ。

ホームズさんホームズさん、
お客様ですよ。
ワトスンさんワトスンさん。
 
 

失礼します。
ここがあの高名な探偵
シャーロック・ホームズ先生の
お宅とうかがって参りましたので。

まあおかけなさい。
こちらは私の友人のワトスン博士。
で、今日はどのようなご用件が
あってこられたのかね。
 
 

はい、私は、
ミルトン・クレイダーマン卿の
秘書をしているものでございます。

クレイダーマン卿というと
あの海軍大臣のかい?
 
 

はい、ゆくゆくは首相にも、と。
言われているとかいないとかという
クレイダーマン卿でございます。
…実はそのクレイダーマン卿から
内々にホームズ様にご相談がありまして。

ふむ…。
クレイダーマン卿がね…。
おそらくその依頼というのは
クレイダーマン家に伝わる秘宝
「緋色のダイヤモンド」に関するお話では
ありませんか?
 
 

ええっ!?
ど、どうしておわかりになったんですか!?

勘です。
 

…いっぺん君とはじっくりと話し合いをする
必要があるようだな。

まあそのへんは
追々な。
 
 

実は「緋色のダイヤモンド」が
何者かに盗まれてしまったのです。

ふむ…ではそのいきさつを詳しく教えて
もらえますか。
 
 

はい、クレイダーマン家には
道路に面したところに
巨大なショールームがありまして、
そこに「緋色のダイヤモンド」を展示して
道行く人に日夜自慢しているのです。

やな家だなほんとうに。  
 

ところが、今朝になって
執事のクレッグが点検に行ったところ、
なんとダイヤモンドが影も形も
なくなっているのです!

そりゃそんな目立つところに
おいておいたら盗んでくださいと
言ってるようなものだからね。
 
 

いいえ、クレイダーマン卿は
町の人にたいへん親しまれています。
そのようなことを考える人などいません!
なぜならクレイダーマン卿は
慈愛にあふれ、人々を深く信頼なさって
おられますから!

しかしそれでも
一人や二人の不心得者も
出るでしょう?
 
 

たとえそんな不心得者が出ようとも、
周囲には獰猛なドーベルマンが25匹、
ガードマンが25人、それに
ショーウインドーのガラスは36ミリの防弾で、
ちょっとやそっとでは破れないのです。

全然人々を信用してないじゃないか。
で、そんなにたくさんのガードマンの誰一人も
気づいていなかったというのかい?
 
 

はい、それが不思議で…。
朝方に執事のクレッグが
確認するまでは誰もショーウインドーに
近づいたものはいないのです。

となると一番あやしいのは
執事のクレッグということになるね。
 
 

そんな!クレッグは幼いころから
クレイダーマン卿のお世話になって
いるのです!孤児だったクレッグを
親代わりに20年間育て上げたのは
クレイダーマン卿なのですよ!
そんなクレッグがクレイダーマン卿を
裏切るなんて、絶対ありえません!
それに、裸にして逆さ釣りにして
厳重な身体検査をしたのに、
ダイヤモンドは出てこなかったんですから!

…いやあ、たぶんそのうち裏切るよ。  
 

ふうむ、これはなかなか厄介な事件だね。
いったい誰がどうやって
ダイヤモンドをとったのか…。

そうだね、衆人環視の中で
いったいどうやってダイヤモンドを
とっていったのか…。
 
 

お願いします、ホームズ様!
なんとかしてダイヤモンドを盗んだ
犯人を探し出してくださいませ!
お願いします!

そういえば、まだあなたのお名前を
聞いていませんでしたな。
あなたのお名前は?
 
 

はい、
ナンシー・ハンニン・ハ・クレッグデ・
ダイヤモンド・ハ・イヌニ・ノミコマセテ・
カクーシタです。

わかった!犯人はクレッグだ!!
 

ええっ!?

 

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