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「たのしいですよ」とそれはとてもよいことな |
「もりもとさいか」さんの質問 「なんでものにはなまえがついているんですか」 |
名前、というのは一体何なのか考えましょう。
例えばここに二人の子供がいます。片方の子供にだけ用があるとします。
しかし、名前がないと呼ばれたほうはどちらかわかりません。
そこで区別をするために名前がついたのです。
この説を「山下まさえ」といいます。
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「さむいです」とそれは温かくしたほうがいいとおすすめする |
「もりもとさいか」さんの質問 「何で生きものは死ぬんですか あとにんげんはどこまでいきられぬのですか。」 |
死、それは生あるものに必ず訪れるものです。生というドラマを締めくくるものです。
いわば一人暮らしの家庭に訪れるふとん販売業、選挙のときにやってくる昔の同級生の電話の
ようなものです。生命誕生以来死は必ずやってくるものなのです。
いわば水戸黄門の印籠のようなものです。
命の視聴者は死があるからこそ安心して生というドラマをを見つづけることができるのです。
いわば視聴者サービスというところでしょう。
人間がどこまで生きられるかは視聴率次第です。がんばって面白い人生を生きてください
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「カナダには知り合いはいません」と 手紙も届かない、 |
「ほげほげ」さんの質問 「どうして単細胞生物は差別されているのですか?」 |
差別は目に見えないものだといいますが、これは本当に見えにくい差別ですね。
しかし、見えないからといって無視していい問題ではありません。
単細胞生物といっても、立派な人間なのです。
…失礼しました。人間ではないですね。あ、立派でもないか。
所詮単細胞生物ですからね。あ、いえいえけっして差別などは。
差別というのは社会的なものが多いとされています。つまり、社会的に異質な物が
差別されるというのが差別の構造です。つまり、単細胞生物が、社会的に異質と
とらえられているということなのです。
そういえば単細胞生物は食べ物に火も通さないし、風呂にもはいりません。
シャンプーとリンスを間違えませんし、風呂上りにコーヒー牛乳を飲むことも無いのです。
そんな異質な生活をしている彼らを、同じ人類として見ることができないというのが
差別の真相です。あ、人類じゃないですね。同じ?とんでもない!
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「ぜいいん好きです」と 加藤さん大喜びな、 |
「もりもとさいか」さんの質問 「ジャムはどれくらい前から作られたんですか?」 |
ジャムというのは果物などを砂糖やはちみつと混ぜて煮つめたものです。
つまり果物と甘いものとと熱あるところ、そこにジャムが現れるといったところです。
いつ頃できたかはさだかではありませんが、中生代の中ごろに存在した、
サトウナベツキニコミザウルスがいた頃だと思われます。