副島隆彦文献目録 1997006

小室直樹文献目録 関連文献目録 整理番号1997102

[書評]『小室直樹の資本主義原論』(小室直樹著)

日本経済はいまだ「資本主義」に非ず


[ 副題 ] -
[ 著者 ] 副島隆彦
[ 分類 ] 雑誌記事
[ 誌名・シリーズ名 ] 正論
[ 号数 ] 1997年5月号、297
[ 価格 ] -
[ 出版社 ] 産経新聞社
[ 発行年月日 ] -
[ 頁数・該当頁 ] 332〜333頁
[ ISBN ] -

[ 全文 ]

 

 本書によって小室直樹氏が最終的に確立した命題は、「日本経済は、いまだ資本主義が完成していない、前期的資本(封建制)と、統制経済(社会主義)とが混合する三重経済トリプレット・エコノミー」である。従って日本の資本主義は、社会主義国家とその本質を同じくする、とする。資本主義国の資本主義国の自由市場経済が持つべき、三つの市場である、商品と労働と金融の三市場に於て、まず、(1)労働市場が確立していない。即ち、実質的に転職の自由はなく、ひとつの企業に終身しがみつかざるを得ない。(2)に、民間部門を圧迫してしまうほどの公共部門(特殊法人や郵便貯金)の膨張を止められない。(3)に、企業は資本家(株式所有者)のものであるという大原則を犯して、企業を経営者と従業員の共働共同体ゲマインデにしてしまっている。現在の金融市場の崩壊にまで突き進んだ原因は、官僚たちが「市場に命令できる」とする数々の傲慢な行動様式にある。官僚たちは金融市場をコントロールしようとして、株式市場の価格操作(PKO)をしたり、民間金融機関への公的資金の投入を行った。そして今や万策尽き「経済からの復讐リベンジ・バイ・エコノミー」を受けつつある。このように、「市場に命令を下す」愚を実践した官僚たちに加えて、八〇年代末のバブル経済崩壊の事態を誰ひとり的確に予測し得なかった、アメリカ仕込みの気鋭の理論経済学者や官庁エコノミストたちの大失敗は、「日本は、いまだ近代資本主義ディア・モデルネ・カピタリスムス、即ち、近代西欧的自由市場経済ではない」という大前提を彼らが理解しなかったからである。アメリカの処方箋がそのまま通用しないのである。そして全員が判断を誤って傷口を広げ今の悲惨な事態に陥った。

 たとえばカール・マルクスの思想の大柱のひとつに、"疎外エントフレムデュンク"(あるいは人間疎外と訳す)がある。日本では社会主義者だけでなくほとんどの知識人が、これを、近代社会が個々の人間に対して冷淡に振るまい人間性をうとんじるに至る悪い性質のことであるから、その人間疎外からいかに人間性を回復するか、というきわめて感情主義(あるいは人文じんぶん主義)的な理解をして来た。これが日本独特のマルクス主義である「主体性理論」(梅本克巳氏以下の)である。北朝鮮の金日成の「主体(チュチェ)思想」とどれほどの差があったか。小室直樹氏は、この疎外こそは、社会及び市場には法則がある・・・・・・・・・・・・・ということのマルクス的表現であり、これは西欧の近代経済学者・政治学者・社会学者の採る根本的立場と同一であるとする。同じことをフロイトは「フェティシズム(物神化)」と呼び、デュルケムは「社会的事実フェ・ソシアール」と呼んだ。この人間の主観から独立した冷酷な経済法則の貫徹を、勝手に動かせると傲慢にも考えた日本型の統制経済が、今、死の宣言を受けつつある。既にバブル崩壊直後の九一年に「日本経済の全身に毒が回りつつあるから、大銀行の三つ四つは、自己責任をとって、つぶれるべきだ」と警告した小室氏の主張どおり、今、私たちの目の前で、「大銀行の三つ四つ」が吸収合併さえもならず自壊倒産へ向かいつつある。小室直樹氏は世界の学問サイエンスの水準から日本を解剖する。                 

評論家 副島隆彦

(c)産経新聞社


[ 入手方法 ] 図書館など
[ 備考 ]

 

 

後、副島隆彦氏自身により改訂される。
引用元URL:http://soejima.to/boards/gb.cgi?room=mail

(以下、上記掲示板からの引用)

[155] 自分のPCに保存しあった小室本への私の書評文に、手を加えた。これを定番とする
投稿者:副島隆彦 投稿日:2001/11/24(Sat) 15:12:04

副島隆彦文献目録 1997006 [書評]『小室直樹の資本主義原論』(小室直樹著) 日本経済はいまだ「資本主義」に非ず

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[ 副題 ] - [ 著者 ] 副島隆彦 [ 分類 ] 雑誌記事 [ 誌名・シリーズ名 ] 正論 [ 号数 ] 1997年5月号、297 [ 価格 ] - [ 出版社 ] 産経新聞社 [ 発行年月日 ] - [ 頁数・該当頁 ] 332〜333頁 [ ISBN ] -

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[ 全文 ]    

 本書によって小室直樹氏が最終的に確立した命題は、「日本経済は、近代資本主義と、いまだ資本主義が完成していない前期的資本(封建制)と、統制経済(社会主義)とが混合する、三重経済(トリプレット・エコノミー)である」とするものである。

 従って日本の資本主義は、社会主義国家の経済体制とその本質を同じくする、とする。

 資本主義国の資本主義国の自由市場経済が持つべき、三つの市場である、商品と労働と金融の三市場に於て、まず、日本では、(1)労働市場が確立していない。即ち、実質的に転職の自由はなく、ひとつの企業に終身しがみつかざるを得ない。次に、(2)民間部門を圧迫してしまうほどの公共部門(特殊法人や郵便貯金)の膨張を止められない。そして、(3)企業は資本家(株式所有者)のものであるという大原則を犯して、企業を経営者と従業員の共働共同体(ゲマインデ)にしてしまっている。

  現在の日本が、金融市場の大混乱にまで突き進んだ原因は、官僚たちが「市場に命令できる」として行なった数々の傲慢な行動様式にある。官僚たちは金融市場をコントロールしようとして、株式市場の価格操作(PKO)をしたり、民間金融機関への公的資金の投入を行った。そして今や万策尽き「経済からの復讐 リタリエイション・バイ・エコノミー」を受けつつある。

  このように、自分たちが、「市場に命令を下す」と言う愚を実践した官僚たちに加えて、八〇年代末のバブル経済崩壊の事態を、日本の経済学者たちは、誰ひとり的確に予測し得なかった。彼らは、アメリカ仕込みの気鋭の理論経済学者や官庁エコノミストたちであるはずなのに、日本の経済政策の舵取りに大失敗した。この大失敗は、「日本は、いまだ近代資本主義ディア・モデルネ・カピタリスムス、即ち、近代西欧的自由市場経済ではない」という大前提を彼らが理解しなかったからである。アメリカの処方箋がそのまま日本でも通用すると思ったのだが、実際には、通用しないのである。そして経済の専門家の全員が判断を誤って、傷口を広げ今の悲惨な事態に陥った。

 たとえばカール・マルクスの思想の大柱のひとつに、”疎外”がある。この疎外は、エントフレムデュンクというドイツ語の訳語であるが、これは、「人間疎外」とも訳されて来た。日本では社会主義者たちだけでなく、ほとんどの知識人が、この「疎外」を、「近代社会が個々の人間に対して冷淡に振るまい人間性を疎うとんじるに至った悪い性質のことである」と理解し、そのように何十年も教え合って来た。そして、この「人間疎外からいかに人間性を回復するか」という考え方をして来た。このように「疎外」を、きわめて感情主義(あるいは人文じんぶん主義)的に理解して来た。

 これが日本独特のマルクス主義である「主体性理論」である。梅本克巳から吉本隆明に至るまでほとんど全ての左翼知識人が、このように理解した。この日本の新左翼系のマルクス主義の「主体性理論」と、北朝鮮の金日成の「主体(チュチェ)思想」と、では、その根幹において、一体どれほどの差があったといえるか。実際上、ほとんど変らないのである。日本の左翼思想などというものは、この程度に、低レベルなのである。

 小室直樹は、この「疎外」こそは、まさしく「人間のつくる社会及び市場には法則がある」ということの別の表現だ、とはっきり正確に理解していた日本では、稀有の、世界基準の学者である。「神の見えざる手」とアダム・スムスが呼んだところの「市場」なるものが、「人間の個々の、恣意性や願望や意思などでは、どうにもならない、自然界を貫く法則性のことだ」と、小室直樹は、はっきりと正しく理解していた。そして、「疎外」とは、この「市場」なるものの、まさしくカール・マルクス的表現であったのだ。

 そして、同時に、この考えは、西欧の全ての近代経済学者・政治学者・社会学者の採る根本的立場なのだ、とする。この「疎外=市場=人間世界を刺し貫く法則性」のことと、同じことを、ジークムント・フロイトは「フェティシズム(物神化)」と呼び、デュルケムは「社会的事実(フェ・ソシアール)」と呼んだのである。

 この、人間の主観から独立した冷酷な経済法則の貫徹は、たとえ、王様でも、独裁者でも阻止することは出来ないのである。それを、強力な権力を持つ支配的な人間たちの意思で、勝手に動かせると傲慢にも考えたのが、日本の官僚たちだ、と小室直樹は、断定する。このようにして、この10年の間、経済政策(財政政策と金融政策の両方)にことごとく失敗した日本型の統制経済が、今、死の宣言を受けつつある。

 小室直樹は、バブル崩壊直後の九一年という、既に極めて早い時期に、「日本経済の全身に毒が回りつつあるから、大銀行の三つ四つは、責任をとらせて、つぶすべきだ」と警告した。この小室氏の優れた洞察に基づく分析と対処法の提示どおり、今、私たちの目の前で、「大銀行の三つ四つ」が吸収合併さえもならず、自壊倒産(破綻)へと向かいつつある。

  小室直樹氏は、世界基準の近代学問(モダン・サイエンス)に拠って、日本に鋭い警告を発し続けているのである。   (了)          

  評論家 副島隆彦 (c)産経新聞社

(以上、上記掲示板からの引用)

 

三谷さんからの情報。

 

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