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アウレシア雑記

3 理町(リディア)の宿屋

著 (パピリオン)


 森の中の宿場町、理町(リディア)を訪れたなら、行ってみるがいい。町はずれの、こけむした石壁の古い宿屋へ。
 ただよう食事の甘いにおい、暖かいランプの光が、あなたをむかえてくれる。
 受け付けに立つ男は、まだ若い潔癖そうな男だろうか。あるいは、目元に厳しさをたたえた年配の男だろうか。いずれにせよ、あなたがきちんとした身なりをして、相応の宿代を持っていれば、喜んであなたを部屋に案内してくれるだろう。
 栄光(アウレシア)帝国暦九五四年冬、この宿屋に一人の若者が立ちよった。
 目元はすずしげ、色は白く、すっと通った鼻筋。金色の長髪を後ろにたばね、北方人系オルタ族の血を引くと思われる緑色の瞳が美しい。
 若者が受け付けに立つと、受け付けの年配の男はあからさまに不審の色をあらわにして、上から下までなめまわすように見た。
(きれいな顔のくせにくさったような皮の帽子、ふん、まあ許してやろう。ぼろぼろになったえりまき、貧乏たらしい。これにフェルト地のつぎはぎだらけのマントとな)
 胸の中でつぶやく。
「泊めてくれ」
 若者は、疲れた声で、投げやりに言った。男にしては妙にかん高い声が、受け付けの男をいらだたせる。
「あんた、何者だ?」
「おいおい、疲れ切ってたどりついた客を尋問するのかい? たまらねえな。金ならあるぞ」
 若者は、マントの下で財布をゆすった。硬貨が鳴る。
「別に金のことなど心配しちゃいない。ただわしは、自分と他の客の安全を考えて、あやしい人物を泊めるわけにはいかないんでね」
「おれのどこがあやしいと!」
 若者は、目を怒らせる。
「マントの左のすそを、上げてみてもらえるかね」
 若者の怒りの色がさらに濃くなる。
「なんだと?」
「まちがいないね、すぐわかる。ずいぶん刃渡りの長い剣だ。左手をそえて目立たないようにしているのだろうが」
 受け付けの男がするどい目を走らせると、若者は顔を赤くした。
「だからどうした!」
「兵士と貴族以外の帯剣は、法律で認められていない。兵士ならば、定められた制服を着ているはず。……まあその格好から、貴族ではありえないわな」
 ドン、とにぶい音を立てて若者は、受け付けのカウンターに手をついた。
 ちらりと後ろの食堂の方に目をやる。こちらを気にしているものは、いない。
「親父。言いたいことは、わかったぜ」
 二人はしばしにらみあう。
 やがて若者はふところに手を入れて、一枚の紙を放った。「檄」と大書された下に、書き殴るように書かれた細かい文字。
「一つ、皇帝の横暴を正すべし。一つ、庶民の人権を取り戻すべし……去る九月に滅ぼされた羊毛(ラナ)村の反乱分子が近隣にばらまいたという檄文か」
 それがどうした、というように受け付けの男は若者に冷たい目を向ける。
「わからないか? おれは反乱の生き残り、羊毛(ラナ)村二十二人衆の一人だ。常に官憲に追われる切迫した生活を送っている。剣も、自衛のためだ。皇帝の横暴にたえかねて反乱を起こした義にどうか免じて、おれを泊めてはくれないか」
「おい、ドルテア」
 受け付けの男は手を振って、食堂の方からこっちを見ている妻を呼んだ。
「おまえ、警察番所へひとっ走り行ってもらえないか。羊毛(ラナ)村の反乱分子の生き残り、賞金首の二十二人衆が……」
「待て待て待て!」
 若者は受け付けの男のえり首をつかんだ。
「おまえ、義侠心はないのか? 税を上げ婦女をさらい自らの快楽をむさぼる皇帝と、それに疑問を呈しただけで一村皆殺しにされた一般民衆と、どちらの肩を持つんだ!」
「義よりも、法だ」
 受け付けの男は、若者の手を振りほどいた。
「皇帝陛下のやり方がよいとも言えないだろう。反乱した者どもの主張が正しいのかもしれない。だがそれでも、大多数のものにとっては、自分たちを守ってくれるのは、法なのだ。どこのだれかもしらない、小人数のものが起こした負けるに決まっている戦いの義に、自分をかけるわけにはいかない」
「愚かな」
 若者は、嘆息した。
「ドルテア」
「おい……たたっきるぞ!」
 若者はすごんだ。
「本性を現したな。おいドルテア、警察番所へ……」
「待て、わかった!」
 若者は受け付けの男にてのひらをつきつけておしとどめ、カウンターに、一枚の大きな金貨を放った。
 キーン、とすんだ音を立てて、金貨はニスのぬられたなめらかなカウンターの木の台の上に着地した。
 直径約五センチ。髪の乱れた男の横顔が彫られている。
「ケルティウス……金貨?」
 受け付けの男は目を見開いた。輝きが尋常ではない。本物だ。貴族だけが持つことを許される古き伝説の金貨、ケルティウス金貨。
「われは栄光(アウレシア)帝国法務庁検察部監察課特務、ルスティス・モリス・ペンタクルス。市井の住民の法意識を探るために、少々かまをかけさせてもらった。悪く思うな」
 若者は、ケルティウス金貨をさっとしまうと、くるりと身をひるがえして、戸口を出ていく。
「あ……宿はいいので?」
「かまわぬ。先を急ぐのだ」
 若者は足早に去っていった。
「あんた……警察に行った方がいいのかい?」
 妻が、脂汗を浮かべた受け付けの男に聞く。
「いや、いい」
 男は、汗をふいた。
「なんだ、あいつは。わしは二十二人衆の顔は見たことがあるし、あんな金髪のやつはいなかったから出まかせを言ってることはわかったが……法務庁だと? 貴族だと? 監察だなど、ばからしい。だがあの金貨は本物だった……わからんな」
 受け付けの男はしばらくぶつくさ言った後、このことについては忘れることにして、カウンターのとびらを出た。掃除をしなければならない部屋が、いくつかある。
 クション。
 若者は、街道を、北風に吹かれながらとぼとぼと歩いていた。
「ああ、またあったかいベッドで寝られないんだ。なんでこんなろくでもない剣と、金貨をおしつけられたんだろう、あたしは」
 細く震える声。先ほどは声色を使って無理をしていたが、その実、若者は女性であった。栄光(アウレシア)帝国では、女性の帯剣は貴族であっても認められないので、男性のふりをしなくてはならない。
 クション。
 若者はまたくしゃみをして、首を振った。
「夜中になる前に、ぼろでもいいから畑の収穫小屋でも探さないと……」
 若者はみじめな気持ちになって体を震わせた。
 若者−旅芸人ルスティが時の皇帝メリドゥスの「皇帝の手」に殺された貴族、ドミス・モリス・ペンタクルスに剣とケルティウス金貨と一つのメッセージを託されたこと。長い旅の末、それらをルスティがドミスの親、マエナス・ユーラス・ペンタクルスに渡したこと。それにより皇帝メリドゥスがおいのオーディヌスに殺されること。すべては一つの糸としてつながっていくのであるが、それはまた別の場所で語られるであろう。

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