☆五カ国周遊の旅? イタリア旅行記2008/6/23 ●前日 東京三菱UFJ銀行で、機械を使って両替。1ユーロ171.71円。振り返ってみると、このときのレートが一番よかった。 家で日程表を作り、印刷。語学はほとんどできず……。 今回の同行者A君と銀座の坐和民で待ち合わせ、飲む。ちょっと時間が微妙だったので新橋に走り、そこから山手線で日暮里へ。京成のナイトライナーで成田空港。朝早いので、空港で夜を明かすことになっている。 出発ロビーでゆっくりしていると、空港の職員に声をかけられ、一階の、空港で夜を明かす人たちのエリアに連れていかれる。 うちら以外は、外国人。空港と、警察の二重のチェックを受け、日本の厳しさと窮屈さを実感。ソファで横になって休む。 6/24 ●日航結構 乗るはずの上海行きの飛行機(中国国際航空)が、当地の天候不良のため、欠航。少し焦るが、日本航空に振替になった。しかも直通便で、ラッキー。 出発時間が少し遅れたので、空港内をうろうろして、寿司を食べ、ヤフーのインターネットスペースで、インターネット。このとき、一日目のホテルも予約してしまう。 飛行機の席は窓側。映画を見たり寝たりで時間は過ぎた。超能力者と狩人の激しい戦いを描き、東京も出てくる「ジャンパー」と、妖精の出てくる家での戦いの映画を少し見たのを覚えている。 ローマ、フィウミチーノ空港から国鉄で市内オスティエンセ駅へ。隣接する地下鉄ピラミデ駅から地下鉄でテルミニ駅へ。空港からテルミニへの直通列車もあるが、安さを取った。 ![]() 苦心して宿クリスティーナ・ホテルの場所を探す。チェックインの場所と少し離れた場所にある部屋は相部屋で、すでに中国系のアメリカ人が来ている。この人とは、ローマにいる間何回か会った。ピッツェリアでピザを食べ、スペイン階段に座る。階段が昼間の日差しの影響で、じんわりとあったかかった。12時頃宿に帰ってシャワーを浴びる。うちら以外の三人は全員寝ていた。 ![]() 参考:国鉄(レオナルドダビンチ(通称フィウミチーノ)国際空港→オスティエンセ)5.5ユーロ 地下鉄1ユーロ*2 6/25 ●暑い!ローマ ローマの遺跡巡りへ。まずコロッセオに行ってコロッセオとドムス・アウレア(ネロ帝の黄金宮殿跡)の切符を買い、ドムス・アウレアのガイドツアーに参加。 ガイドツアーは英語で、しかもガイドさんが英語が苦手っぽい。トラヤヌス帝が後から手を加えたとか、ここが「グロテスク」の語源になった、とかの説明は何となく聞き取れた。 コロッセオは、やはり大きい。競技場の注目を集める剣闘士になった気分で写真を撮る。 ![]() カフェで冷たくしょっぱいパニーニを食べ、フォロ・ロマーノへ。入り口を一回間違えてしまう。とにかく暑い。ティトゥスの凱旋門近くの泉から出る水に助けられた。ローマでは、このような水道を利用した泉があちこちにあり、まことにありがたい。 パラティーノの丘では行列に並んで、宮殿跡を見た。たぶんフラーヴィ宮殿でないかと思う。その後、有名な真実の口へ。教会の入り口と真実の口の入り口は別。 ![]() 宿探しのため、トラステベレ地区を散策、というより彷徨。感じのいい広場で、あまりにおいしそうだったので生搾りオレンジジュースを飲んだ。このジュース、おいしいんですが当然のように冷えてなくて、氷もわずか。ややフラストレーションがたまる。 トラステベレでの宿とご飯はあきらめ、バチカン方面を彷徨。バチカンの表参道からバスでテルミニ駅に戻り、地球の歩き方に載っていたホテル・アレサンドロへ。 アレサンドロはいっぱいだったけれども、従業員の友達の紹介で、バングラディシュ人バブーの持つ宿ヴォルトゥルノハウスへ。 宿は広々。見つかってよかった。大通りに面したお店で夕飯。よくゆであがったパスタのお店でした。 ![]() 参考:コロッセオ11ユーロ ドムス・アウレア4.5ユーロ 6/26 ●今でも壮大バチカン バスでバチカンへ。サン・ピエトロ大聖堂の門の近代的レリーフに感動してしまう私たち。 ![]() 徒歩でクーポラに上ってみる。眺めよし。歴代教皇のお墓へも。ヨハネ・パウロ二世のお墓には今も熱心に礼拝する人が大勢。私も手を合わせる。 その後裏口に回って、バチカン博物館へ。ガイドブックのモデルコースに従ってみるが、ちょっと飽きる。私はラファエロの有名絵画「アテネの学堂」を見逃してしまい、ショック。 ![]() ![]() メインはシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」(ミケランジェロ)。壁、そして天井一面に広がる巨大な絵。世界各国から集まった様々な人々がひしめき合い、「ノー・フォト!」の叫び声にもかかわらず、フラッシュをたいて撮影する人多数。 ここでも、天井に描かれた有名な神様とアダムの指の触れ合い(?)は見落としてしまいました。とにかく大きすぎる、ここは。 あたかも像や柱が浮き出ているような立体的な壁に見せる絵の技法には驚嘆。今後何度となくこの技法に我々は驚かされる。 ピナコテカ、ピオ・クリスティアーノ美術館を見て、セルフサービスのカフェテリアで食事。 その後サンタンジェロ城、ナヴォーナ広場、パンテオンへ。そしてトレヴィの泉、骸骨寺へ。 骸骨寺は修道士の骨を使って様々なもの(骨の灯明やらどくろの蝶々やら……)が作られており、ちょっと、というかかなり怖いところでした。 その後スペイン広場から地下鉄でテルミニ駅に言って明日の切符を買う。ヤミという明るい中華料理屋で夕食。 参考:大聖堂クーポラ5ユーロ バチカン博物館14ユーロ サンタンジェロ城8ユーロ 骸骨寺1ユーロ 国鉄(ローマ→ナポリ)10ユーロ 6/27 ●喧噪はやまずナポリ バスでカラカラ浴場へ。入り口がどこか、少し迷う。朝のため空いていて、落ち着いて見られる。気持ちいい。むき出しのまま踏んでいけるタイルなど、ほんとにいいの?という感じだが。 少し離れた野外にはステージが設置されていた。この遺跡+ステージという組み合わせは、この後いろいろな遺跡で出会うことになる。 歩いて旧アッピア街道へ。史跡と言うよりは、かなり往来の激しい道。途中の遺跡サンカリストのカタコンベ(古代キリスト教徒の地下墓地)は深く、壮大な迫力。 ここでも、英語のガイドに従う。インドネシア人や、英語圏の人が集まり、大集団。「ローマ帝国は他の宗教と同様、キリスト教徒の墓地を尊重していた」とか「キリスト教徒がここに隠れ住んでいたということはない」というのは何となく聞き取れた。 墓地は、上の方ほど古く、時代が新しくなるほど下に掘り進んだのだという。インド人らしいガイドの人は、放棄されるに至った経緯も丁寧に説明していたが、忘れてしまった。残念。 時間(とお金)がけっこうないので、マッセンツィオ競技場は素通り。チェチリア・メテッラの墓廟を見学して、バスでテルミニ駅に帰る。 ![]() マックで昼食。電車で寝て、目的地ナポリに到着。昨日インターネットで予約したホステル・ペンショーネ・マンチーニへ。 ホステル前の広場はゴミ戦争の残滓を思わせるゴミが散乱、大通りは乱暴な車がひっきりなしに行き交い、ナポリはこわいという先入観が固定される。 ![]() 夜は宿の人に教えてもらったピザ屋に行ってみる。私の食べたカプリチョーザは、少し塩味がきつく、オリーブがしつこかった。食後、カフェへ。私のカフェ・フレッド、A君のカフェ・ノンノ、どちらも量が少ないながらシャーベット状ですっきり甘く、大変おいしかった。店の親父も笑顔が素敵でグー。 宿はドイツ在住の日本人、カナダ人と相部屋。 参考:カラカラ浴場6ユーロ(チェチリア・メテッラ墓廟、ヴィラ・デイ・クィンティリ共通) サンカリストのカタコンベ10ユーロ 6/28 ●白き島カプリ島 マンチーニの朝食は、セルフサービス。コーンフレーク、牛乳、ジュース、トースト、コーヒー、ティーなどがあって充実している。 バスに乗ってナポリ港へ。よくわからないながらも、切符を買ってカプリ島行きの高速船に乗る。カプリ島はローマ二代皇帝ティベリウスも愛した別荘地。断崖が島の周りを取り囲み、着く前から心浮かれる。 下船後、名勝地青の洞窟(グロッタ・アッズーラ)行きのモーターボートに乗り、青の洞窟前へ。ここで青の洞窟に入る手こぎボートを待つ。 ![]() ![]() 待ってる間にA君は気分が悪くなってきたらしい。私も手こぎボートに乗り換えたとたん、猛烈に気持ち悪くなってくる。 低いトンネルを抜け、青の洞窟へ。なるほど外からの光が洞窟内の海水を青く染め、美しい。「サイコー! サイコーね!」船頭の日本語が響き渡る。でもうちらは気持ち悪さでそれどころではない。 それでも船頭のもう一周するかという問いにうなずいてしまう自分。船頭の歌う「帰れソレントへ」に合わせることで気持ち悪さをまぎらわす私たち。 ![]() ようやく外に出ると、「チップ、チップ」と船頭の大攻勢。「コインはよくない! コインだめ!」……(笑) 結局、5ユーロあげてしまった。それでも「二人で10ユーロ」とわめいていた気もするが……。ガイドブックには0.5ユーロでいいと書いてあるのに……もう気持ち悪さでそれどころではありませんでした。早く降ろしてくれ(笑) それから再上陸して、カフェで軽く飲む。このときはさっきの反動で(笑)20セントしかチップを置いてかなかった。「そりゃないよ〜ジャポネ」て感じでしたかね? 私はあまりの暑さにめげて、短パンを買うことにする。店を回って結局買ったのは、10ユーロの水着。トイレで着替え。信じられないほど涼しく、開放感に浸る。 歩いて市街に上がり、標識に従いながら、次の目的地、ヴィラ・ジョヴィスへ。ガイドブックには載っていなかったけれども、ティベリウスの別荘跡。歴史好きにはたまらない。 行く道は、細くて白く家も景色もきれい。何より、途中で買った2ユーロのレモンのグラニータ(シャーベット)が甘酸っぱくて体に染み渡る。 ![]() 肝心の別荘は説明も簡素で、遺跡疲れしている私たちにはちょうどよかったかもしれない。 市街に戻り、カフェで特産のレモン酒リモンチェッロを飲む。これは……アルコールがきつい。 最高峰ソラーロ山などにも足をのばしたいところだが、時間もないので帰途へ。海岸で、私だけ少し泳ぎました(^^) フェリーの方が安いとガイドブックにあったので、フェリーっぽいと私が勝手に選んだSNAVの切符売り場で買ったのは……結局17ユーロの高速船の切符でした。行きとは違い、完全室内型のホバークラフト。 その後、ナポリ港で、シチリアに移動するための船の切符を買う。最初切符を買おうと港の先端部っぽいところにいったらそこは集会所で、民主党の大会をやっててびっくり(゜o゜) まあ大手のようだし……と行ったSNAVの切符売り場では、40ユーロぐらいの微妙に高い切符を買いました。 夕飯はスーパーで買い、共用キッチンでAシェフにペペロンチーノを作ってもらう。白ワインと一緒に頂く。別の席では同室の日本人が外国人旅行者と流暢に英会話を繰り広げていて、うらやましい! 食後、昨日のカフェへ。今日は、私がカフェ・ノンノを飲む。親父さん、覚えててくれた。最高! 参考:高速船(ナポリ→カプリ島)17ユーロ 高速船(カプリ島→ナポリ)17ユーロ 青の洞窟へのモーターボート11ユーロ 青の洞窟入場料+小舟代10ユーロ ヴィラ・ジョヴィス2ユーロ 6/29 ●おなかいっぱい!古代エンターテイメント、ポンペイ 昨日フリーズしたホステルのパソコンが復活してるので、インターネットのサイトで次の宿を予約。10時過ぎに出発。 昨日の朝わかったけれども、宿の前の広場は午前中市が立つ。なので午後あれだけゴミが散乱しているのも、むべなるかな、だったのだ。 ![]() 「プレーゴプレーゴ!(どうぞどうぞ!)「最終日だよ!」などのかけ声と人混みがすさまじい。ナポリのパワーを感じさせる。サンダルがほしかったものの、我慢して、遺跡都市ポンペイへと向かう。 私鉄チルクンヴェスヴィアーナ線(ヴェスヴィオ周遊鉄道?)のポンペイ・スカーヴィ駅(またの名ヴィラ・デイ・ミステリ駅)で降りなければいけないところを、私たちは普通のポンペイ駅で降りてしまい、ポンペイ現市街をしばらくさまよった。 途中、マックで一休み。あまりの暑さに、私はトイレで昨日買った短パン水着に着替える。 円形劇場方面の入り口から、ようやく遺跡へ。古代都市が半壊した状態でまるまる残っているというのは、やはり壮大。感動して歩き回り、写真を撮りまくる。 洗濯屋や居酒屋、娼館、古代の広告のような道に面した壁画などは、見がいがありました。何よりも古代人が通っていた歩道車道を歩けるのがうれしい。横断歩道のような飛び石が楽しい。 ![]() ![]() ただあまりに広くどこまでも続く遺跡なので、だんだんと風景に慣れ、しだいに飽きてくる(笑)。 そんな中、日本人のツアーと遭遇。このイタリア人ガイドの説明がおもしろい&ためになる。 「家の前に溝がありますね。これ何に使ったかわかる? そう、引き戸。日本と同じね。フスマ、ショウジ」 引き戸はスペースをとらないので、庶民の家らしい。お金持ちの家の特徴は……なんでしたっけ。玄関の奥に四角い水槽がある。これは足洗い場……ではなく雨水を貯めて飲み水以外の用水にするところ。 「こういう(引き戸の)家は、たいていお店です。家の中に小さい棚アリマス。何に使うかわかる? 日本と同じよ。ここに神様を祭ります。カミダーナ! 商売繁盛願いマース」 ひたすら歩いて秘技荘(ヴィラ・デイ・ミステリ)を往復。帰りも危なく見当違いの道に行きそうになるところを、イタリア人に教えられて戻り、なんとか私鉄の駅からナポリへ。 私は方向音痴だし、でもできる限り道を人に聞きたくない主義なので、ばんばんわからないことは人に聞いてくれるA君がいなかったら、この旅、この先もどうなってたかわかりません……。とくに南イタリアは表示が不親切でわかりづらいんで……。 ナポリに帰って夕食の予定でしたが、やってる店が極端に少ない。そう……今日は日曜日。ほとんどのお店が休みです。歩いて、港近くにようやく中華料理屋を発見。さすが、中国人、働き者。地獄に仏とは、このこと。 そして夜八時、また乗り口を探して迷い、ようやく乗りこんだ船は……現青函連絡のカーフェリーのようなものを想像していた私には驚きの豪華客船(笑)でした。世界一周とは言わないまでも、地中海一周できそうです。 最上層が乗組員用、その下二層が船室、その下にバー、映画館(?)、子供用遊戯室(?)、フロントを備え、その下にレストラン、ゲームセンター、テレビ室、ディスコ(!)などなど充実した設備。そこから下層はおそらく車庫。 風の吹き抜ける甲板からは夕焼け、そしてカプリ島の島影などが見えて、非常に気持ちいい。 ちょうどサッカーユーロ決勝(スペイン-ドイツ)の日で、テレビ室は観戦の人ですしづめでした。そんな中、数ユーロをケチった私たちは船室ではなく、バーと同じ階の隅の方にある通常座席で、地元の悪ガキや若い旅行者たちとともに夜を明かしたのでした……。 参考:私鉄(周遊券?)3.70ユーロ ポンペイ遺跡11ユーロ 6/30 ●熱い大都市!パレルモ 船は朝七時頃着。車のない私たちはとまどいながらも港を歩き、なんとかメインストリートのローマ通りに出て、パレルモ中央駅まで向かう。目的地シラクーザまでのバスがあるのを確認。切符を買おうとすると14時に来いと言うので、それまで観光をすることに。 ![]() 相変わらずの暑さに耐え切れない私は、今度はバス停近くの中国人商人の店で、数ユーロのビーチサンダルを買う。鼻緒型のはあまり好みではなかったけど、しかたがない。 軽くバスに乗って、ノルマンニ王宮へ。見所のパラティーナ礼拝堂は閉まっていたけれども、数々の歴史的美術品を秘めた王宮内の部屋を巡る英語ツアーに参加。ほとんど意味はわかりませんでしたが……。 個人的には、中国人の絵に興味を引かれる。同じ東洋人として。それにしても昔も今も中国人はシチリアまで来てがんばっていることだ。 それから、カップチーニのカタコンベへ。途中までバスで行くものの、例によって迷う。降りるのが早すぎたらしい。 A君が警官に聞いてくれるものの、やはりよくわからない。逆方面のバスに一旦乗ると、さっきバス内で一緒だった人たちが乗りこんでくる。ここがカタコンベの停留所だ。 渋滞でバスが扉を開いたので、そこで降りてカタコンベへ行く。これまた、すごい場所だった。歩いても歩いても右を見ても左を見ても上を見ても下を見てもミイラ、ミイラ、ミイラ。老若男女(たぶん)。もう、ミイラのにおいが漂ってくる感じ。心も体もゾクゾク冷えました。 駅の方へ戻り、途中でご飯。ペプシと、短パスタのミートソースがけのようなもの。店員が意外と陽気だった。 バス乗り場へ。切符を買い、どこに来るかわからないままドキドキしながらバスを待ち、無事に乗りこめる。 バスは一路シラクーザへ。ほぼ寝ていたけれども、シチリアの乾燥した雄大な風景は、心に残った。 予約していた駅近くのLolホステルにチェックイン。ちゃんと整ってたし、従業員はいい人だし、広いし、……ひまそう。部屋には四つベッドがあったが、うちらだけ。 シラクサは落ち着いたいい町。(発音はにごってもにごらなくてもいいみたいです)ホステルの従業員に教えてもらった旧市街のお店で、ムール貝のスープ(ズッパ・ディ・コッツェ)、スパゲッティ・ペスカトーレを食べる。うまい。イタリアに来て初めておいしいイタリア料理を食べました(笑) 蚊が多いのが難点だが、雰囲気があって、いいお店でした。名前は忘れてしまったが……。 帰ろうとして方向音痴の私は南に下ってしまったが、そこがまた雰囲気のいいドゥオーモ前広場。(ドゥオーモはなんと訳せばいいのでしょう?大聖堂でいいんですかね)まだほのかに暖かい石段に腰かけ、北斗七星の輝く夜空を見上げたりしながらしばらくまったりしたのでした……。 参考:ノルマンニ王宮6ユーロ カップチーニのカタコンベ3ユーロ バス(パレルモ→シラクーザ)13.9ユーロ 7/1 ●静かに優雅にシラクサ 順調に旅が進んでいるので、今日は一日シラクーザに滞在することに。平和な日。朝はゆっくりして、旧市街めぐりへ。 橋を渡ったオルティージャ島にある旧市街は、静かで車の通る通りも少ない。食料品の多い市場を歩き、私は桃、A君はレモンを買う。ドゥオーモを見て、海岸沿いにアレトゥーザの泉から突端のお城へ(工事中のため?入れない)。 名所「ベッローモ宮」は工事中のよう。カフェに寄ったり、海岸に降りてイオニア海に触れたり。アルキメデ広場の近くには、日本でも見かけるカフェ「セガフレド」があったのですが、あまりにシラクーザとはイメージが違うので(ミラノっぽい印象)入りませんでした。が、これ以降セガフレドは見かけなかった……。 その後、新市街へ。この町はバスの路線がよくわからないので、常に歩きだったが、暑かった! ネアポリ考古学公園に行き、手前のカフェテリアで軽くご飯を食べ、入る。 雄大な古代ギリシア劇場、石切場、ローマ円形劇場、と回る。帰りはスーパーマーケットに寄る。A君はヨーグルトドリンクを、私は牛乳を買ってがぶ飲み。 駅で電車の切符を買い、宿で少し寝てから、夕食を昨日のお店に食べに行く。今日はずっと腹の調子が悪かったが、食事はおいしく食べられた。宿のネット(有料)で次の宿を探す。 ![]() 参考:ネアポリ考古学公園8ユーロ 国鉄(シラクーザ→バーリ)30.8ユーロ 7/2 ●列車が船に乗る!メッシーナ海峡 夕方の電車で次の目的地バーリに向かうため、宿でゆっくり。ネットをして、スーパーでパンなど買う。 荷物は宿に置き、オルシ考古学博物館へ。主にローマ支配時代より前の遺物を展示。安全ピンのようなピンや、漫画のような絵が心に残った。 近くに立つこの町で一番目立つとんがった近代的巨大教会マドンニーナ聖堂の地階部と地下部を見学して、またスーパーへ行き、ネットの部屋でご飯。 ![]() 電車は夕方発なので、チェスをしたりして時間をつぶす。意外に時間がかかった。駅へ行き、電車待ち。 シチリアのおじさんたちは、平気で線路を歩いて横切る。ホームの高さがせいぜい20センチほどしかないので、そんなことも可能。 やってきた電車に乗りこむと、なんとコンパートメント。うれしいが、古いので暑いし、なんだか体中がかゆくなる。 ![]() 電車は、シチリア島と本土を隔てるメッシーナ海峡で直接船に乗りこむ。完全に船に乗ると、電車を降りて船の甲板に出て、景色を楽しめる。十両編成ぐらいの列車を数本載せた、なんとも巨大なフェリーでした……。 船が上陸したヴィラ・サン・ジョヴァンニで、バーリに向かう列車に乗り換え。これも似たようなコンパートメントでした。 参考:オルシ考古学博物館4ユーロ 7/3 ●坂の上にはとんがり屋根アルベロベッロ 朝、バーリ着。ちょうど通勤の時間。まあまあ大きく、そして「普通の」町。私鉄で、目的地アルベロベッロへ向かう。 実はバーリもアルベロベッロも行く予定はまったくなく、南部で時間の余裕ができたために追加した目的地。私鉄はターラントまで通じていたので、シチリアからだったらターラント、アルベロベッロ、バーリの順で行けば時間もお金も得だと思うが、この時点では知りようがない。 世界遺産アルベロベッロ。駅前は、普通の町。歩いて、トゥルッロ・ソブラーノに行って見学。白いとんがり屋根の家々トゥルッリのうちの一軒の内部に入れる。白く閉鎖的ながらも、気持ちのいい空間だ。 その後衣類市場の連なる広場を抜け、トゥルッリがそのまま土産物屋になって並ぶモンティ地区を上る。さすがに日本人の好きな観光名所らしく、日本語が目立つ。テレビ東京の張り紙に引かれて立ち止まると、お店のおばちゃんに中に引き入れられる。 店の女主人が日本に行った写真とか見せられて、いろいろ商品説明。アルベロベッロは白川郷と姉妹都市らしい。土産物も日本人割引するというので、思わず鍋つかみを買ってしまう。 その後、二つの屋根がつながったトゥルッロ・シアメーシをちらりと見てモンティ地区を去り、テリトリオ博物館へ。民具があったり、絵があったり。感じのいい中庭あり。その後、駅の方に行って、共通券のワイン館へ。 ![]() A君が駅前でおじいちゃんに場所を聞き、線路を越えてついたワイン館は……最後に試飲が待っていた。高そうなワインを赤白二杯ずつくらい。ただではなかった……。 その後、行きに買った復路の切符をなくしたことに気づき、ブルーに。さらにA君が酒と暑さのせいで脱水症状になり、電車の中で苦しむ。なにもできず申し訳なく思うが、なんとかバーリ着。 私はユーロが少なく、やたらとセキュリティの厳しい銀行に入ったりしてCHANGE(両替)を探すが、まったくどこにもなし。明日行くカステル・デル・モンテの情報を聞いたインフォメーションのお姉さんに聞いた場所もいまいち判然としない。結局、観光客のあまり多くないこの町でCHANGE(イタリア語ではカンビオ)を探すことはできなかった。 そして、予約した宿に行くのも困難を極める。オステロ・ラ・ヌオーヴァ・アルカという宿だったが、まずその所在するA.D.ガスペリ通りに行こうと、ガイドブックには地図のない駅の南を歩いていくが、地図がないだけにまったくわからず。勝手に先行して申し訳ないA君……。 一旦バスに乗って駅北方面に戻り、そのまま乗り続けてA.D.ガスペリ通りへ。そして、近そうな番地を見つけたので、バスを降りる。ところが番号が近かったのは奇数番地で、めざす偶数の320番地は反対側。どこまで歩いても320にならない……。とうとう高速道路の通るあたりまで来て、ようやく320番地付近に着いたものの、それらしき建物は見当たらない。 目を皿のようにして探すと、横道と標識と、何やらその先に広がる敷地が見える。道に入っていって3分。テニス場とサッカー場の奥の総合施設の一角に、その宿を発見。明らかに、車で来る人用の施設だった……。 宿代は予約していたよりも高く、二段ベッド一つとベッド3つが並ぶ部屋に入ると、先客で3つのベッドが埋まっている。ほかの部屋は明らかに空いているのに、何か、詰め込まれた感。 遠くまで食べに行く気にならず、何より金がない。夕食は、近くのスーパーで買ったパンやピクルスを、バス停で食べた。(笑) 参考:私鉄Sud-Est線(バーリ→アルベロベッロ往復)8ユーロ トゥルッロ・ソブラーノ1.5ユーロ テリトリオ博物館3ユーロ ワイン試飲代5ユーロ 7/4 ●いろいろあって良くも悪くもバーリ……王の夢カステル・デル・モンテ いろいろ問題ありな宿に思えたが、朝食はすばらしい。菓子パンとか、ジュースとか、コーヒーとか。トーストはなくて、ラスクみたいのにのにバターだったけど。 同部屋の一人がやってきて、同席に。A君が英語力を駆使して話してくれる。私は彼が「ベルジアン……」と言っているのを聞いて、(ペルシア人?)と思ってしまったが、正しくはベルギー人でした。どんな旅をしているのか聞いた気もするが、すべて忘れました……。 宿を引き払い、世界遺産カステル・デル・モンテへ。実は私はこの世界遺産を知りませんでした。フリードリヒ二世好きのA君が知っていた。 私鉄Nord?線で小さな町アンドリアへ。駅前のカフェでバスの切符を買い、A君がバスの運転手たちに停留所の位置を聞く。いまいちわからないでいると、通りの向こうでおばさんが手を振っている。カステル・デル・モンテに行くガイドさんで、親切な方だった。かなりの山道で、私はバス酔いに。 道ばたで少し休んで、お城の中へ。涼しい。それが一番の感想です……中庭には、例によってステージが組み立てられている。 ![]() 後は、城の外の道ばたに座って、昼飯を食べたり、絵を描いたり小説を書いたりして、だらだら。途中で日差しがきつくなり、城の壁際の日陰に行って、世界遺産を背にうとうと。何よりもこの場所、山のてっぺんにたっているので、眺めがいいです。さすがフリードリヒ二世、いい立地。 行きに私鉄の往復切符を買ったのだが、それが一枚だったため片道と勘違いして再び片道切符を買うなどの間違いはあったものの、無事バーリに帰還。 旧市街を歩き、ノルマンノ・スヴェヴォ城を見て、その後ネットカフェを求めて彷徨。海岸通りでモーターボート乗りたちを見てぼうっとする。 それから料理屋探し。ついに発見したのは……竹?(くにがまえに元)大酒家という中華料理屋。ここの料理はうまい! 私がよく頼むスーラータンも必ずどちらかが頼む広東炒飯も、焼き餃子も。そして何よりもおいしかったシーグァ(西瓜)。これは隣のイタリア人女性二人組が食べてて、おいしそうで頼みました(^^) ![]() A君が頼んだ牛乳揚げも、甘くてグッド! 場所はウンベルト一世広場を北に進み、ニコライ通りを左折、ベネデット・カイロリ通りを右折して、道の左側にあります。バーリに立ち寄った際はぜひ(笑)。 ![]() ![]() さてバーリ中央駅待合室で電車待ちをしていると、哀れに思われたか? 地元の人か旅行者か、おばさんたちにテフレッド(アイスティー)をカップでもらった。 事前情報やガイドブックでは、ナポリについで危険な町という印象が強かったバーリ。ここではいろいろ困難もあったけれども、この町の人は、総じていい人でした。観光客には確かに不便。でもそれは、この町がA君の言うとおり、「普通のイタリアの町」だったからだろう……。 参考:私鉄(バーリ→アンドリア往復)6.8ユーロ カステル・デル・モンテ3ユーロ バス(アンドリア→カステル・デル・モンテ往復)0.9ユーロ 国鉄(バーリ→ローマ)30ユーロ 7/5 ●恐怖のひとときヴィテルボ……怪物庭園ボーマルツォ 夜行列車はバーリ発。席はコンパートメント。アンドリアから、私鉄で先の駅バルレッタに出てそこで乗りこむという手もあったが、意外と混んでたので、始発から乗るのが結果としていい選択だった。 と思ったのもつかのま。バルレッタで乗りこんできた四人の若者グループの女が、うちらのコンパートメント(六人がけ)に座りたいと言ってくる。 どうぞと言ったが、彼女が英語で言ってくるには、次のフォッジアでさらに二人合流するから、あなたたちはここをどかなければならないと言う。 というわけで追い出された私たちは、後部に座席を求めて移動。車掌室の直前に空コンパートメントを見つけてよかったけれども、もしなかったら……。 だいたい、好意で席を譲ってなぜ追い出されるのか。予約席なら、彼らの名前がコンパートメントに貼ってあるはず。あるいは切符に書いてあるとか。安請け合いをして席を譲ってしまったことに、今でも腹が立つ。寝たふりをしておけばよかった。 この列車は、冷房が効きすぎ。夜は寒くて、難儀しました。 ローマテルミニ駅に早朝着。駅前の500人広場の緑地の柵の前に座り、朝食。それから、テルミニ駅のCHANGEで両替。 ……手数料込みで1ユーロ200円ぐらいで買えればいいかと思っていたが……なんだこれは。1ユーロ220円ぐらいになっている。 1ユーロ181円、固定手数料3.9ユーロ、はまあいいとして、さらに手数料が両替金額の17.9パーセント!ありえない……。考えてみればかつてイギリス旅行では慎重にCHANGEを選んでいたのに、この旅ではあまりにも安易すぎました。早くユーロを手に入れたいがために、大きな勇み足。次の日、駅近くのCHANGEでは10000円→56ユーロで手数料なしと、ずっと割がよかったのでした……。 ショックを隠して、でも心は穏やかではない。ウェスタン・ユニオン系列のCHANGEでは、もう決して両替しない。手数料が10パーセントを超えるなんて、本当にありえない。 それから、今夜の宿探し。しかし、人気宿ホテル・アレッサンドロは一杯。ヴォルトゥルノハウスとクリスティーナ・ホテルのうち、クリスティーナを選択。前と同じ受付の人、案内の人が登場する。無事に部屋に入れ、荷物も置くことができて、ラッキー。 今日の目的地、ボーマルツォの怪物庭園に向かうことにする。ここも、A君の希望地。日程に余裕があったので行くことに。怪物庭園は16世紀に地元の貴族オルシニ公によって作られた、奇妙な像が数々ある場所。日本では澁澤龍彦の紹介で有名になったらしい……私は初めて知った。 私たちは私のガイドや駅の本屋で立ち読みしたロンリープラネット英語版、A君の記憶を元に、(ネットカフェに寄る時間はなかった。そもそも朝やってる店がない)まず地下鉄A線フラミニオ駅から私鉄に乗り換え、(この私鉄、どうも地下鉄と経営母体が同じらしい)サクサ・ルブラ駅下車。 駅前の切符売り場でボーマルツォ往復の切符を購入。サクサ・ルブラ→ヴィテルボとヴィテルボ→ボーマルツォの往と復、計四枚。ところで後で議論になったのだが、この私鉄、ヴィテルボ線と名前が付いている。もしかして、終点まで行けばヴィテルボではなかったのか?……帰国してもよくわからないままだ。電車で行けばあんな不愉快なことは起きなかったと思うけど……。 バスに乗ると、検札機(イタリアの公共交通機関ではこれに日付時間を刻印して、切符を有効にしなければならない)にguasta(故障)の表示。「故障だからだめだ」と刻印しなかった。 バスに乗って30分もすぎた頃、うとうとしてたが、車掌らしき人が乗りこんでくる。車掌は私たちの切符を見て、「刻印されていないから、不正だ。50ユーロ払え」というようなことを言ったらしい。 私にはまったく何も聞き取れなかったが……とにかく大変なことが起き始めていた。「キカイ、コショウ」と主張するが、車掌は「そのときはペンで書くんだ。ペン持ってないのか?」というようなことを言っているらしい。そんな決まり、知らない……。 A君が「金を持ってない」と言うと、「じゃあ警察に行こう」と言う。(払うしかないのか……)と弱気になっていると、「おかしい。絶対こんなの、応じちゃだめだ」とA君の強い言葉。 さらに車掌は残りの私たちの切符とドクマン(身分証)、つまりパスポートを取り上げ、席の後ろの方へ。(これは、警察に行く羽目になるのか……とにかく、今日の予定は全部パーだな)と気分は暗くなるばかり。 A君は、「いざとなったら大使館に連絡すればいい」とわりと平静。そのうちに、バスがヴィテルボに近づくと、「俺たちはどこで降りればいい?」とか「ボーマルツォに行くバスはそこから出てるの?」とけっこう軽い感じで話しかけて、車掌とコミュニケーションをはかり、なんか普通に車掌はそれに答えている様子。 時間やバスの本数まで聞き出して、笑顔もある。私はそんな気分じゃないんですが……よくわからないまま切符とパスポートは返ってきた。 ヴィテルボ終点のバスターミナルに到着。しまいに私たちと車掌は、握手をして別れる。なんて名前だったかな、彼。別に思い出したくもないけど……。 とにかく、A君の巧みな話術と振る舞いで、金も時間もとられずにすんだ。本当に、感謝です。 ボーマルツォ方面のバスが来るまで時間があるので、ターミナル隣の巨大ショッピングモールに入ったり、バス停でご飯を食べたりする。 バス乗車。ボーマルツォに行く人も何人か乗ってくる。運転手にA君が「怪物庭園の近くで降ろしてくれ」と頼むと、バスはボーマルツォの町に入ってしばらく行ったところの三叉路で停車。ここから、表示に従って歩いていく。 時間はまさに真昼。私の足下はビーサン。ともすれば遅くなり、くじけそうになりながら長い道のりを30分ほど下っていくと、ついに怪物庭園へ! ……今人のブログを見ていたら、私たちの通った道は車用で、歩くのには向いてないとありました(笑) でもそこで紹介されている道も結構複雑(^^;) キャンプ場併設? 二十台ほどの自動車が駐車場に止まり、にぎわっている様子。どうやら車で来る観光スポットのようですね。 とにかく、ここにたどりつくまでが超大変だったけど、来た価値はあった。像の造形はおもしろい。古代の素朴な雄大さとか、中世ゴシックの精神性とかはまったく感じさせない。むしろ18とか19世紀ぐらいに作られたのではないかという感じの身近さと諧謔性を感じました。東京で言えば哲学堂公園のような空間。とにかく、昨日の城といい、来るとは夢にも思わなかった場所に連れてきてくれたA君に感謝。 ![]() さて、帰りのバス停がわからない。三叉路から、違う道を選んで行くと、もう一つのバス停発見。ただし、行きに来た方向に戻る車線には、バス停が立っていない……。 一本、バスをやり過ごしてから、考えた結果、ボーマルツォ内では、バスは一方向にしか進まないのだと、結論。二時間半ぐらい? その近くの広場周辺でバス待ちしてました。こんな広場でも「ガリバルディ広場(だったかな?)」と立派な名前がつくのが、さすが(?) 地元のおじいちゃんは家の前のいすに座ってたり、人々はだべってたり歩いてたり。イタリアのとある小さな町に流れる空気を堪能(笑) ローマに帰る。私鉄の券が、有効時間内なので地下鉄でそのまま使えるかと思ったが、自動改札を通らず。後になって知るが、バスは有効時間乗り放題だが、地下鉄は下車前途無効みたいです。 前に泊まったヴォルトゥルノハウスのネットスペースで次の宿を予約して、テルミニ駅近くの中華料理屋「復興酒家」で夕飯。ホールは親父さん。上品なおいしさ。宿にはまた12時近くに宿に帰る。部屋は五人、ほぼ満席。 参考:地下鉄1ユーロ*2 私鉄1ユーロ*2 バス(サクサ・ルブラ→ヴィテルボ往復)(COTRAL)4.1ユーロ*2 バス(ヴィテルボ→ボーマルツォ往復)2ユーロ*2 怪物庭園9ユーロ 7/6 ●静粛に!アッシジ 朝ご飯は一日目のローマの朝と同じく普通のコーヒーと甘いパン。このときはちゃんと牛乳の入ったのを飲めたんだっけ……。 次なる目的地アッシジに行く電車の時間が遅いので、中距離バスがないかティブルティーナ駅の高速バス発着所に行ってみるが、満席ですでに切符はないとのこと。日曜日のためか。 500人広場近くの緑地で座ってご飯を食べ、だらだらして、電車に乗る。アッシジ駅に到着、中心部へのバスの切符は、A君がすばやく駅のカフェで買ってくれる。 サン・フランチェスコ門の近く、イタリア統一広場でバスを降りる。ここからだと、坂を上りながら観光していくことになる。上るのがいやだったら、終点のマッテオッティ広場まで行き、下りながら観光するといいかもしれない。 サン・フランチェスコ大聖堂は、大きかった。内部は写真撮影禁止、そして「スィレンツォ!(静かに!)」の声が印象に残る大聖堂だった。個人的には、奥の木の壁に描かれた本や楽器などの文物と、芸術家たちの絵が気に入る。特に楽譜がすばらしくいい感じ。有名な、小鳥に説教するサン・フランチェスコの絵は、二階の入り口側の壁にある。ジョット作、らしい。 大通りを東へ、サンタ・キアーラ教会へ。聖キアーラという女性には少し興味があったが、教会内の壁画ではその物語はいまいちよくわからなかった。彼女の服?なども保存されている。 さらに坂を上り、アッシジで一番高いと思われるロッカ・マッジョーレという砦へ。なかなかきつかったが、おもしろい。迷路のように入り組んだ内部を散策(探索?)。城壁内のせまく暗い通路を進んでたどり着いた先端の塔からの眺めは、まさに絶景。吹く風と、中部イタリアの美しい緑の風景を堪能した。 アッシジから、フィレンツェへ。何か放送でこの電車は途中で止まりますというようなことを言っていて、不安になる。実際電車はアレッツォだかその辺で止まり、みんな降りていくので、私たちも降車。そこに来たユーロスターに振替。 期せずしてきれいな特急電車に乗れて喜ぶが……それは明日の伏線。22:00頃フィレンツェ到着。エメラルドフィールドという、予約したホテルを探すのに、非常に手間取る。巨大なホステルがあって、そこで道を聞こうとしたりもしたが、あまりに混んでいた。ようやく道の向こうと気づいて発見。 そこの管轄下にある(?)、スターライトという、より駅に近いホテルを教えられる。ブザーを鳴らすと、若い女性が登場。宿の人だと思うが、どうにも話がかみ合わない。イタリア語も通じないようだ。なんと、オーナーはすでに帰っていて、その人は旅行者の米国人だった。友達と二人組。 彼女に案内された部屋は、ツインで広い普通のホテルの部屋。また相部屋だと思っていたので、うれしい限り。 もう23時過ぎで、活気はあるものの、飯屋は閉まり始めている。自動販売機でパスタのようなものを買って、部屋で食べた。 参考:地下鉄1ユーロ 国鉄(ローマ→フィレンツェ)9.4ユーロ バス往復4ユーロ ロッカ・マッジョーレ3.5ユーロ 7/7 ●これこそ旅の醍醐味か?エンポリ 朝九時頃、初めて顔を合わせる宿のオーナーは浅黒い、眼鏡の人。いきなりコーヒーをわかし、観光案内をして、おもむろに料金の話などし始める。スペイン人らしい。ツインの部屋でも高いことはなく、助かった。 電車に乗るときに、ピサ行きのはずがエンポリ行きになっている。気にせずに乗ると……列車はエンポリで止まり、私たちは、掲示板に、ほぼすべての列車が運休しているのを見る。 それは「ショーペロ」つまりストライキのせいだったのだ。昨日の21時から、今日の21時までまるまる一日。昨日のユーロスター乗り換えは、ストのせいだったのだと、ここで納得。 ちょっと言葉を交わした男一人女二人の日本人他、大勢の旅行者たちが途方にくれている。どうやらみんな、自動券売機で切符を買ったらしい。窓口で切符を買おうとしていれば、職員自体がお休みなので、すぐに状況が理解できただろうが。 この日はウフィッツィ美術館が休みのためピサ行きにしたのは私なのだが、しくじった、と少し暗くなる。待てども、ピサ行きの電車は出る気配もない。同じく途方に暮れた一人旅の日本人に声をかけられる。彼もストライキなど予想していなかったようだ。 駅前のタバッキのおばさんは、にわかに案内窓口のようになっている。バスがないか聞いてみると、バス会社に行けと。駅前のバス会社のオフィスで「ピサ行きのバスはないか?」と聞くと、即座にないと言われてしまった。どうやらバスも連動してのストらしい。 タクシーでピサに向かう人たちもいるが、私たちはあきらめる。こんなこともあるのが旅の醍醐味とは、A君の言葉。 せっかくなのでエンポリの町を歩くことにするが、たんなる中くらいの町で、特に何もない。駅に戻り、フィレンツェに戻る電車を待つ。先ほどの日本人といっしょに席に座る。 この人、シチリア人よろしくホームの間の線路を歩いて渡り、私たちもそれに従う。なかなか貴重な体験だ。関西出身らしい彼は、中東からアフリカ、ギリシャへと移動、船でバーリに上陸、そのまま北上してきた模様。ピサはいいとして、宿を予約してあるヴェネツィアに今日中に着くかどうかが心配のようだ。 フィレンツェに戻り、相談窓口のようなところに並んで、切符の払い戻しができるのか聞いたが、即座に「切符売り場に行け」と言われる。その切符売り場はストで閉まっているんですが……。 それとは別に、私が持っていた、自動販売機を使ったときに出てきた払い戻し券(釣り銭が多額の時に出てくる、切符売り場で換金できる領収書のようなもの)の換金も切符売り場でなければできないようで、今日はあきらめる。 とりあえず今日のところは電車とは関係なくなった私たちは、日本人の彼とは別れる。力になれず申し訳ない。 ご飯を求めて中央市場へ。A君は飯屋に入るが、私はお金をケチり、パンを一つと、バナナを買って、少しずつ食べながら飢えをしのぐ。 予定をフィレンツェ観光に変更。とにかくこの町は観光客が多く、そのパワーも旺盛。観光客がこの町を回しているのではなかろうか。日本人を多く見るのも、ポンペイ以来。ほとんどアジア人を見ない南部から来ると、新鮮だ。 まずはジョットの鐘楼へ。フィレンツェ市街を見渡せる絶好のスポット。同じく眺めのいい場所としては日本人観光客の落書きで話題になった隣のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)のクーポラもあるが、A君の持ってた地球の歩き方には鐘楼の方が空いてて眺めもいいということでこちらを選択。なかなか疲れるが快適な眺め。 ![]() それから、ヴェッキオ宮へ。実は、イタリアに行く前にテレビで見た、ダ・ヴィンチの絵が下に隠されているという500人広間のヴァザーリの絵を、この目で見てみたかった。とは言っても、何の変哲もない(?)戦いの絵。「cerca trova」(探せば見つかる)と書かれているというのもどのあたりかまったく見当がつかず。 この宮殿に限らず、フィレンツェの絵は、基本的にきれいな気がする。他の広間も見応えがあった。それから今日休みのウフィッツィ美術館横を通り(この頃、カメラの電池が切れて、マキャベリの彫像を撮影できず……)店の並ぶヴェッキオ橋を渡って、これまた今日休みのピッティ宮殿を眺めて、また川を渡り、サンタ・クローチェ教会へ。 ミケランジェロ、ダンテ、マキャベリ、ガリレオの墓を礼拝。今ガイドブックを見てて知ったが、遺骨はラヴェンナにあるんだ。ダンテの墓二ヶ所行ったことになります。 そして中庭に学生が座って絵を描いているメディチ・リッカルディ宮では、東方三博士の礼拝を、コンピュータによる説明と実物と両方で堪能。 そしてホテルに戻り、オーナーにもう一泊することをお願い。やたらとお客の女性たちとしゃべってて声をかけづらく、私たちがお願いを始めるとサルサを踊り出したりyoutubeで踊りの画像を引っ張り出してきたりして、非常に絡みづらい(笑) スーパーに行って、その後中央市場前の広場で夕飯。スパゲティなど食べる。まあまあ。 今日は、宿は相部屋で、スペイン人のテオというおじさんだった。A君シャワー行ってる間、つたない英語とイタリア語で話。バルセロナから来たらしい。私が風呂入ってる間、A君はもっとつっこんだ話をしていた(^^) 参考:国鉄(フィレンツェ→ピサ)5.6ユーロ ジョットの鐘楼6ユーロ ヴェッキオ宮6ユーロ サンタ・クローチェ教会5ユーロ メディチ・リッカルディ宮5ユーロ 7/8 ●すべてに価値がある観光客天国フィレンツェ 今日は、昨日休みだったウフィッツィ美術館へ。開館時間の8時頃行って、二時間ほど待つ。 さすがに日本人が多い! バチカンに比べて小さく、回りやすかった☆ ボッティチェリのヴィーナスの誕生やダヴィンチの受胎告知、ウルビーノ公夫妻の肖像、ウルビーノのヴィーナスなど、名作が数々。個人的にはたくさんの肖像画が気に入りました。 ![]() ![]() 付近のお店でバナナを買う(市場に比べて高かった!)。両替もこのとき小さい店でしたような気がする。一万円で57ユーロと、かなりいいレート。A君とダビデ像付近で落ち合う。ヴェッキオ橋を渡り、ピザをテイクアウトで食する。ピッティ宮の前で食べてたら、「そのバナナどこで買ったの?」と欧米人観光客に聞かれた。そんなにおいしそうに見えたのかな? 宮殿に入り、銀器博物館、ボボリ庭園、衣装博物館と見て回る。銀器の特別展「メディチ家と科学」はなかなか見応えがあった。 陶器博物館にも行こうとするが、ボボリ庭園を登り返さなければいけないようなので、あきらめる。どこにあるかわからなかった小人の噴水は、宮殿を出る直前に発見。 再びヴェッキオ橋を渡り、オルサンミケーレ教会へ。目当ての「疑いのトマス像」は、教会の外壁を飾る数々の像の一つだった。 ![]() それから駅へ行き、昨日の払い戻し券の払い戻しを受ける。ピサまでの切符の払い戻しは、だめでした……。 それから、バスでミケランジェロ広場へ。眺めよく、いい場所。思わずビールを買って、のんびりと座っている。その後バスで駅の方に戻り、小さいスーパーで買い物して、キッチン使ってAシェフの料理をいただきました。 参考:ウフィッツィ美術館(特別展付き)10ユーロ リッピ宮10ユーロ 7/9 ●非現実的な現実ピサ……飾らない学生街ボローニャ きょうはやっとピサへ! 実はピサにはたいして期待していませんでした。ある人曰く、「ただ塔が傾いてるだけでしょ」まあ、自分も同じ気分。 駅から、バスに乗る。ピサのバスは、電光表示で次の停留所がわかり、親切。ただし、揺れのひどさには閉口。 ![]() 斜塔の立つドゥオーモ広場は、想像以上に広大。非現実的な外観の歴史的建造物が、圧倒的な存在感をもって目の前に迫ってくる。 切符売り場で券を購入。土産物屋を見たり、芝生でごはんを食べたり、寝たりして待つ。このとき私の食べたチーズバーガーは高かったけれども、ケチャップとマヨネーズをつけたおかげで、とてもおいしかった! かなり暑く、途中から待合室に移動。 待合室で10分前に荷物を預け、斜塔に移動。13:00、登頂開始。傾いているせいで、階段が場所によって内側がすり減ってたり、外側がすり減ってたりするのが、おもしろい。頂上の眺めは最高だし……それよりなにより、写真でしか見たことのない場所に実際に行ったのだという実感が訪れてきて、(この旅で初めて(笑))感動。 ![]() ピサを後に、ボローニャへ。この切符を買ったとき、二枚目を取り忘れる。気づいて戻ったときには、なかった……。途中までの切符がないことになってしまったが、とりあえず検札がなくて、助かった。ただ、電車がなかなか来ないのには、悩まされた。 ボローニャ着。昨日宿のインターネットで予約したホテル「Bed and Breakfast "A Bologna"」の場所は簡単に発見できたが、中に人がいないようだ。で、町をうろうろ。インディペンデンツァ通りを少し南下してから戻り、8月8日広場近くのカフェでカプチーノ、A君はエスプレッソを飲む。 この町はフィレンツェとはうってかわって、観光都市ではない。かといって、バーリのように不親切な地方都市でもない。ステージ?一つだけぽつんと立った8月8日広場、上部が太い柱に支えられた柱廊となっている歩道は、かなり印象に残る。けっこう住むにはいいところではないだろうか。 ![]() 宿に行くと、予約待ち?の欧米人とアジア人が玄関先に。ブザーを鳴らすと、たまたま宿のスタッフがいて、チェックインすることができた。どうやらチェックイン時間を10:00と書いておいたので、それまで来るとは思わなかったらしい。オーナーが日本人のせいか、イタリア人には珍しいあわただしい人だった。 そして、中華料理を食べに行くことにする。駅近くのお店はやっていなかったような感じだったので、8月8日広場のお店へ。うまい。 ![]() 参考:フィレンツェ→ピサ5.6ユーロ バス0.95ユーロ 斜塔15ユーロ ピサ→ボローニャ22.6ユーロ 7/10 ●大刀!サンマリーノ 早朝に出発、ボローニャから国鉄で海が有名な町リミニまで行き、駅前で国際線(!)のバス切符を買ってサンマリーノへ。 バス停の前には、観光客が大勢。国際線のスタッフのおばさんが出てきて、切符を売っている。客が多いためか、私ははじめに来たバスに乗れずA君とは離ればなれに。すぐ来た二つ目のバスに乗った。 このバス、サンマリーノ手前で止まり、待ってると、はじめのバスの乗客がぞろぞろ乗りこんでくる。A君も。結局一つの車両にまとめられたらしい。なんか、ずっと座れてかえってラッキーだった。 サンマリーノは世界で五番目に小さな国。当初の予定にはなかったけれども、日程に余裕があるため、立ち寄ることにしました。なんとなく私の中では平原ののっぺりした国というイメージだったけれども、実際はけわしい山の中にある。 バスを降りて、サン・フランチェスコ門から城壁内に入り、共和国宮殿などを眺めながら登っていく。途中の観光案内所に寄ると、5ユーロでパスポートに美しい切手を貼ってくれて、スタンプを押してくれました。 ロッカ・グアイタ(第一の塔)の下まで行ってしばらくぼーっとしてから、道を戻る。山の上の町ということで雰囲気はアッシジに近いが、アジア人も多かったアッシジとは違い、欧米人の観光客が多いところは、カプリ島に似ている。 なによりこの町に目立つのは、武具のお土産。刀に剣に拳銃。独立を守り通してきた国家という伝統がそうさせるのでしょうか……ちなみに大刀(ダイカタナ)というのは、イタリアで見つけたゲームソフトの名前。 ![]() 帰途途中で、F1サンマリーノGPが実際に行われていたイモラで降りて、サーキットに行ってみる。ここはアイルトン・セナが亡くなった場所であり、A君の是非行ってみたいという希望があった。駅から20分。旧市街を抜けて橋を渡るとテスト走行の大爆音が聞こえてくる。フェラーリの馬も見える。 ![]() スタンドに登ったりしてみたが、肝心のコーナーがどこかわからない。土産物屋で聞くも、電車の時間がタイムリミット。A君は再び訪れることを誓い、駅を後にした。 ボローニャに戻り、アルキジンナジオ宮殿(旧ボローニャ大学)へ。木造の解剖講義室は、この部屋にかつて集った先生と生徒たちの姿や声が今にも聞こえてくるような雰囲気だった。天井の星座像が目を引く。 スーパーで買い物、ネットカフェでホテル予約のためネット。少し怪しい雰囲気だったが、ぼられることもなかった。 夕飯は、インディペンデンツァ通りから少し入ったとこにあるピッツェリアに。ボロネーゼのパスタとカツレツ、おいしかった。店の中の方だったので少し暑かったけれども……。 参考:国鉄(ボローニャ→リミニ)6.5ユーロ バス(リミニ→サンマリーノ往復)7.4ユーロ 国鉄(リミニ→ボローニャ)6.5ユーロ 7/11 ●自転車の似合う町ラヴェンナ ![]() ラヴェンナへ! 末期ローマ帝国の首都が置かれた町。オドアケルやテオドリック大王が活躍した町。というわけで、イタリアに行ったら是非とも訪れたい町の一つでした。 行ってみると、自転車の多い落ち着いた静かないい町。いっぺんに気に入りました。最初訪れたサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会を皮切りに、サン・ヴィターレ教会、ガッラ・プラチディア霊廟、ネオニアーノ洗礼堂、アルチヴェスコヴィレ博物館と、共通券で入れるところは全部行く。 ![]() この町で有名なのは、モザイク。やはり、サン・ヴィターレのユスティニアヌスとテオドラのモザイク画とガッラプラチディア霊廟のモザイク画はすばらしかった! ![]() それからダンテの墓に寄って、駅前の公園のベンチでご飯。 フェッラーラ乗り換えで、ヴェネツィアへ。水上バスの24時間パスを買うが、検札機に挿入できない。周りの観光客もとまどっている様子。A君が船の車掌に聞いても、「いいのいいいの」と言うだけ。次の日になって、「私に近づけるだけにして!」とイタリア語で書いてある妙な機械に近づけると、期限内ならOKサインが出ることがわかりました。ハイテクなんだろうけど、わかりづらい……。 ホテルはB&B Rota。リアルト橋近く。きのうネットカフェのパソコンの調子が悪かったので、予約が入っているか心配だったが、無事取れていた。一人36ユーロと、この旅ではかなり高額の宿賃だが、物価の高いヴェネツィアでは、いたしかたない。 ヴェネツィアは観光地の極みといったところ。車がないのがうれしい。次の通りには、次の角には何があるのか、と浮き立つような心で町を楽しめる。水上バスからの眺めも最高。ただし船はカプリ島でえらい目にあっているので、あまりゴンドラには心引かれなかった。 ![]() 途中で買ったフルーツの詰め合わせは冷えていて最高。カプリ島のグラニータリモーネ(レモンシャーベット)に匹敵する。 サン・マルコ地区、アカデミア橋方面を散歩。水上バスでリアルト橋に戻り、カ・ドーロに行く途中のレストランで夕飯に。私はニョッキ、A君はペスカトーレ。なかなかおいしい。帰って早めに寝る。 参考:国鉄(ボローニャ→ラヴェンナ)5ユーロ 国鉄(ラヴェンナ→ヴェネツィア)9.55ユーロ ラヴェンナ遺跡共通券8.5ユーロ 水上バス24時間券16ユーロ 7/12 ●期待に満ちた町ヴェネツィア ……実はイタリアの夜では蚊に刺されることが多かったのですが、(バーリのホステルだけはガンガンに冷房が効いてましたが、他の宿にはエアコンがないため、窓開け放しで寝ることになる)ヴェネツィアの蚊はひどかった! あまりの多さに窓閉める。朝起きると、シーツや足に蚊と、蚊の吸った自分の血がこびりついているほどでした。 珍しく朝食ありのホテル。そういえばボローニャのホテルはB&Bという名にも関わらず、朝食は出なかったのでした(笑) まあ隣のカフェでパンとカプチーノですが、それでもあるだけありがたい。 歩きながらネットカフェを探して、発見。朝なのでやってない……後で行くことにしたけど、結局行かず。ヴェネツィアは、朝から期待に満ちた空気で、今日もわくわく。 サン・マルコ広場の大鐘楼に登頂。エレベーターで一瞬なので、物足りなし。バチカンやフィレンツェの時のように、足で登りたかった。(そして少し安くして(笑)) 眺めよし。遠くの、少し傾いた塔もよく見える。その後ドゥカーレ宮へ。美術品は心にとまったものはなかったけれども(!)、お目当てのため息の橋とその先の牢獄がある。ため息の橋とは、囚人がその橋を渡るときせまい窓から外を見て娑婆との別れを惜しんでため息をついたとかなんとか。 今使われてないとはいえ、牢獄など普通は訪れることもないので、実に興味深かった。とくに囚人が残した落書きとか。 ![]() ![]() その後ため息橋を外から眺めて、水上バスに乗る。大運河をさかのぼり、ペーザロ宮でオリエンタル博物館と近代美術館を見る。水上バスはすばやく乗り降りしなくてはならず……一つ先の停留所に行ってしまったりしました。 オリエンタル博物館、最初の武器の多さに驚く。しかもむきだしなので少しこわい。主に日本と中国の工芸品。東南アジアも少し。特に日本のものが多い感じ。印籠や根付けは相変わらずいい仕事してますが、蒔絵が特にすばらしい。かつて大英博物館の日本展で感動して愛国心が急上昇したときほどではないですが、大きく心に響き、日本の技術力に感心させられました。 その後水上バスのザッカーレで降り、サン・レオナルド通りでパンを買い、グリエの停留所の近くで食べる。 そこから、ムラノ島へ向かう。最初の停留所で降り、ガラスの博物館まで運河沿いに歩き、博物館見学。ガラスで作ったミニチュアの庭園がすばらしい。 ![]() その後、来た道を戻りながら、お土産探し。やはりムラノ島入り口コロンナに向かうにつれ値段も高くなっていくので、気に入ったものがあれば、早めに買うべきかもしれない。それよりなにより、私は破れて壊れたリュックの代わりにフィレンツェ駅前の露店で買ったリュックまでもが破れ始めていて、ブルーでした……。 サンタ・ルチア駅に向かい、次の目的地、ヴェンティミリアまでの切符を買う。ミラノまでは、清潔なユーロスターに乗る。ミラノで各駅停車に乗り換え。話したりうとうとしながら、次第に夜に。トンネルが多くなってくると、そこはジェノヴァを擁するリグーリア地方。イタリアン・リヴィエラと称される海岸地帯。われわれはその一番西端に位置する駅ヴェンティミリアに1:00頃到着。 比較的治安はよさそう。電車待ちでごろ寝する人もちらほら。さすがに駅構内で寝る気にはならず、海岸に出ていき、手頃なコンクリートベンチを見つけて横になる……。 参考:大鐘楼8ユーロ ヴェネツィア博物館共通パス18ユーロ 国鉄(ヴェネツィア→ヴェンティミリア)41.2ユーロ 7/13 ●あきれるほど開放感!ニース なぜヴェンティミリアのベンチでごろ寝してるかといえば、次の朝フランスのニースを目指すため。日程の余裕はフランス&モナコ二か国周遊で埋めようという考え。でもその分お金がかかるので、せめて夜移動で宿代を節約しようというわけです。 しかしこれがまた寝にくい。人が意外とうろうろしている。特に、親子だか男女だかわからないが、高い声と低い声のイタリア人が浜で叫びまくってるのには閉口した。酔っぱらいで、そのうちこっちの方にも来るのではないかという恐怖がある。 加えて、近くのベンチでイタリア人の老人とイングランド人の旅行者が会話を始めて、それが耳についてしょうがない。お互い不慣れな英語とイタリア語で意思疎通をはかる二人。離れて聞いてると、なんとなく意味がわかる。 眠れないので、なんとなく決断して、頃合いを見て「ボナノッテ」と二人に話しかける。しかし、想像以上におじいさんと話が通じない。やっぱり、イタリア語だめだ……。 しばらくして老人は去り、イングランド人の若者と二人に。英語の方が、まだなんとなくわかるししゃべれる。 ジェイソンという人。学生で、フランス語けっこうできるらしい。フランスのルソーあたりの哲学と、ロシア共産主義革命、スターリンのことを専門にやっているらしい。そのうち話すこともなくなり(笑)ジェイソンは浜に横に。私は元のベンチで寝る。 一時間ほどして、5時前。最初の電車の時間なので、ジェイソンを起こしてあげる。彼は、これからニースを通過、バルセロナの方まで行くはず。旅行の思い出といいところを聞くと、ブダペストがよかったと言っていた。ハンモックで寝たらしい。 ロンドン在住、学生最後の年の来年はシベリア鉄道で北京を目指すといっていた。夢が叶うことを願う。 われわれは彼のようにユーロパスは持ってないので、7時頃に駅に行って、窓口が開いてからニース行きの切符を買う。 「ニッツァ」(イタリア語でニース)に行きたいという外国人が、やたらとA君にどうすればいいとかこの電車でいいのかとか、電車に乗ってもここがニッツァかと聞いてくる。イタリア人ではないのだろうか。電車は二階建てで、快適。夜あまり寝てない私はほぼ眠っていた。 ニース着。あっけなくフランス……開放的で明るい町。マックで朝食。フランスのマックには、朝マックのセットがある。私はベーコンエッグマフィンとダブルラテとトロピカーナ。 ![]() ニースはトラムが未来的で、かっこいい。海岸に出て横になるが、日焼けが怖く、引き上げる。ホテル「アズュールリヴィエラ」に荷物を置かせてもらい、次の目的地、モナコに出発。ホテルで教えてもらったバス停からモナコ経由メントン行きのバスに乗る。 ![]() バスは海岸沿いの激しい山道を行くため、揺れる。混んでいてずっと立ち乗り。私は、次第に気持ち悪くなる。 モナコが遠く感じる。グロッキー。降りた港近くの停留所で、しばらく休む。A君がコーラを買ってきてくれて、ありがたい。ようやく落ち着き、インフォメーションでもらった地図を手に、歩き始める。 モナコは世界で二番目に小さい国。これでイタリア、バチカン、サンマリーノ、フランス、モナコと、五カ国に足を踏み入れたことになる。モナコに来たのは、F1のコースを歩くためでもあった。 ちょっと坂を上ったりして一瞬迷うが、後はほぼコース沿いに歩いていく。トンネルは途中から工事中のようで歩けず、一旦戻ってエレベーターを降りたりして、下に抜ける。 ![]() モナコは、実に高貴な町。陰はないのではないかと思うぐらいに明るい。また、地下に広がる駐車場や駅に通じる地下道は、まるで非現実的な迷宮を思わせる。昼飯は、海岸沿いのカフェで。 ![]() ![]() 帰りのバスに乗ろうとしたが満員で乗れず、あきらめて電車に乗る。この、地下に広がる駅が、また未来的で幻想的。しかもフランス国鉄のアナウンス音楽は末尾が不思議な声みたいで、さらに非現実的空間に連れていかれる。 ![]() 夕飯は少し町を回って探す。日曜だったせいもあり、いい店を発見できず。特に駅の北側はさびれて、危険な空気が漂っている。結局中華のセルフサービスチェーン店「快餐」へ。宿へ戻ってごろごろ。 参考:国鉄(ヴェンティミリア→ニース)6ユーロ バス(ニース→モナコ)1ユーロ 国鉄(モナコ→ニース)3.3ユーロ 7/14 ●優雅。モナコ 朝マックへ。今日はヨーグルトを頼んでみる。やたらと濃い。海へ向かう。途中のスーパーで、A君が水着を買う。 海は大にぎわい。といって、いやになるほど混んでいるわけでもなくちょうどいい。波が高いと疲れるが、おもしろい。最高。 海に入ったり、休んだりを繰り返す。ジュース売りや西瓜売りなど物売りが多く来るが、やはり耳に残ったのは「アーレアレ、ニースマタン」(ニース朝刊いかがっすか)と繰り返す、朝刊売り。独特の抑揚が癖になる。 昼飯は、スーパーで買ったパンやジュースを海岸で食する。のんびりと、まさにバカンスな時間を過ごす。 14時頃海岸を出て、バスターミナルから再びモナコへ。バスは、座って寝ていると、あっという間。今日は、カジノへ。 一応短パンジーンズはだめみたいな話があったので、襟付きのシャツ、ジーンズではないズボン、スニーカーで臨んだのですが……。 まず玄関先はあっけなく入場可能。そこに置いてあったスロットマシーンで遊び、さっそく5ユーロする私。 さらに荷物を預け、10ユーロ払うことで、あっけなくサロンにも入場可能。しかも中には、短パンの人もTシャツの人も、サンダルの人までいる。まあ、ほんの一部ですが……気が抜けました。 ルーレットを見学したり、スロットをしたり。お金がないとつまらない……が、雰囲気は堪能できました。その後、別のカジノにも入場。そこは巨大なゲームセンターといった趣。最初に入ったグラン・カジノよりにぎわってました。 ただ、ゲームのバリエーションが意外に少ない。日本の競馬ゲームや麻雀ゲームを置いたらいいのに、なんてことも思いました。 ![]() バスを待って帰り、バスから見えたにぎわいの見える横町に入っていくと……ご飯やさんがいっぱい。ニースは昨日歩いた内陸ではなく、海岸沿いが栄えているのでした。 安い店を探し歩き、とある一軒でまあまあの値段のセットメニューを食べて帰る。選択肢を選ぶとき、やたらとギャルソンにせかされた……。 帰り際見た花火の最後の数発。美しかった。それにしても、優雅に過ごした日でした。ニースは、町と観光客のスケールがものすごく大きい感じがしました。 参考:バス(ニース→モナコ往復)2ユーロ カジノ入場料10ユーロ 7/15 ●ゆっくりゆったりヴェンティミリア 今日も朝マック。パンケーキは日本のとえらく違って小さかった……。ニースからヴェンティミリアへ。電車は、かなりボロボロだった。次の列車が来るのが昼近くなので、しばらくこの町で時間をつぶす。 12日に泊まった場所に行ってみたり。海岸はニースとは違って閑散としていた。けれどもさびしくはない。海は同じエメラルドグリーン。 ![]() 駅と海岸の間にある公園のベンチで時間をつぶす。ディズニーのメリーゴーラウンドが近くにあり、子供たちで盛況。上からつり下がったミッキーのぬいぐるみにつるされたしっぽのようなものを取る遊びをして盛り上がっていた。 電車に乗り、ほとんど寝ながらミラノへ。タッジア・アルマやアルベンガなどマイナーな駅の乗り換えでとまどい、電車もかなり遅れたが、おかげで時間的にはちょうどよく宿に着いた。ロレート広場近くのホテル・ドゥランテ。たまたま中国系の人が受け付けをしていたので、中華料理屋の場所を聞く(笑)。ホテルのフロントはたいてい英語が通じるので、便利。 地下鉄の24時間券を買ってあったので、地下鉄でドゥオーモまで行き、周辺を少し歩き、またホテルの方に行って、教えてもらった料理屋で食べた。 参考:国鉄(モナコ→ヴェンティミリア)6.1ユーロ 国鉄(ヴェンティミリア→ミラノ)14.7ユーロ 地下鉄24時間券3ユーロ 7/16 ●走る大都市ミラノ ミラノ観光! とはいうものの、思ったような結果を残したとは言い難い日となりました。朝飯は、昨日スーパーで買ったもので。 地下鉄でドゥオーモに行き、入場。写真を撮ろう、と思ったら電池が切れている。どこかの市場で買ったソニーの電池を入れてみるが、それも効かず。 ドゥオーモは外も壮観だが、中も壮観。どでかい柱が、腐海の深部を連想させる。側廊から彼方のステンドグラスを眺めると、神秘的で、感動的に美しい。写真に撮りたかった! ドゥオーモの近くにわりと率のいいCHANGEあり。1ユーロ170円、手数料5パーセントで、10000円両替して55ユーロになった。 それからかなり歩いて、最後の晩餐のあるサンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会へ。教会の中は見られるが、絵のある旧食堂には、何ヶ月前から予約しないと入れない。残念でした。 次にレオナルド・ダ・ヴィンチ科学技術博物館を目指す。ミラノではかなり楽しみにしていた場所だったけれども、入り口を探してさまよったあげく、受付でいわれたのは「キウゾ(閉まってます)」渡された紙によると、九月頃まで改修らしい。残念! 隣の普通の教会を見て、また歩く。 広いし、観光には向いていない。この町は、フィレンツェやヴェネツィアのような観光の町ではないと、実感。今生き、働いている町なのだ。 土産物屋を探しながら、トリノ通りを通ってドゥオーモの方まで歩く。スカラ広場でご飯にする。と、その少し前からかゆかった胸が、耐えられないほどになる。オロナイン軟膏を塗ったり、水でふいたりしてみたけれども、まったくどうにもならない。 おそらく日焼けの影響だと思うが、この旅で一番苦しい時間を過ごした。薬屋に行かず耐えて歩いていると、なんとか少しずつ落ち着いてくる。その後ペックや、その付近のお菓子屋を回る。 それからトリノ通りの本屋のFNACやスーパーに寄り、さらにミラノ中央駅隣接のスーパーでも買い物。マルペンサ空港行きのバスの切符を買い、駅前広場で、サッカーをしている家族たちを見ながら、ぼーっとしている。 その後再び本屋に寄ってから、飯屋を探す。結局中華料理にしたのだが、これがおいしかった。キクラゲのスープや豆腐炒めやビーフン……駅前のヴィトゥルヴィオ通りを東に進んで右側にある大?(金が三つ)酒樓というお店。 それから最後のイタリアの思い出にと、カフェに行くが、店員が中国系の人だった(笑)エスプレッソを立ち飲み、空港行きのバス停の前でジェラートを食べる。そしてバスに乗って、空港へ。夜のミラノを見ながら……。 空港の第一ターミナルと第二ターミナルはとんでもなく離れているので、第二ターミナルで降りないように注意……そして出発階のベンチで夜を明かす。成田のようなチェックは、まったくなし。 参考:急行バス(ミラノ中央→マルペンサ空港)7.5ユーロ 7/17 ●ああ失敗 なんとか寝られた。チェックインは10時30分。が、荷物検査で引っかかる。ジャムと瓶詰めが、液体類だったということを全く失念していた! チェックインカウンターに急いで戻って航空荷物に入れてもらおうとするが、「もう送ったから無理。今はラッシュアワーだ」と言われ、がっくり。 捨てるのがどうしてももったいなく感じられ、一階の郵便局に行って、国際郵便で送ってもらうことにする。18ユーロ必要。小銭しかないので、同一階のウエスタン・ユニオンのCHANGEで両替。18ユーロには、5000円が必要だった……。 このとき送った荷物は一週間で届いたが、何も詰め物をしなかったので、瓶は一つ割れておじゃんになっていた。結論からいうと、捨てるのが正解だったと思う。 終日、飛行機。中華国際航空、食事はまあまあおいしい。ジェット・リー出演の機内映画の映像は、かなり乱れまくっていた。 7/18 ●帰国 上海で成田行きに乗り継ぎ。浦東空港は広く、清潔で快適。ただ、のどが渇いたのでトイレの水を軽く飲んだら、おそろしくまずかった。 成田に、ほぼ予定通り到着。湿気の多い日本に戻ってきて、ほっとしました ●おまけ、イタリアで気づいたこと…… ローマの地下鉄のエスカレーターは、階段部と手すりの回転数が違うため、ずっと手すりを持ってると、どんどん手が先の方に行ってしまう。ミラノはほぼ同じ速さだった。 ミラノの地下鉄やモナコの野外カフェには、霧の出る扇風機が置いてあった。向こうは湿気が少ないので、霧が涼しく感じられる。 イタリアにはポケットティッシュはないので、(代用品になる紙ナプキン詰めみたいのはありましたが)ティッシュは日本から持っていくといいかも。 洗面所には、どんな宿にもトイレにも、たいていハンドソープがついている。これは驚き。 レーズンパンがない。 ミルクティやストレートティのペットボトルがない。レモンティかピーチティが普通。 1階は他のヨーロッパ諸国同様、地階や0階と呼び表されるので、たまに混乱する。1階(プリモ・ピアノ)が日本でいう2階。 残念なことではあるけれども、大きな町には、必ず物乞いの人がいます。 ![]() |