人生劇場

作詩 佐藤惣之助 作曲 古賀政男 昭和13年 一.やると思えば どこまでやるさ それが男の 魂じゃないか 義理がすたれば この世は闇だ なまじとめるな 夜の雨 二.あんな女に未練はないが なぜか涙が 流れてならぬ 男ごころは 男でなけりゃわかるものかと あきらめた 三.時よ時節は 変わろとままよ 吉良の仁吉は 男じゃないか おれも生きたや 仁吉のように 義理と人情の この世界 四 端役者の俺ではあるが早稲田に学んで波風受けて 行くぞ男の この花道を 人生劇場 いざ序幕 五 早稲田なりゃこそ 一目でわかる辛い浮き世も楽しく生きる バカな奴だと 笑わば笑え他人にゃ言えない こころいき 人生劇場・口上 (五番の歌詞・口上は、奥島元早大総長の作による。) 一.早稲田の杜が芽生く頃、花の香りは沈丁花、人生意気に感じたら、ビクともするなと銅像が、ビクともせずに風に立つ。 崩れかかった築山は、江戸の昔の高田冨士、町を見下ろすてっぺんで、意気に感じた若者が、夕日に向かって吼えていた。 春と一緒に青春の、波がドンドン押し寄せて、男子ばかりか女子まで、杜の宴に酔いしれる。逢うは別離の始めとか、 さよならだけが人生さ、ああ人生のローマンス。 昨日も聞いた今日も見た、早稲田の杜に青成瓢吉の出るという。御存知尾崎士郎原作「人生劇場」の一節より。 ああ歓楽は女の命にして、虚栄は女の真情であります。わずか七日ばかりの享楽を得んがため、 哀れはかなくも美しき乙女の貞操は犠牲に供せられたのであります。覆水盆に返らずのたとえあるが如く、 親をいつわりし罪、いと深きかな。ああ哀れメリーさんよ、チンタッター、チンタッタ。 二 君みずや荒川土手の緑、さらに緑なるその中に、一点の紅を点ずる者あり、その名をお袖という。月よし酒よしお袖さらによし。 深窓の令嬢に恋するを真の恋と誰がいう。泣いて笑ってこびを売る月下の酒場の女にも水蓮の如き純情あり。 そのとき、かの熱血漢新海一八はこうつぶやいたのであります。 「我が胸の 燃ゆる思いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山」 三 時は大正の末年、夕暮れのいと寂しき処、三州横須賀村、印ばん天にもじりの外套雪駄に乗せる身もいと軽く、 帰り来たりしは音にも聞こえし吉良常なり。 四 ああ夢の世や夢の世や、今は三歳のその昔、いとなつかしき父母や、十有余年がその間、朝な夕なに眺めたる、春は花咲き、 夏茂り秋はもみじの錦衣ぬ、冬は雪降る故郷の、生まれは正しき郷士にて、一人男子と生まれたる、宿世の恋のはかなさか、 はたまた運命の悪戯か、浮き立つ雲にさそわれて一人旅立つ東京の、学びの庭は、早稲田なり。 五 お袖も大学も、今となってはやめるもよし、やめざるもよし。今夜は今夜、明日は明日。壮士ひとたび去りてまた還らず。 飄々乎たる青成瓢吉は、いまやあたかも人生に舞い落ちる一片の木の葉にも似た落武者とはなりはてぬ。 だが、過ぎ去りし日々は楽しく、来る日もまた楽し。今日もまた飲み疲れた瓢吉は、ひとり満天の星空を仰ぎながら、 その心境を月に向かってこう嘯くのであった。気の毒だが貴様たちにゃどうしたって奪りきれぬ佳いものを、 俺ゃあの世に持っていくのだ。ほかでもない、そりゃ、ワセダの心意気だ。

青成瓢吉人生劇場公園にて

『人生劇場』は、尾崎士郎の自伝的大河小説。
愛知県吉良町(現・西尾市)から上京し、
早稲田大学に入学した青成瓢吉の青春と
その後を描いた長編シリーズ。
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