口の中の空洞
奥野 雅子
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| | 顔を洗ったあと
| | 歯をみがこうとくちびるを開くと
| | 歯が抜けてた
| | 下の歯が二本
| | 上の歯が三本
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| | いやだ、こんな歯じゃ
| | 朝ごはんのトーストが食べられない と
| | ヨーグルトをすする
| | こんな顔で学校に行ったら
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| | みんなに笑われるよね。
| | 私にしつこく問いつめられても
| | 「いいから、とにかく学校に行ってらっしゃい」
| | としか、家族は答えようがない
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| | 凍えるような朝
| | 私は帽子をかぶって
| | 今日は一日、なるべく口をあけないですみますように、と
| | 心のなかで唱える
| | 学校が終わったらとにかく
| | 歯医者に行かなくちゃ
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| | 石だたみの寒い路上には
| | 牛乳をあたためた湯気が
| | あふれている
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| | ダッフルコートにつつまれて歩く私の
| | 前後を靴音がいそぎ過ぎる
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| | 街灯の背後に息をひそめて
| | 坂沿いにつづく家々の中
| | いま 何人の人が
| | ホット・ミルクを飲みながら
| | 朝ごはんを食べているだろう
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| | うわの空の私の
| | 眠たいような気持ちが
| | 路上にぐずぐずとひきとめる
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| | こんなことしてないで
| | はやく電車に乗って
| | 授業を受けなくちゃ
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| | 黄色い市電が路面をこちらに向かって
| | 視界いっぱいにひろがってくるのを
| | 待ちうけながら
| | 私は
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| | 歯が抜ける夢って
| | 確か
| | 悪い意味があったことを思い出している
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| | 建物の輪郭がくっきりと
| | ふぞろいなラインで
| | 浮かびあがる
| | 切りとられた青空
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| | 家々の梁を突き上げて
| | 街灯は
| | 灰色の空洞を抱える
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| | 揺れる吊り革につかまって ときおり
| | 倒れそうになりながら
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| | 太陽の光が
| | 淡く
| | ぱらぱらと 窓の枠にろ過されて
| | 落ちる のをながめている
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| | 目の前の座席が
| | いつもよりちいさく感じるのは
| | 口の中にちいさな
| | 空洞があるせいか
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| | 口もとを手でさわる
| | 私に
| | 髪を薔薇色のスカーフでおおった
| | となりのマダムが
| | 「伏せて」
| | と言った
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| | 不意に
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| | 床の空白に
| | 倒れこむ
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| | 激しく
| | 音が散った
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| | 機関銃
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| | 黄色い車両が
| | 不自然な場所に停止する
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| | 迷彩色の人々がとびこんでくる
| | マダムと二人で非常口に体ごとぶつかって
| | とびだした
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| | 路地にもぐりこんで
| | そこからはたぶんひとりで
| | ひた走る
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| | とにかく
| | 脇の水路にとびこめば
| | 助かるだろう
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| | 歯医者には行けない
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| | あのアーチのところに階段がある
| | そこまで
| | たどりつければ
| | 水路にとびこまなくても
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| | 階段を駆けおりて
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| | 汚れた水が
| | きらきらと
| | 呼吸する
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| | 水路わきを走りながら
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| | しばらくは
| | 歯医者に行けそうにない
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| | アレ、
| | 見たことのない木の船が
| | 水路をいそぐ
| | ながれる木の葉のように
| | 見なれない家族連れの人々をのせて
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| | 難破船を
| | いましがた脱出したかのように
| | 流れていく
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| | そもそも
| | ここは
| | どこの国なのか
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| | きょうの朝とつぜん
| | 分からなくなってしまった
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| | 街は
| | 水路の上方にそびえたち
| | さっきより倍の高さで
| | 大きく
| | 膨れあがっている
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| | 私は
| | はげしく
| | 息切れしながら
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| | 前方に見つけた
| | 薔薇色のスカーフのマダムに
| | 追いつこうとしている
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| | 朝焼けのように
| | 薔薇色が
| | 美しく目の前に焼き付いて
| | 燃えあがる
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