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                     地球卒業への道

 人間の目的は、地球を卒業し、二度と地球に生まれ変わらないために、人格を完成させることです。釈迦やイエスをはじめとする古今東西の賢者たちは、結局、これを説いたのであり、イデア ライフ アカデミーの目的も、ここにあります。
 では、地球を卒業するにはどうすればいいのでしょうか?

 地球は最低レベルの世界
 広大な宇宙には、人類のような生命体が住んでいる星は無数にあると思われますが、その星の進化の程度をランクづけするなら、おそらく地球は、もっとも進化の遅れた、最低レベルの世界のように思われます。というのも、地球にはあまりにもひどい悲惨さ、不調和、悪徳がはびこっており、これ以上のひどさは想像できないからです。仮に、もっとひどい星があったとしたら、すぐに戦争や環境悪化などで滅亡してしまうに違いありません。地球もそのような運命をたどってしまうのかもしれませんが、とりあえず今のところは存在しているので、存在している星の中では、やはり最低レベルの世界であるとしか思えないのです。
 ではなぜ、地球はこれほど悲惨で不調和で悪徳がはびこっているのでしょうか?
 それは、地球の物質的資源には限りがあるのに、人間の欲望には限りがないからです。その際限なき欲望のために、地球の資源を奪い合い、そのために、あらゆる悲惨さ、不調和、悪徳が生じているのです。
 一言でいえば、人間が欲望を野放しにしているからです。これが、諸悪の根元です。
 こうした、最低最悪の世界に、私たちは生きているのです。まずは、このことをはっきりと認識する必要があります。なぜなら、この認識こそが、霊的修行の基本的動機となるからです。
 とはいえ、こうした考え方に賛同できない人もいるでしょう。
 「自分はけっこう幸せに生きているよ」
 「確かに悲惨で苦しいこともあるけれど、楽しいこともある。悲観的に考えるべきではない」と。
 もちろん、そう考えて人生を生きていけるなら、それはそれでいいと思います。他人がとやかく言う筋合いではありません。
 ただ、そのように考えられるのは、それなりに恵まれた境遇にあるからではないでしょうか。
 世界を広く見渡すなら、あまりにも悲惨で残酷な生を送り、むごい死に方をしている人がたくさんいます。自分がそのような境遇になったとしても、この地上の生を肯定的に考えることはできるでしょうか?
 そのような悲惨な境遇に自分がならないという保証は、どこにもありません。運が悪ければ、一夜にして悲惨な境遇に突き落とされることだってあります。「そういうことは自分には起こらない」という思い込みは、単なる幻想です。たまたま運よく恵まれた境遇に生きているので、地上人生を肯定できているにすぎないのではないでしょうか?
 地球という場所は、たとえ自分ではなくても誰かが、筆舌に尽くしがたい悲惨さや苦しみに見舞われるという現象が存在するという点で、どう考えても最低ランクの世界なのです。「他の人はともかく、自分は幸せだからいい。だから地球はよい世界なのだ」と言うことはできないのです。

 二度と地球に生まれ変わらないための生き方
 このような地球は、人間が本来、住むべき世界なのでしょうか?
 釈迦やイエス、プラトン、その他、多くの偉大な賢者たちは、私たち人間がほんらい存在する世界は、この地球(地上)ではなく、もっと高次の世界であると主張しています。
 たとえば釈迦は、いわゆる輪廻転生の考え方を土台に、地上からの解放を唱えました。
 輪廻転生、すなわち、人間は何度も地上に生まれ変わるという説があります。もちろんその真偽は、科学的に確かめようがありません。本当かもしれませんし、本当ではないかもしれません。もしも輪廻転生というものが存在せず、人間は死んだら無になって消滅するというのであれば、それは地球から解放されることを意味しますから、それはそれでよいことだとも言えるでしょう。
 しかし、輪廻転生が存在するとしたら、私たちはこの地球に、これから何回も再生してこなければなりません。繰り返される人生すべてが幸せであればいいですが、そうとは限りません。多くの辛酸をなめ、失意のどん底に突き落とされたり、ときには戦争や自然災害、事故や事件などによって、愛する家族を失ったり、命を失ったりする可能性だってあります。「まさか、そんなことが!」と思われることでも、起こるときには容赦なく起こる、これが、地上という場所なのです。たとえ過酷な人生ではなかったとしても、病気の苦しみ、老いる苦しみ、そして死ぬ苦しみは、誰もが避けられない宿命です。
 もちろん、人生には、苦しいことばかりでなく、楽しいこともあります。
 しかし、楽しいことというのは、繰り返されると、しだいに楽しくなくなってきます。そのため、さらに刺激の強い楽しみを欲するようになるのですが、その願いが叶えられるとは限りません。むしろ、叶えられないことの方が多いでしょう。叶えられなければ、苦しみを覚えるようになります。
 つまり、地上という場所は、原理的にいって、しだいに楽しみは減り、楽しみが苦しみに変わるという構造になっているのです。苦しみが支配するようになっていく世界なのです。
 輪廻転生が存在するとしたら、これから先、こうした地上人生を何回も繰り返さなければなりません。
 そう思ったら、「勘弁して欲しい」という気持ちになる人も、少なくないはずです。
 いったい、そのような気持ちを懐いた人は、どうすればいいのでしょうか?
 すでに述べたように、輪廻転生があるかどうかはわかりません。しかし万が一、あった場合のことを想定して、それに備えるということが、最善の策ではないでしょうか。つまり、二度と地球に生まれ変わらないための生き方をする、これが、賢明な選択であると思うわけです。

 人はなぜ生まれ変わりを繰り返しているのか?
 二度と地球に生まれ変わらない生き方を、多くの賢者たちは説きました。このことは、「地球は人間の本来の住む世界ではない」ということを意味していると言えるでしょう。私たち人間の本質は、肉体ではなく、仮にそれを「魂」と呼ぶならば、魂が住むべき世界は、もっと他にあるということです。
 そこで、どうしたら、この地球という世界から脱出し、本来の世界に戻ることができるか? ということになるのですが、そもそもなぜ人間は、この地球に生まれてきて、輪廻転生(仮にそれが存在すれば、ですが)を重ねているのでしょうか?
 もちろん、それは誰にもわからないことなので、個人的な推測に基づいて述べることしかできないのですが、おそらくその理由は、「情報を集めるため」ではないかと思われます。
 生命というものは、進化していくという性質をもっています。進化とは、棲息領域を拡大するために、環境に合わせて自己を変化させていくことですが、ではなぜ、棲息領域を拡大しようとするのでしょうか?
 たとえば、生命はもともと海中で暮らしていましたが、やがて陸上に生きる生物として進化してきました。なぜ、そのような進化をする必要があったのか? 海中でずっと暮らしていてもよかったはずです。
 その理由は、棲息領域を拡大する、言いかえれば、新たな世界に参入することで、その世界の情報を収集するためではないかと思われるのです。
 ではなぜ、情報を収集するのかというと、生命を生みだした根源的な存在が、いわゆる「全知全能」となるために、あらゆる情報を収集しようとしているからではないかと思います。生命は、そのために創造されたのではないかと思うわけです。
 これについては、別の機会に詳しく説明する必要があるかと思いますが、とりあえずここでは、生命には「知りたい」という好奇心が備わっており、その好奇心を満たすために情報を収集しようとする、それが進化という運動になった、ということを申し上げておきたいと思います。
 さて、そうした進化は、水平方向と垂直方向の2つの動きがあると思われます。
 水平方向とは、通常いわれる進化で、ある次元の世界の中で棲息領域を拡大し、その世界の情報を収集することです。一方、垂直方向の進化とは、ひとつの次元世界から別の次元世界へと棲息領域を拡大していくことです。すなわち、私たちは高い次元の世界にもともと存在していたのですが、棲息領域を拡大するために、下の次元の世界に降りてきたのです。そして、その世界の情報を収集し終わると、今度はさらに低い次元に降りてきた、と思われるのです。
 そうしてついに、最下層の次元に到達した場所が、地球(地上)というわけです。そこで私たちは、これまで何回も地上に生まれ変わりながら、この世界を経験し、さまざまな情報を収集してきたのです。
 しかし、そろそろ、そうした情報も、飽和状態に近づいてきたのです。まだまだ未知の情報があるとはいえ、おおよそのことがわかってきたからです。つまり、次元を降りながら情報を収集していくという進化のミッションは、最下層の次元であるこの地球において、終わりに近づいてきたのではないか、と思われるわけです。
 そのためしだいに、棲息領域を拡大させる運動から、故郷である高い次元世界へと引き返していく「収束の運動」という流れが生じてきたのでしょう。これまでの拡大の運動が「物質的な進化」であるとするなら、これからの、故郷に帰還していく収束の運動は「霊的な進化」ということになるかと思います。
 そのような流れにうすうす気づき、故郷である高い次元世界のことを、かすかながらも想い出した魂が、この地上世界がいかに低劣で、悲惨で汚れていて、苦しい世界であるかを、しみじみと実感し、そのような世界から脱出して、本来の次元世界に帰還したいと願うようになるのです。

 いかにして地球を卒業するか?
 では、いかにしたら、地球(地上世界)から脱出できるのでしょうか?
 すなわち、地上に肉体をもって生きる今回の生が、地上における最後の生となり、二度と生まれ変わってこないようになるためにはどうしたらいいか、ということです。
 すでに述べたように、私たちは情報収集のためにこの地上世界に来たと考えられるので、情報を得るために、「この世のあらゆることを体験したい」という欲望があるのです。体験することで情報を得ようとしているわけです。
 つまり、「地上世界を体験したい」という欲望があるために、この地上世界、地球に、生まれてきたのです。
 地上は物質の世界ですから、物質、そしてまた、物質である肉体、および、肉体によって作られた「我(エゴ)」に対する欲望をもっているのです。そうして、本来の私たちの姿は、物質を超えた高い次元世界の住民であるにもかかわらず、そのことをすっかり忘れてしまい、この物質世界だけが唯一の世界であり、自分の住むべき世界であると錯覚し、物質にすぎない肉体が自分自身であり、肉体が作りだしたエゴが自分であると、錯覚しているのです。
 したがって、地球から脱出するためには、地上世界に対する欲望、言いかえれば物質的(肉体的)な欲望と、それが生みだしたエゴに対する欲望を捨てればいい、ということになります。エゴに対する欲望とは、端的にいえば虚栄心や優越感といったものです。そうして、肉体が自分という錯覚、エゴが自分という錯覚から醒めることです。
 そうすれば、二度と地上に転生してくることはないと考えられるのです。
 それに加えて、もうひとつ大切なことは、高い次元に向かう推進力を養うことです。具体的には、高い次元の世界は「真善美」の世界ですから、真善美を願い求める気持ちが重要になってきます。たとえるなら、地上世界に対する欲望を捨てることは、上昇しようとしている熱気球から「おもり」を捨てて軽くすることであり、真善美を求める気持ちは、熱気球を上昇させるために、バーナーの炎を強くする、ということになります。
 ひらたく言えば、低い次元世界に対する欲望を捨てて、高い次元世界に対する情熱を懐くことです。
 結局のところ、釈迦やイエス、その他、偉大な賢者たちが説いたことは、これだったのです。
 「地球という悲惨と苦しみに満ちた場所は、私たちの住む場所ではない」
 このことに、心の底から気づいた人は、「地球という学校」で学ぶべきことは、学び終えたのです。
 これからは、「卒業」するべく、生きるべきだということになるでしょう。
 そのための情報を提供することが、イデア ライフ アカデミーの目的です。
 いつの日か、すべての人が地球を卒業することになるでしょう。その日が早く訪れるか、あるいは遅くなるか、その違いがあるだけです。

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