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                    ノーチラス号の逆襲

 百年の眠りから覚めたネモ艦長とノーチラス号が人類史上最強の兵器で立ち向かうという、ジュール・ベルヌの小説『海底2万マイル』を土台に書いてみた反戦短編小説です。イラク戦争への憤りの気持ちから書きました。2003年の作品となります。



 プロローグ 悪魔の炎
 2003年3月、米英によるイラク攻撃は、イラク軍の予想を超えた反撃によって長期化の様相を示していた。地上戦により、かなりの犠牲者を出していたアメリカは、国内世論が反戦ムードに変わるのを避けるために、最終的な兵器に訴えることにした。
 それは、核爆弾に次ぐ強力な爆弾の投下だった。空中で大量の燃料を散布した後で点火させ、広範囲の地域を一瞬にして高熱地獄と化す悪魔のような兵器である。
 アメリカはまず、見せしめのために、バグダッド郊外の、比較的一般市民の住居がない地域に向けて、この新型爆弾を発射した。
 ところが、コンピューターのプログラムにミスがあった。この爆弾は軌道を離れ、まるで切れた凧のようにはるか上空をまわった。そのニュースは、イラクとの戦争よりも、ブッシュ大統領と国防長官を震撼させることになった。もしも、この爆弾がとんでもない所に落下したら、いったいどうなるのか! 大統領は頭を抱えながら、すでにレーダーでこの異変に気づいているであろう先進各国に緊急電話をかけた。そして、決してマスコミに知られないように口止めをした。
 だが、その緊張は、ほぼ半日で消えることになった。爆弾は人類の誰ひとりいない北極のある地点に落下したからである。そうして、このアメリカのきわどいミスは、一部の関係者をのぞき、誰にも知られることがなくすんだ。
 爆弾は厚い氷をうち砕き、非常に深いところまでつきささり、そこで悪魔の炎をあげて終わった。だが、それが「あるもの」を、長い眠りから呼び覚ますことになった。アメリカ大統領と国防長官は、半日前とは比較にならないほどの予想外の展開を、1週間後に迎えることになる。

 第1章 破壊的な男
 世界中の関心がイラクとの戦争に向けられているというのに、そんなことに無関心な人間も少なくない。ジョージ若杉もそんな人間のひとりだった。38歳になり、露骨に「中年おじさん」扱いされるのを嫌った彼は、いつまでも若々しくあるために、大胆な、というより無謀な計画を立てたのだ。それは、日本から、父と離婚した母親の住むロサンゼルスまで、単独でヨットで渡るというものである。今までそんな冒険などしたこともなく、ヨットの知識さえなかった彼が、インターネットの「出会い系」サイトのビジネスで荒稼ぎした金を注いで、半年のうちに準備し、机の上で冒険の勉強をし、周囲の反対を押し切って、やらかしてしまったのである。
 しかし、周囲の誰もが危惧していた通り、出航後、8日目にして強風に見舞われ、帆の扱い方を間違えたために破損。強風に盗まれてしまった。ヨットには最新式の無線機を設置していたのだが、帆と一緒に説明書も吹き飛ばされ、機械音痴な彼は、マニュアルなくして使うことができず、いくらやってもいうことを聞かないので、癇癪を起こしてハンマーで壊してしまった。その残骸を見たとき、若杉は、今まで自分が出会っては捨ててきたたくさんの女性の残骸のように見えた。「ああ、俺は自分の思うようにいかないと、すぐに相手を壊してしまうような男なんだ」と、ひとりごとをつぶやいた。
 そうして、広い海を漂っていた。幸い、食料と水は風に飛ばされなかったので豊富にあり、気持ちは落ち着いていた。
 だが、三日が過ぎたとき、まったく船らしきものを発見することができず、あらためて海の広さを思うと、確かにこんな小さな船が大海で発見される可能性は、砂浜に落とした指輪を見つけるのと同じくらい困難なのだと悟り、にわかにあせる気持ちが襲ってきた。
 落ち込んでいると、いきなりヨットが大きく揺れるのを感じた。みると、ヨットのすぐ横に、巨大な黒い影が見えた。
「何だ!? 鯨か?」

 第2章 よみがえったノーチラス号
 それは鯨ではなかった。その全貌が海上に現れたとき、若杉は目を丸くさせていた。鋭くとがった先端、そして巨大な光る目の玉、背の部分にはのこぎりの歯のようなギザギザがあった。そして、全長は50メートルもあろうかという真っ黒で冷たい体。
 潜水艦だった。まもなく、上部のハッチが開いたかと思うと、妙に仰々しく時代遅れの潜水服をまとった人間が二人、姿を現し、若杉に手をさしのべた。若杉は、まるで催眠術にかけられたように潜水服のごわごわした手をつかむと、おとなしく無言のまま、潜水艦の中に入っていった。
 艦内は、まるでアンティークそのものだった。近代的なハイテク装置といったものは、まるで見あたらない。中世ヨーロッパの時代に流行したようなデザインが、あちこちに装飾されていた。そして、TシャツとGパン姿の体格のいい男が、若杉を無言のまま、奥にある部屋に案内した。ノックをし、扉をあけて若杉を中に入れると、男はそのまま去っていった。
 広い部屋の真ん中には、小さなパイプオルガンがあった。古典的な絵画が壁に掛けられ、外からは目の玉に見えた巨大な窓から、水平線に沈もうとしている太陽が見えた。
 すると、パイプオルガンの影から、背の高いひとりの男性が姿を現した。
 「ようこそ、ノーチラス号へ」
 白髪に鋭い眼光を放つ紳士。穏やかだが、冷たいトーンをもったバリトンの声が、かすかなエンジン音で響く室内にこだました。アメリカ人の母と日本人の父をもつ若杉にとって、男の話す英語を理解するのに何の問題もなかった。
 「私はネモ艦長。君は助かったんだよ」
 若杉は、子供の頃に読んだ「海底2万マイル」という、ジュール・ベルヌの小説を思い出した。世界から戦争をなくすために、次々に戦艦を沈めていったノーチラス号とネモ艦長の話を。若杉はおそるおそる口を開いた。
 「なるほど。ベルヌの小説をモデルにしたのですね。この潜水艦とあなたは・・・」
 すると、艦長は皮肉っぽい笑みを浮かべて首を横に振った。
 「モデルではない」
 若杉は艦長の言葉の真意がわからずに問い返した。
 「どういう意味ですか?」
 「あれはモデルではない。あのベルヌという男は、本当のことを書いたのだよ。あの男を助けて、この艦に案内したのだ。ちょうど、君と同じようにね」
 若杉は、信じられなかった。いろいろな疑問がいっぺんに頭を襲ってきた。
 「もしあなたのいうことが真実なら、あれはたしか、今から百年くらい前の話ですよ。しかし、どうみてもあなたは、年齢が60歳前後といった感じです。今まで、どうしていたのですか?」
 艦長は、自分たちが北極で新しい兵器を実験中に事故が起こり、氷に閉じこめられたことを話した。そして、その兵器に使われていた特殊成分のガスと氷の低温によって、艦と乗務員は、そのまま冷凍保存されたのだという。ところが、何らかの理由で氷が溶け、少し前に再び蘇生されたというのだ。
 「驚きだよ。目覚めたら、一世紀近くも時間が経過していたんだからね。私たちは、この時代の人類の様子を調査したよ。だが、何も変わっていないじゃないか。あいからわず、人類は戦争をしている」
 ネモ艦長はそういうと、オルガンでバッハのトッカータとフーガを弾いた。最初は静かに、だが、やがて非常に興奮しながら、そして、最後には、まるで血に飢えた狼のような形相で狂ったようにオルガンをかき鳴らした。若杉は、一見すると冷静に見えたこの紳士の奥に、恐ろしい野獣が潜んでいることを知り、背筋が冷たくなるのを覚えた。
 そして、急に演奏が終わると、かっとして後ろを振り返り、血走った目で若杉をにらんだ。そして、ふるえながら叫んだ。
 「今から、イラクへ向かう。愚かな戦争を止めさせるために!」
 そして、オルガンのそばにあったラッパ形の伝令管に向かっていった。
 「作戦開始!」
 警報ブザーが鳴り響き、エンジンの音が大きくなると、鑑はみるみるうちに潜水を始め、まるい窓は真っ暗になった。
 「すまないが、この任務が終わったら、君を適当な場所で解放してあげよう。それまでは、部屋の中でおとなしくしてもらおう」

 第3章 作戦開始
 乗組員から自分の名前や住んでいる場所など、いくつかの質問を受けた後、若杉は部屋に案内された。ビジネスホテルのように、ベッドとトイレ、小さな机が配置されたシンプルな部屋だった。そこに小さな円い窓があった。だが、真っ暗で何も見えなかった。窓の横にボタンがあったので押してみた。すると、外にあるライトが点灯し、そこに海中の様子が照らし出された。見たこともない魚が泳いでいる。若杉はその美しさに思わず感嘆の声をあげ、その幻想的な光景にうっとりとした。
 それにしても、骨董品のような潜水艦。こんな潜水艦ひとつで、どうしてあの巨大な戦争をやめさせられるというのか、若杉は、ネモ艦長の崇高な目的には敬意を表しながらも、あまりにも時代を理解できていないことに、悲しさを覚えた。
 食事が運ばれてきた。魚介類を中心にしたメニューだったが、信じられないほどおいしいものだった。驚きだった。驚きといえば、この鑑の動力であった。かなりの速度で潜行している。今から百年も前に、原子力潜水艦はなかったはずである。潜水艦さえなかったのだから。かといって、バッテリーに電気を蓄えるのでは、これほどの馬力と持久性は発揮できないはずである。
 そんなことを考えてまる一日が過ぎた。そして、乗務員のひとりがやってきて、若杉をネモ艦長の部屋に連れていった。その途中、この鑑の動力は何なのかと尋ねてみた。乗務員の説明によると、海中に存在している未知のエネルギーを吸収し、それを電気エネルギーに変換しているのだという。無尽蔵のエネルギーがただで手に入れられるのである。これがあれば、石油なんて必要ないだろうと思った。だが、悪用されれば大変なことになるだろうということも。
 部屋に入ると、艦長が迎えてくれた。
 「やあ、ミスター・ワカスギ。いよいよ作戦開始だ。君に、歴史的な大イベントを見せてあげようと思ってね」 
 しかし、若杉は、現実を把握していないこの憎めない艦長に、真実を知らせてあげたいと考えて、ためらいがちに話をした。
 「艦長。時代は変わりました。残念ですが、こんなクラシックな潜水艦ひとつで、とうてい戦争を止めさせることなど、できないのですよ」
 いや、現代の最新式の潜水艦でも無理であろう。いかなる兵器を使ったって、あのイラクでの戦争を止めることなど、できないだろうと、若杉は思った。
 すると艦長はニヤリと笑っていった。
 「そうかな? われわれは、君たちのいう科学とは違うパラダイムにおいては、圧倒的に進化しているつもりなのだがね」
 若杉は、艦長の言葉がよく理解できなかった。
 「まあいい。とにかく見ていればいい。これから使う兵器は、北極に閉じこめられる直前に開発されたものだ。この世界で、これ以上の強力な兵器は存在しない」
 しかし若杉は、この世の中で一番強力な兵器は原爆だといった。そして、日本はその原爆を投下された唯一の国であること、原爆がどれほど悲惨なものであるかを、夢中になって訴えた。そのとき、今まで戦争に無関心であったため、貧しい説明しかできなかった自分にはがゆい思いを感じた。しかし、それでも艦長は真っ青な顔つきになった。
 「恐ろしい、恐ろしいことだ。情報はつかんでいたが、ここまで恐ろしいものだとは。人類が、そんなものを生み出したなんて・・・」
 すると、ラッパの伝令管から乗組員の声が聞こえた。
 「艦長、準備ができました」
 艦長は気持ちを取り直すと、毅然とした口調でいった。
 「よし。いよいよ作戦を実行する。点火せよ!」
 オルガンの裏に案内された若杉は、そこにあったモニター画面を見た。ノーチラス号の全体像が映し出されていた。窓を見ると、ひとりの乗務員がカメラのようなものをもって、海中からこちらを撮影していた。
 まもなく、ノーチラス号の後部のハッチが開き、そこから7本のミサイルらしきものが姿を現した。そして、激しいあぶくを立てたかと思うと、ものすごい早さで飛び出していった。
 ネモ艦長は、まるで腹の底から突き上げるような声で、大きく笑った。

 第4章 悲鳴をあげる世界中の人々
 7本のミサイルは、空爆の激しさが増すバグダッド上空に到達すると、分裂して49本のミサイルとなり、至る所に落下して地面に突き刺さった。半分は地中に埋まったが、地上に出たボディの側面から、四方に向けてカメラのレンズのようなものが飛び出し、上部からアンテナのようなものが飛び出してきた。そして、そのまま何の動きもしなかった。
 その後、空爆によって、そのミサイルの近くにいた人が犠牲になったり、また、子供や家族が殺されて悲嘆に暮れる人が、ミサイルのそばを通り過ぎたりした。ミサイルは、そうした人たちの姿を記録していった。
 異変は、その後に起こった。
 夜を迎えて眠りに入った国の人の全員が、非常にリアルで恐ろしい夢を見たのである。空から耳を破るような恐ろしい音が聞こえたかと思うと、爆音と共に自分の身体が宙に舞い、石やガラスの破片が身体中に突き刺さり、地面に叩き付けられる夢だった。その激痛まで夢の中で感じた。片目にガラスが突き刺さり、見えなくなっていた。腹部が避けて腸が飛び出していた。「家族はどこだ?」と叫んだ。夢の中で人々は、自分のもっとも愛する人を捜した。ある人は親であり、ある人は子供あり、ある人は恋人や配偶者だった。娘を愛していた人は、すぐ隣に娘が倒れているのを見た。幸い、顔には傷ひとつなかった。ただ気絶しているような感じだった。ホッとした。自分は死ぬだろうが、娘は助かるだろう。「娘が無事であることが、どんなことよりも一番大切なことなのだ」と思った。そして娘を揺すって起こそうとした。だが、娘は起きなかった。何回ゆすっても、娘はぴくりとも動かなかった。おかしいと思って、上半身を起こして娘を見た。腰から下がなかった。
 「ギャー!」
 という悲鳴を上げ、その悲鳴で、24時間後には、世界中のすべての人々が悪夢から覚めた。
 まもなく、戦争が終結した。

 エピローグ ネモ艦長の言葉
 その後、1週間ほどしてから、若杉は西海岸近くの海に連れていかれ、ゴムボートに乗せられて解放された。すぐに観光船に発見され、無事に保護されて母親の家に到着できた。あれからすぐに戦争が終結されたことを知った彼は、ネモ艦長が、「今の時代の科学パラダイムとは違う」と語った意味が、何となく理解できたような気がした。

                                   終わり

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