憎しみの風






 珍しく、メールではなく携帯に電話をかけた。
「………ああ、良かった。つながらなかったらどうしようかと思った」
『どうした』
「うん。実は、頼みがあって――――――」




 その3日後、クロロはククルー・マウンテンの麓に着いていた。
「ったく、遠いなあ。ここからまだこの山を登れって?」
 飛行船を乗り継ぎ、観光バスでようやくここまで辿り着いた。
 観光バスには「ここに用があるから」と帰ってもらった。
 目の前に巨大に聳え立つ門を見上げる。
「シルバの話では、念が無くても開けられるって話だったけど」
 いかにも重そうな、分厚い門に両手をかける。
 思い切り押してみると、それは確かにあっけなく、全ての門が開いた。
「………これって試しの門とかいうんだろ。いいのかな、こんな簡単に開いて」
 開かなければ開かないで困るくせに、クロロはそんな独り言を言った。
 といっても、もし開かなければシルバでも呼び出してやれ、という楽観的な考えがあったればこそだった。

 とりあえず門をくぐると、うっそうとした森が広がっている。
 その道を、途中でやたら大きな犬に見守られながら、クロロはテクテク歩いて行った。

 いいかげん歩くのに飽きてきた頃、扉も無い低い門と、そこに一人の黒服の男が見えた。
 その男は、クロロの姿を見るなり、手足をピシッと揃え、腰を90度に折り曲げて一礼した。
「お待ち申し上げておりました。我が当主、シルバ様から伺っております。クロロ様ですね?」
「あんた誰?」
「失礼致しました。私は当家の執事で、ゴトーと申します。
 シルバ様の下までご案内いたします。さあ、こちらへ」
 折り曲げていた腰を伸ばすと、ずいぶん長身だという事がわかる。
 ゴトーに促され、それなりに整備された道を、再びクロロは歩き出した。

 やがて、立派な館が見えてきた。
「あれ? シルバの家」
「いえ、あれは執事室です。我々執事の仕事場であり、住まいとなっております」
「執事ってそんなにいるの?」
「見習いもおりますから」
 そんな話をしながら、さらに道を歩いていく。

 現れたのは、巨大な洞窟。
「こちらです」
 ゴトーは中に入っていく。
 びょうびょうと風の音が響く洞窟内をしばらく歩き、かなり奥まったところにある大きな入り口に着いた。
「シルバ様が居られます。………どうぞ」
 最初に会ったときのような一礼をし、ゴトーはクロロに中へ入るよう促した。


 中に入ると、正面にシルバが王者のようにソファの中央に座っていた。
「………電話での話は本当のようだな」
 クロロを見るなり、開口一番そう言った。
「うん。ここにね」
 シルバの前に座りながら、自分の白いシャツの左胸をトントンと指した。
「ヘマしたよ。……で、電話でも言ったけど、しばらく匿って欲しいんだ。俺、これでもA級首だし。念が使えないって言っても、それが変わる訳じゃないからさ」
「それは構わないが」
 シルバは、あの低く重い声で言った。
「除念師は探しているのか」
 もちろん、とクロロは応じた。
「最初、イルミに頼もうと思って電話したら、『ウチは暗殺が仕事であって、便利屋じゃない』って、あっさり断られちゃったよ。だから、別の奴に」
 そうか、とシルバは頷いた。
「匿うといっても、ウチには客間が無くてな。空き部屋を適当に住めるようにした程度の部屋だが」
「だろうね。ここに客がそうそう来るとは思えないな。………別に、どこでもいいよ。安全で、雨風をしのげる場所なら」
 けろっとした表情で言う。
「あとで、ゴトーに案内させる。………それとこの家の住人だが」
「あんたの家族? イルミは確か、今仕事で居ないんだろ」
「おまえの事は、もう全員に伝えてある。適当に顔をあわせたら、話でもするといい。わからないことがあったらゴトーに訊け」
 言って、シルバは巨大な岩が動き出したかのような威圧感と共に立ち上がった。
「でかけるの? 仕事か」
「一週間ほどで戻る」

 そう言い残して、シルバは部屋から去って行った。






 執事室には、立派な応接室がある。
 そこで、クロロはソファに座り、ゴトーを相手に暇つぶしをしていた。
 ゾルディック家に厄介になるようになってから、もう一ヶ月。
 客人の話し相手も執事の仕事の一つと捉えているのだろうか、それともクロロの話し相手をシルバあたりから命じられているのだろうか。ゴトーはふらりと訪れるクロロの相手をいつも嫌がらずにしてくれた。
「もう、この屋敷には慣れましたか」
「うん。――――――」
 片手でゴトーの淹れてくれたコーヒーカップを持ち上げながら、もう片方の手で腰を押さえた。
「どうされました」
「………念が無いって、ほんと不便だな。傷の治りが遅い。もう3日経つのに」
「………………………」
 傷の理由を訊く事をゴトーはしない。
「そういえばさ、」
 クロロはコーヒーを啜りながら言った。
「俺、この家の人の誰かに嫌われてるのかな」
「え? それは、どういう」
 ゴトーは顔を上げる。
「嫌われてるというより、憎しみとか、殺意かな。そんな目で、視られてる時があるんだ」
「それは――――――」
「誰だろう。イルミとかゼノとかとは普通に話するし、次男……名前、なんてったっけ。一度挨拶した程度だし」
 心当たりが無いんだよな、とクロロはもう一度コーヒーを口に含んだ。
 それは、とゴトーは言いかけ、続きを言いよどんだ。
「なに? 心当たりある? 俺、何か悪いことした?」
 しばらく逡巡していたようだったが、やがてゴトーは口を開いた。
「………それは、奥様でしょう」
「おくさま? シルバの奥さんってこと? そういえば、まだ会ってないな。挨拶しないのが悪いのかな?」
 いえ、とゴトーは思わず苦笑した。
「その………そういう事ではなく」
 言いにくそうに言った。
「あなたと、シルバ様のご関係が、許せなくいらっしゃるのでしょう」
「え? 俺とシルバ?」
 よくわからないな、とクロロは顔をしかめた。
「ようするに、俺がシルバの口利きでここに厄介になってるのが嫌なのかな? けど、なんでだろ」
「………そうですね」
 ゴトーはもう一度苦笑しながら、少し考え、例えばですよ、と口を開いた。
「あなたが女性だとしたら、あなたとシルバ様のご関係は、どうなります」
「ええ? 俺が女だったら? ………………」
 クロロはさらに顔をしかめ、うーむ、と唸った。
 しばらくして、ようやく何かを思いついたように瞳を瞬かせた。
「もしかして、俺とシルバが寝てるのが気に食わないってことか」
「そうはっきりおっしゃられてしまいますと」
 ゴトーは困ったような笑顔を見せた。
「けど、なんでそれが気に食わないんだろ。わからないな」
 だいたい、ともう一度顔をしかめながらクロロはカップをソーサーに戻した。
「シルバと寝たあと、俺、大変なんだぞ。丸一日動けないし、5日は痛みが引かないし。それで非難されちゃたまらないな」
「はあ………しかし、それとこれとは」
 どうも、この少年のような青年には、妻の立場とか女性の心の機微が理解できないらしい。
「奥様にとっては、あなたは、まあ言葉は悪いですが、シルバ様の愛人のように映っておいでなのでは」
「あいじんー?!」
 そんな俗な言葉を、クロロは素っ頓狂な声で言った。
「本で読んだ事ある。それってあれだろ、マンションとか買ってもらって、月々のお手当てとかもらって、ってやつだろ。俺、そんなのやってもらってないんだけど」
「それは………あくまで、奥様にとっては、ということで」
「そりゃ、今は確かに世話になってるけど。けど、この間、匿ってもらってる礼金みたいなもの払うって言ったら、シルバがそんなものはいらん、って。
 それに、こうなるずっと前からシルバと寝てるけど、そんな経験、俺、無いぞ。俺は愛人じゃない」
 ゴトーはさらにもう一度苦笑しながら言った。
「そうですね………もし、今ではなく以前にですよ。シルバ様があなたにおカネを渡そうとされたら、あなたは受け取られましたか?」
「そんなわけないだろ。俺、別に金には困ってない」
「いえ、そういう意味ではなく」
 ゴトーは自分のコーヒーのカップを手に取った。
「単刀直入に私も申し上げてしまいますが、………シルバ様があなたと寝…ベッドを共にされることの見返りに、何かを渡そう、しようとされたら、どうされます」
「………。突っ返す」
 クロロは憮然と言った。
「俺、何か見返りが欲しくてシルバと寝てるわけじゃない」
「そうでしょうね」
 ゴトーはコーヒーを一口飲んだ。
「ですから、あなたがご自分は愛人ではない、と主張されるお気持ちもわかります。
 言葉を変えましょうか。奥様は、シルバ様のご寵愛を盗まれたと思っていらっしゃるのでは」
「寵愛?」
 クロロは怪訝そうな表情をする。
「まあ、寵愛というか、特別な存在というか」
「俺って、シルバに寵愛されちゃってるわけ? ……それはないだろ」
「しかし、こうやってシルバ様の思し召しで、匿われていらっしゃる」
「それは俺がゾルディック家のお得意さんだからだろ」
 その言葉を受けて、以前、とゴトーは言った。
「ゼノ様の古いお知り合いの方から、やはり同じように、ここに滞在させて欲しいと――――ようするに、匿って欲しいとのお申し出があった事があります」
「………へえ。俺が初めてじゃないんだ」
「はい。しかし、ゼノ様も、当時すでに当主でいられたシルバ様もあっさりお断りになられた。そのような義理は無い、と。
 その方は、やはり当時とても良い、所謂お得意さまでいられたにもかかわらずです」
「――――――――――――」
 クロロはじっとゴトーの顔を見た。
「その方は、それから程なくして命を落とされたとお聞きしています。そう情報が入った時も、シルバ様は、こう、それがどうした、と。そのような態度でいらっしゃいました。
 そんな過去があるにもかかわらず、あなただけはシルバ様は匿われていらっしゃる。しかも、シルバ様とベッドを共にもされている。
 ………奥様が、シルバ様があなたに特別な感情を抱いてらっしゃるとお思いになられても仕方ないでしょう」
「………………………」
 クロロは視線を自分のコーヒーカップに落とした。
「特別ってのがよくわかんないけど。ようするに、俺はシルバの奥さんに憎まれても仕方ないってことか?」
「まあ、………はっきり申し上げてしまえば」
 じゃあ、とクロロは言った。
「ここも安全じゃないのかな。俺、シルバの奥さんに殺されるかもしれない?」
 ゴトーは笑った。
「それは有り得ません」
「なんで」
「あなたは、まがりなりにも、シルバ様のお客人でいらっしゃいますから。その方を害するようなことをすれば、奥様ご自身に災いが降りかかります。奥様はとても聡明な方でいらっしゃいますから、それはよくわかっていらっしゃるでしょう」
 ふうん、とクロロはぼんやりと言った。
「俺、シルバが匿ってくれてるのは、俺がこの家にとってお得意さんだからだと思ってたんだけど。違うのか……。
 ………特別な感情なんて、あいつに限って有り得ないと思うんだけどな。それなら、単に気紛れだと思うんだけど」
「そう思われますか。……私には、それこそシルバ様に限って『気紛れ』などということは有り得ないと思うのですが。――――たかが一執事がこんな事を申し上げるのも、僭越ではございますが」
 そうかな、とクロロは独り言のように言った。
「なんで俺の事匿ってくれたのかな。………シルバ」
 つぶやきの様に言い、クロロはコーヒーカップを両手に持った。
 ゴトーはそれには笑って応えなかった。












 この洞窟内はいつも風の音が響いている。
 うとうとと眠りかけていたクロロは、ふと瞳を開けた。
 訪問者。
 クロロの個室を訪れるのは一人しか居ない。
「傷の具合はどうだ」
 訪れると、一応シルバはそう訊く。
「ああ………もう大丈夫」
 キスをして、シルバの指が自分の肌に触れるのを感じながら、クロロは訊いた。
「あのさ。あんた、どうして俺の事匿ってくれてるわけ? まえにお得意さんを追い返した事あるんだろ」
「ゴトーに聞いたのか」
 手を止めずに言う。
 そう、とクロロは応えた。
 シルバの手がクロロの服をたくし上げ、背に回る。
「………さあな」
「……………………」
「俺にも判らん」
 そう言うと思ったよ、とクロロはくすっと笑った。
「おまえこそ、なぜ俺を頼ってきた」
 言われて、そうだな、とクロロは考えた。
「おまえなら、他にも身を寄せるところはあっただろう」
「………そうだね。あったと思う。 けど、あの時はあんたの顔しか思い浮かばなかった」
 クロロもシルバの背に両手をまわした。
「なんでかな。わかんないけど」
「………………そうか」
「うん」
 そのあとは、二人ともほとんど無言で行為を続けた。


 轟々と洞窟内を風の音が猛り狂ったように鳴っている。

 この洞窟内の何処かに居る筈の、シルバの奥さんの怒りの唸り声みたいだな、とクロロは思った。








  END




 
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 後記:

 本来、念を封じられたクロロには「ヒソクロ」がやっぱり一番しっくり来るのかなあ、とは思ったりもしましたが、
 たまには「シルクロ」バージョンもいいだろう、と思って、今回クロロにはシルバを頼って行ってもらいました。
 で、この二人がシルバの実家で一緒に暮らすとなると、問題は奥様で。
 心穏やかでは無いだろうと。
 私はクロロはシルバの愛人だと思っとりますので(笑)
 私の私的な公式設定です(私的な公式設定がいっぱいあるなあ…)
 けど、当人(クロロ)には「俺は違う!」と主張してみてもらいました。
 確かに、月々のお手当てなんてこの二人には似合わないですしね。
 なんていうか、時々気紛れに逢って、体の関係を持って。心はあと、みたいな。
 お互いに何の見返りも無し。
 となると、本来の「愛人」とはちょっと違うかも知れませんね。
 「愛人」というと、やっぱり受け(クロロ)の方が、日々の生活を相手に面倒見てもらう、というような、
 いわゆる「見返り」が不可欠かな、と。
 シルバとクロロの間には、見返りは一切無しと思ってるんで。
 けど、恋人とも違いますし…。シルバに奥さんいるから、というんでなく、恋人というと、
 やはり「心(恋愛感情)が先」というイメージがありますんで。
 シルバとクロロは「愛人未満」というのが今のところ、一番しっくりくるかなあ、なんて思う今日この頃です。