まもりたいもの
雲ひとつ無い、とても良い天気。
クロロは山を少し降り、うっそうとした森の中にいた。
木々の葉の間からの木漏れ日の中、屋敷から持ち出した本を読んだり、寝転がったり。
巨大な犬が、距離をとった場所でやはりくつろぎながらクロロの様子を観察している。
それも気にせず、のんびりと暇を潰していた。
仰向けに寝転がり、胸の上に読みかけの本を乗せてうとうとしていた時、離れたところにいた犬がふっと立ち上がる。
同時に、「ギイィオオオン」と重い扉が開く音が、遠くから聞こえてきた。
瞳を開け、本を手にとって上半身を起こしていると、やがて見事な銀髪の男が姿を現した。
「仕事帰り? ご苦労さん」
「………こんなところで何をしている」
「日向ぼっこ」
「………………………」
相変わらずの鋭い眼に、クロロは笑顔を見せた。
「そんな難しい顔してないでさ。あんたもたまにはのんびりしてみたら? こんないい天気だし、気持ちいいよ」
しばらくシルバは無言でクロロの黒い瞳を見下ろしていたが、つきあってやろう、という気にでもなったのか、やがてクロロの隣に腰を下ろした。
そのまま、二人とも無言でそよ風を受けていた。
木漏れ日がきらきらと光る。
どれくらい時間が経ったかわからなくなってきた頃、クロロがふと口を開いた。
「そういえば、のど渇いたな。屋敷に戻ってコーヒーでももらってくるかな。……あんたもいる?」
ちらりとクロロを見る。
「……携帯を持っているんだろう。使用人に持ってこさせればいい」
「でも、悪いよ。皆いつも忙しそうにしてるのに」
普段、執事室に入り浸ってゴトーに長話の話し相手をさせているくせに、変なところで気を使うような事を言う。
シルバは無言で懐から携帯を取り出し、「コーヒーを二つ持ってこい。………そうだ」それだけ言って電話を切った。
「シルバ、人使い荒いんじゃない? もう嫌だーって辞められても知らないよ」
からかうように言うクロロの言葉を無視して、シルバは携帯をしまった。
そしてまた無言になり、ゆらゆらと揺れる木漏れ日を眺める。
やがて、ゴトーが現れた。
「失礼致します」
相変わらず丁寧に挨拶し、運んできたワゴンに乗せたコーヒーカップを二つ、それぞれを二人に手渡した。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、シルバ様。奥様からご伝言で、御用がお有りになるということで、お屋敷にお戻りを、と」
そう言われてシルバは再びちらりとクロロを見、ゴトーに「相手をしてやれ」と言い残して、結局コーヒーには手をつけずに立ち上がり、ワゴンにカップを置いて屋敷に向かうため道に戻って行った。
直立不動のまま控えているゴトーに、
「座ったら? ここ」
自分の隣の芝生をポンポンと叩いた。
は、と言われたとおり腰を下ろす。
「気持ちいいだろ、ここ。ちょうど木漏れ日が、いい具合にあたるんだ。きらきらして、すごく綺麗なんだよ。風も気持ちいいし」
「そうですね」
そう短く会話したのちしばらく黙っていたが、やがてぽつんとクロロは言った。
「………今の『奥様』の用事ってさ。俺と居るなってことかな」
「………………………」
ゴトーは困ったような表情で応えない。
「そんなに俺のこと嫌なのかなあ。 こないださ、初めてその『奥様』を見かけたんだよ。挨拶くらいしようかと思ったら、声かける前にぷいっと向こうむいて行っちゃった」
「それは――――――」
「仕方ないって言うんだろ。けどな、ああ あからさまに け嫌いされるとな。やっぱ気になっちゃって」
さらに困ったような表情をゴトーは見せた。
「本来なら、嫌われようが憎まれようが殺意もたれようが、どうでもいいんだけどさ。けど、俺、当分ここに厄介になるしかないんだし………。それとも、俺、出てった方がいいのかな」
「その必要はないんじゃない?」
突然、後ろからイルミの声が聞こえた。
「これは、イルミ様」
ゴトーが慌てて立ち上がろうとするのを、イルミは、いいよそのままで、と制した。
「お袋に気を使って、あんたが出てくなんて事まですることは無いと思うな」
ワゴンの上に乗ったままのシルバのコーヒーカップを手に取り、イルミは側の木にもたれかかった。
「放っといたらいいんだよ。あんたは親父が認めた『客人』なんだからさ」
言って、イルミはコーヒーを口に運ぶ。クロロも同じようにコーヒーを飲んだ。
「大体、本妻と愛人が上手くやろうなんてのが所詮無理なんだよ」
「………俺は愛人じゃない」
むっとした顔で言う。
「それはあんたの理屈だろ。お袋にしてみたら充分愛人だよ」
「――――――――――――」
ずけずけと言うイルミの言葉に、クロロはやけくそのようにコーヒーをごくりと飲んだ。
「しかも、その愛人を自宅に住まわせてるわけだから。そりゃあ、お袋がピリピリするのは仕方ないよ」
「………じゃあ、シルバと寝るのを止めればいいのかな」
クロロが考えながら言うと、イルミはあっさりと応えた。
「無駄だね。いまさらだよ」
木漏れ日に目を細めながら、イルミは再びカップを口に運ぶ。
「とにかく、お袋の事は放っとくんだね。別に実害があるわけじゃないんだろ。当然」
「まあ、そうだけど」
「それよりさ」
イルミは面白そうに言った。
「あんたが、人にどう思われてるか、なんて事を気遣うなんてね。そっちの方が意外だよ」
「………………そうだよな」
「念が使えなくてさ。気弱になってるんじゃない? それって幻影旅団の団長としてマズイんじゃないの?」
クロロは、中の液体が半分になったカップを、両手で玩んだ。
とりあえずお袋のことは気にしない事だね、と言い残し、イルミはカップをワゴン上のソーサーに戻して、じゃあね、と去って行った。
残されたクロロとゴトーの間に沈黙が流れる。
しばらく経って、俺ってさ、と口を開いたのはやはりクロロの方だった。
「今、この家…シルバに、無償で守られてるわけだろ。
今まで生きてきて、そんな経験まったく無いんだ。今まで、俺を守るとか、何かしてくれる奴には、必ず報酬を支払ってきたから。それは身体だったり、カネだったり、相手と場合によっていろいろだけど」
「そうなのですか? ………しかし、あなたがあの幻影旅団の団長でいらっしゃる事は存じ上げております。
部下の方はリーダーであるあなたをお守りにはならないのですか?」
部下ってわけじゃないんだけど、とクロロは笑った。
「仲間は確かに、俺を守るよ。普段、必ず二人は俺の側についてるし。けどそれは、頭である俺があっさり死んだら、あいつらにとってデメリットだからだよ。『頭』がそうそうしょっちゅう代わったら困るだろ」
クロロのその言葉を聞いて、ゴトーは特にコメントはしなかったが、内心、そうだろうか、と思った。
彼の言う仲間は、単に『頭』を守るという意味だけで守っている訳ではないのではないか。
純粋に、頭ではなく、『クロロ』を護っているのではないか――――――。
そう思わせるものが、そうしたいと思わせるものが、クロロにはある。ゴトーはそう思った。
「気弱になってる………か。痛いとこつくな、イルミの奴」
クロロは独り言のように言った。
「………生まれて初めて無償で守ってもらって、俺、安心しきっちゃってたのかな」
「………………」
「シルバの奥さんの事は別にしても、蜘蛛の頭としてそれって確かにヤバイよな。
やっぱり、ここを出た方が――――――」
「………クロロ様」
改まったような言い方に、クロロは、何? とゴトーを振り返った。
「それはそれで、よろしいのではないでしょうか」
「え?」
「無償で守られていることが、それほど悪い事とは私は思いません。
むしろ、………それこそ今までの人生でそんな経験は無かったとおっしゃるなら、かえってたまには安心しきっていられる日々を送られるのも、よろしいのではないですか」
木漏れ日の中、優しい笑みを浮かべながら言うゴトーに、そうかな、とクロロは言った。
「そうです。 あなたがここ滞在しておられる原因は、あなたの身に起こったトラブルによるものです。
そういう点では、早くトラブルが解決される事を私も願っておりますが、しかし、そのトラブルのおかげで、あなたが心底安心できる、平穏な日々を送っていただけているという意味では、正直、トラブルが解決する日は出来るだけ先の方が良いと――――――そう今、思ってしまいました」
「………………………――――――」
「それに、奥様の件に関しましては、イルミ様のおっしゃるとおり、お気になさらないのが一番かと思いますよ」
クロロはゴトーの目をじっと見た。
ふっ、と笑う。
「あんた、優しいんだな」
「恐縮致します。出過ぎた事を申しまして、失礼致しました」
クロロは立て膝をし、その膝に肘を乗せて頬杖をついた。
「あんたにそんな風に言われると、ここに居続けるのもそう悪くない気がしてきたな。
………簡単に考えが揺れるなんて、俺、本当に気が緩んでる証拠だな」
木漏れ日がきらきらと光る。
さわさわと、風に木々が揺れている。
黙って座っていたゴトーが、急に立ち上がって一礼した。
「シルバ様」
「………まだこんなところに居たのか」
すっかり冷えたコーヒーを飲みながら、クロロも後ろを振り返った。
「なんだ、シルバか。どうしたの。オクサマの御用は済んだわけ?」
「風が冷たい。もう屋敷に戻れ」
「これは………気がつきませんでした。申し訳ありません」
ゴトーはクロロからまだ少し中身の残っているカップを受け取り、「お先に失礼させていただきます」と挨拶をしてワゴンを運びながら屋敷に向かって行った。
「……まだ早いんじゃない? きっと、ここからだと月も綺麗に見えると思うんだけどな」
空を見上げると、あんなに澄みきった青だったのが、わずかに夜の色を帯びてきている。
「いい加減にしろ。また風邪をひくぞ」
そう言われ、クロロはしぶしぶと腰を上げた。
シルバは先に歩いて草むらから道に出、クロロが追いついて来るのを待った。
そして、またクロロの少し先を歩く。
「………なんだか、マジで守られてるって感じだな」
ぽそっと言うのを、シルバは、なんだ、と振り返る。
「なんでもないよ」
クロロは言って、早足でシルバの横に追いつき、シルバの鍛え上げられた腕を取った。
「………なんだ」
別に、と腕を持ったまま横を歩く。シルバも特に振り払うようなことはせず、そのまま道なりに屋敷を目指した。
「あのさ。あんた、今夜何か用事ある?」
「……なぜ」
「今夜、俺かまわないよ」
「………………………」
「もう痛みもほとんど引いたしさ。―――そういう気分なんだよな」
「………」
シルバは否定も肯定もせず、歩き続けた。
クロロもそれ以降は黙って、シルバの腕を持って歩いた。
空は、ますます夜の闇の色が濃くなっていく。
薄く、ごく淡く。
月がぼんやりと浮かんでいた。
END
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後記:
ゴトーがすごくいい人ですね(笑)
なんというか、クロロのことが気になって仕方ない感じになってます(下心とかいう意味でなく)。
そのうち、クロロとシルバの奥様の対面を書いてみたい気もしますが、
どーなるのか想像がつかん、という気もします。