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1999.3.15(月)
第四章:感覚
稽古二日目。
開始より30分間、各個人で発声などの調整を取る。
2:00~
各自チューニングを取り稽古へ。
ザ・プレイヤーズ・ハウスを知る上で欠く事の出来ない用語がある。それが“チューニング”だ。
役者は自分の身体や心を楽器のように考える。セッションに入る前に、奏者は自らの楽器のチューニングをする。役者も同じである。意識的に、緊張とリラックスを繰り返し、身体と心の余分な緊張を取っていくのである。シーンに挑む前にリラックスを心掛けるのは、メソード演技の基本でもあるのだ。
稽古を見ていた安田(隆範・舞台監督)のダメ出し。
金子(マイク)…キャラは出来ているが元気が足りない。
山田(ライト)…役を雰囲気でやろうとして内面が無い。もっと建設的 なアプローチを。
綾(インタビュアー)…台詞の言い方が丁寧すぎ。もっとはみだして! いつも笑っている生理がベースにあるはず。台 詞の後に穴が開いてしまっている。
前田(ジェーン)…役に対しての理解不足?泣きが入っているがそれは ダメ。もっと毅然とした人物像を。
トシ(マルス)…始めの爆撃のシーンを演っているが感覚が薄い。恐怖 感の無さなどが、常に躊躇のある行動に出ている。
2:45~
海音(内田)さん到着。
「ほぼ全員台詞が台詞になっている。もっともっとラフに!!真面目ぶった芝居はやめようぜ。全員何か勘違いしている。」
印象的なサジェストとして、綾に出したこんな言葉がある。
「キャロル(インタビュアー)は、笑う生理をもっと不真面目にとらえ楽しむこと。笑いに対しての構え(役者自信の)は不要。世の中で言う真面目さなんてここで言えば不真面目さだ。」
ここで言うニュアンス、お分かりだろうか?
4:10~
変更があるかも知れないが、一応演出をつけていく方向で、マルスとマリアの最初のシーンをやっていく。
『ムーンライトリハーサル』冒頭のト書き部分。
遠くからだんだん近付いて来る爆音。中央にスポット。恐怖の表情で 正面を向くマルスとマリア。爆発の音が続く。その度に二人は敏感に反 応する。爆発音はさらに激しさを増し、二人はピークに達する。マリア の緊張は異常なほどで、激しく体を震わし、ほとんどパニック状態。や がて爆発音は遠ざかる。しかし、マリアの体の震えは止まらない。マル スは何とか平静を取り戻す。
「トシ、エネルギーが低すぎ。心に何も無い。本気さが足りない。感覚を使おうとすると、(変に)行動してしまう。心を使って爆撃の音をとらえる。命の危機感を感じていく。」
最初のダメ出し。これから度々登場する言葉として、“エネルギー”、“心に何もない”、“本気さ”、“感覚”などが見られる。我々の演技を考えていく上での重要な要素なので、そのつど解説が必要かと思われる。今回は“感覚”について少しお話をしよう。
感覚とは“五感”のことである。そして“五感”は“体の感覚”と呼んでいる。
もう一つ“感情”と言う感覚がある。これを“心の感覚”と呼ぶ。 先ほど、「役者は自らの身体や心を楽器に例える」と書いた。“感覚”とは、さながら楽器で言う“音階”となるのではないかと思う。日常で何気なく使っている“感覚”を、役者はシーンで再現しなくてはならない。逆を言えば「シーンを何気ない日常」にしていかなければならないのだ。
「このシーンを想像にしない。今、実際に爆撃されること。想像してしまうから嘘の行動が生まれる。手が震えたり、肩が震えたりしている。そんな訳は無い。油断できない状況の時にそうはならないはず。」
「マルスはパニックになってはいけないが、マリアは恐怖でパニックになっていく。二人とも全然命の危機感を感じていない。一秒後に死ぬかも知れないと言う恐怖が、二人共に薄い。マリア、死に対する恐怖なんて一番の恐怖だから、どんなにパニックになってもいいはず。」
台本冒頭のたった5行のト書きのシーン。
たった5行といっても、観客にとっては物語の大事な導入部。マルスとマリアにとってはリアルな日常の、永遠とも思われる恐怖の瞬間なのである。おろそかには決して出来ない。
結局この稽古を今日は最後まで(PM 10:00まで)続けた。完成はしなかった。
「このシーンに一ヶ月と掛けていられない。掛かったらこの公演は失敗だ。稽古場以外でも何か自分で見つけて来ないとダメ。自分の嘘、変に見られている姿、分かっていないとダメ。このシーンを本当にしないと意味がない。今のレベルじゃ注意のしようもない。」
「みんなの今の稽古の取り組みは、自分の範囲から出ていない。もっと自分からはみ出していかなければ。エネルギーが小さすぎる。オレのサジェストのやり方で、オレが追い詰めていくと畏縮していく方向に行ってしまう。だが、そこで畏縮してしまうのは所詮その程度のものと言うこと。みんなの側で変わっていってくれないとダメだ。(オレの)やり方を変えていくつもりはない。」
「あとみんな真面目すぎ!!面白くない。特に山田、綾、前田は真面目すぎて感覚的でない。演技に遊びの発想を持つ。真面目でつまらないと、感情も出てこないだろ。それと表現で、感覚や感情の通りの表現をしようとしている。それは逆だ。日常は内面を外面で隠すはず。メソードは(内面を全て出さず)隠して表現することだ。」
真面目は役者にとってどんな作用をもたらすのか?
“過ぎたるは及ばざるがごとし”と言うことではない。内田さんがよく使う表現。“役者は真面目に不真面目”でなくてはいけないのだ。
これから起るであろう問題を抱え、今日は稽古をとった(終えた)。
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