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1999.3.19(金)PM1:00~
稽古記録にめずらしく天気が書いてあった。今日は雨だった。
いつものように発声から調整。休憩後、各自チューニングに入る。
稽古に入る前、役者は各自の役の調整をとる。与えられている台本の台詞や場面の裏側に隠された、その役の人物が歩んだ(であろう)人生を掘り下げていくのだ。自ら演じる役の人生を見つめ、その人物像を掴み、ディテールを探る。人物の話し方、物の考え方、生活慣習、癖までそこから掘り下げていく。これは主役に限らず、どんな端役においても同じ作業を行う。どちらも、演じる役者にとっては一人の人間であるからだ。
これらの検証作業は、稽古以外の時間を使って役者が見つけ、実際に稽古場でシーンに(役の人物に)集中していく際の手掛かりとする。体の調整をとる“チューニング”の後にこの集中を行うので、我々はこの作業を“後(あと)チューニング”と呼んでいる。
2:00~
各自、自らが掘り下げた役に取り組んでいく。
しかし、まだ役の生理を掴むには遠く、生きた演技にはなっていない。稽古序盤という事もあるが、自ら厳しく取り組んでいかなければ、一向に解決はしないのである。
演技を見ていた安田(舞台監督)のダメ出し
「中島(エスナ/ロブ)が山田(ライト)に対して、声の抑揚から来る生理など、フォームから内面(役の心)へのアプローチをサジェストしている。その他、サポートに回っている役者達も、それぞれのダメ出しをしている。何度か再演を行っている“ムーンライト”だからと言う事もあるが、これは良い方向だと思う。しかし、役者のエネルギーは低い。」
進藤(カメラマン)
…カメラを使ってのフォームに慣れようとしているが、動作が緩慢 でプロっぽくない。もっとキビキビした素早い生理を。
山田(ライト)
…台詞のトーンが一定。内面に何もない為、首を振ってしまうなど の無駄な動き(山田の癖)が出ている。
綾(インタビュアー)
…台詞の言い方が不自然。笑いの生理を作ろうとトライしている が、何かが足りない。エネルギーの上げ方の方向性が違うので は?何か悲愴感さえ感じてしまうのだが。もっとポジティブに。
役者が演技に取り組む上で重要な要素がある。
役に対する理解力や、シーンに挑む集中力も重要だが、全ての大前提となる要素。目には見えないけど確実に感じる事の出来る力。そして、今一番この稽古場に足りない何か・・・。
第五章:エネルギー
海音(内田)さんのサジェスト。
「この稽古場のエネルギーが低すぎる。」
この稽古記録に度々出て来る用語で、プレイヤーズ・ハウスでは馴染みの(頭を悩ます)表現。エネルギー。目には見えないが、確実に存在する力。何をやるにおいても、エネルギーは必要不可欠であると思う。
ここで使われるエネルギーとは、役者のシーンに挑む(ただ挑めば良いという訳ではないが)意気込みとでも表せば良いのだろうか?要するに、シーンへののめり込み方が足りないと言う事である。
「オレにサジェストを受けるまで気が付かないのはおかしい。オレが指摘しなければそこで納得しているのか?みんな甘え過ぎだ。」
「特にマルス。もっと自分で良いシーンにして持って来い。自分で少しは考えろ。」
マルスの相変わらずの問題として、どうしても感覚を「反応」としてではなく「段取り」もしくは「想像」でやってしまう傾向にあること。特にオープニングの爆撃のシーンは、一秒後には“死”が迫っている中での、“緊張”や“恐怖”の感覚が必要であり、この感覚の有る無いは、見た目でハッキリと分かってしまうのだ。
「とにかくこのままではこの芝居出来ない。今までの公演の中で、一番ヤバい状態だ。オレは今、恐くて眠れないよ。せめてみんなが、本気で高いエネルギーをこの稽古場に持って来なければ間に合わない。」
“この役にどう取り組んで行けば良いのか?”
それこそ初めの内は雲を掴むような作業に役者は戸惑いを憶える。結果、それはシーンに対する不安となり、不安は集中を妨げ、シーンは死んでしまう。
それならばと、本来ならここで、役者は無我夢中になってシーンに挑む姿勢が必要なのであるが、逆に萎えてしまう(エネルギーが低くなる)のは、甘え以外の何ものでも無い。
5:00から1時間休憩。仕切り直す。
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