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PM7:00
一旦休憩を取り、再開。海音さんの話。
「トシは、マルスが何故“戦場でピアノを弾く”か分るか? トシは、実際にそれをしてみろ、と言っても出来ないだろうし、その出来ない訳を“恐いから”と答えるかもしれない。だが、それは違う。トシが戦場でピアノを弾かないのは、戦場でピアノを弾く衝動が起きないからだ。“恐い”のと、“衝動が起らない”では大きな違いだ。そこの違いを分かっていないし、考えてもいない。」
「トシは、ストーリーとして状況を理解しようとして、衝動で理解しようとしてない。それは、山田や前田にも言える事。今のようなテンションでは見つけられない。みんなエネルギーが小さすぎる。みんなはエネルギーを強めようとすると、身体の緊張などになってしまう。エネルギーには素がある。それが掴めれば、強めようと思わなくっても強まっていく。」
役者がシーンの状況に入り込めない原因は、一つは台本の解釈に拠ると思う。場面の状況を理解していない、役の人物を理解していない、台本の求めている意味を理解していないなど、挙げればきりがない。しかし、戦場でピアノを弾けない自分と言うのは、解釈ではない。自分の壁だ。
第八章:壁
おそらく、多くの役者がぶち当たるであろう問題、“壁”。今の自分にとっての限界の事である。これは役者に限らず、その他、人生においても同じ事が言えるのではないか? その壁に挑むか、逃げるか、避けるか。役者の選ぶ道は一つ。挑んで、それを越える。それだけである。
「トシも山田も今が限界なのであろう。上げようもない、といったところか。特に問題は、トシと前田。前田は自分の壁が見えているか? その壁は、簡単に越えられるものではない。みんな壁を超えるには、自分に、今以上に厳しく挑まなくては出来ない。下手でもいい、エネルギーを強く持ってぶち当たってほしい。」
役者の壁は、その個人の慣習による問題が大きい。すなわち、個人が歩んで来た人生に原因があるのだ。故に根が深く、容易に問題の解決に至らない場合が多い。自分を見つめ直す勇気と共に、立ち向かう勇気も必要である。しかし、一番困難を極めるのが、自分の生き方を否定していく勇気ではないか、と思う。
PM7:50~
再び稽古を再開する。
さらに一時間半が過ぎ、安田の感想。
「綾の台詞の言い方が、以前のセリフ口調に戻っている。エネルギーも小さくなって来た。今、綾に起っている“一度良くなったものを再現出来ない”という現象は、演技をやっているとよく見られる傾向である。掴んだと思ったものが掴めていない。これは、自分に厳しく挑んでいない為に起るのだろうか? ここが演技を難しくしている一つだと思う。普通、技術は蓄積され、固定するものだ。演技は技術ではない、と言う事もあるが、とにかく問題は演ずる側にあると言う事なのだろう。」
「今、稽古場では放っておくと、台詞も言わずにただ止まっている人がいるが、何をしているのだろう? 俺がそうしていた時は、シーンがうまくいかなくてこの稽古場から逃げ出したい時や、時間だけが過ぎるように願っていた時にそうしていたが・・・。どうしたらモノを作っていく雰囲気になっていけるのだ!? しかし進藤、お前は飽きると言う事を知らないのか! 八時間ずっとカメラのシャッターを切り続けている・・・。」
PM9:00
マルスとマリアの、あまりの挑み方の甘さに稽古ストップ。
「今日中に自分でやる!!」
途中、サジェストを挟み込みながら再度集中していくがダメ。
PM9:25
稽古終了。
「何故自分に負けていく事を簡単に許す? この次の稽古でも同じような事を繰り返していたら、この公演自体のキャンセルも考えなくてはならない。」
台詞も入らない五行のト書きシーン。我々はここで足踏みをしている。決して簡単なシーンではない。ただこの先、これ以上の困難が予想されるシーンは幾らでもある。シーンに妥協は許されない・・・しかし時間もない。我々は三年後に控えた公演の稽古をしている訳ではないのだ。
先の見えない迷路を手探りで進んで行く。ただ一つ、出口がある事を願いながら・・・・・・。
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