ICONOCLASM

 



 壬生が眞崎からの呼び出しを受けたのは、深夜になってからのことだった。
 ふだんはそういう時間に連絡することなどない彼だったから、驚かなかった
といえば嘘になる。しかも、呼び出された場所が場所である。彼の家に近いと
いう理由は納得がいくが、高校生がうろつくような場所でないのは確かだ。

「…待たせたか?」
 黒いコート姿でやってきた眞崎は、決まりわるそうに手をあげた。
「いや。僕も仕事が長引いていたからね。こっちこそ遅れるんじゃないかと、
ひやひやものだったよ」
「すまんな。仕事≠ネのに呼び出して」
「気にしなくていい。もともとオフだったのに入った仕事だったし」
 お互いに、表向きに出来ない仕事≠持つ者同士とあって、このあたりは
二人とも慣れたものである。
「それで…何かあったのかい?」
 新宿・歌舞伎町に呼び出して、まさか酒でも飲むというわけではないだろう。
それなら他に「適任」がいるはずだ。
「お前に見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの?」
「ま、ちょっときてくれ」
 そう言われて、壬生は眞崎の横に並んで歩きだす。
「村雨あたりでもいいんだがな、場所が場所だから…」
 そういうのも無理はない。歌舞伎町は彼の本拠地ともいえる場所である。
「昨夜、知り合いのところに妙な奴が押しかけてきてな」
「妙な奴?」
「金髪の、痩せぎすの男が、包丁持ってやってきた。どうみても酒が入ってる
ようだったんでな。とりあえずその場は追い返したんだが…」
「単なる酔っ払いじゃないのかい?」
「…だといいんだが」
 眞崎の勘なのだろう。
 勘というのは、今までの経験から導き出される推測である。場馴れしている
眞崎が、何か思うところがあるというなら、何かしらの根拠があるのだろう。
「人がいい気分になっていたってのに、いきなり水をさされたからな。二三発、
蹴り入れといたが」
「…手加減したんだろうね」
「あたりまえだ。俺だって前科者になる気はない」
「……」
 彼なら、前科も罪状も、実に巧妙にもみ消しそうな気がする。
 水商売の女が、こちらを見ていた。黒い服を着込んだ、長身の若者が二人。
顔も悪くないとあれば、いい相手だとでも思ったのだろうか。
「こっちだ」
 眞崎が指さしたのは、歌舞伎町といっても裏手の方になる、細い路地に入っ
たところだった。
「…また飲んでいたのかい」
 指さす先は、どうみてもスナックである。
「前よりはかなり減ったぞ」
 彼の中に、『未成年は飲酒してはならない』という項目はないようだった。
「高嶺…いるか?」
 眞崎が扉を開けた瞬間、異様な臭いがただよってきた。
 思わず眞崎の方を見やる。眞崎はといえば、無言で店内をにらみつけていた。
 狭い店内に、所狭しと酒瓶が散らばっている。大半が割れて、無残に中身がこぼ
れているのが、この異臭の原因だろう。
「皐哉…?」
「どういうことだ」
 薄暗い店の中を、ずかずかと歩いていく。見事なありさまである。
 店の女らしき、三十台の女が一人、客席で倒れていた。それを抱き起こし、
眞崎は意識を確認している。
「…皐君?」
「ああ」
「なんか、変な奴らが来たの…それでマスター…」
「しゃべるな」
 壬生はあたりを見渡す。客の姿はない。逃げたか、もとからいなかったかの
どちらかだろうが。 
「壬生。救急車呼んでくれるか」
「…わかった」

 彼女をソファーに横たえて、眞崎は割れた酒瓶の破片を手に取る。
「…この前キープしといたばっかなのにな」
 ――心からの嘆息だった。


 救急車を呼んで、彼女を病院に送ったあと、警察の事情聴取が二人を待って
いた。それが終わったのは、ずいぶん時間がたってからのことである。
 眞崎は怪我をした店員の知人ということになり(客だということは隠した)、
彼女に相談を受けた眞崎が、友人(当然壬生のことだ)を連れて、先にあがる
はずだった彼女を迎えにきた…という筋書きになった。
 これだけのことを、口からでまかせでつらつらと言ってのけるあたり、眞崎
には、天性の才能があるのかもしれない。
「…すまんな、いきなり巻き込んで」
 こういうことになるとは思ってなかったと、一言眞崎がつけ加える。
「しかし…いったいどうなってるんだい、これは」
 行った先は無茶苦茶になった現場。倒れている女――重傷だと聞いた――を
一人残して、店は無人。どう考えてもおかしな状況である。
「俺にもまだわからん。ただ、どうも身辺が妙だっていうんだ。マスターが。
それでお前に調べてもらおうと思ってたんだが…」
「…先手を、うたれた?」
「かもしれん」
 警察署内で高校生が交わす会話ではないだろう。場所を考慮して、いくぶん
小声にはなっていたが。
「あの店はなじみなのかい」
「マスターがな。俺の義兄」
「……」
「ああ君達、まだいたか」
 沈黙の中に割りこんできたのは、さっき事情聴取をした刑事だった。
「君達、あの店のマスターとは親しかったのかい?」
 何か変化があったか。壬生の勘がそう言っている。眞崎も同様だったらしい。
「世間話をするくらいには。…こいつは、会ったこともないですがね」
 そう言って、眞崎はこちらを指さす。
「わざわざ定休日に店に行ってかい?」
 それが――客がいなかった理由か。
「お客さんがいるときに学生が遊びにいったら、マスターたちの邪魔になるし。
話にくるなら、休みの日にしろって言われたんで」
「へぇ」
「あの怪我をした彼女の方の知り合いだって言ってなかったかい? 新宿駅で
ナンパされて、それ以来だって。じゃあ、マスターは?」
 しつこいくらいの聞き方だ。そういえば、顔がヤモリに似ている。
「俺の恩人の愛人だったんで」
 一瞬、刑事が沈黙した。
 ――そういうことか。壬生も、「義兄」という意味を理解した。
「家族とかは知らないか?」
「身よりはいないとか言ってたな」
「そうかい。じゃあ、君の恩人に伝えといてくれないか」
 一瞬、けげんそうな顔をする。

「高嶺信也さんが、亡くなったって」

 眞崎の表情が変わった。といっても、他の人間にはわからなかっただろう。
彼の本性を知らない刑事みたいな人間には。
「亡くなったって…何かあったんですか」
「事故だよ。酔っ払って、車道に飛び出したらしい」
「……」
 眞崎の目の色が変わっていた。壬生だからこそわかる、ほんのわずかな違い
であったが。
「また今度、話を聞かせてもらうかもしれないが、今日はもう遅い。家に帰る
んだ。いいね」
 眞崎は黙ったまま、きびすを返す。
 その後を追い、壬生も歩き出した。


「…不機嫌だね」
「ああ」
 署を出ると、眞崎は露骨に不機嫌な顔になった。
「なんとなく気づいていながら、何も出来なかったのに腹がたつ」
「何も出来なかった?」
「あの輪っかが、酔っ払うわけがないんだ」
「…マスターのことかい?」
「俺より酒が強い希少な人間が、酔っ払って車道に出ると思うか?」
「それは…」
 はっきりいって、眞崎はそうとう飲むくちだ。壬生も、他の仲間たちとつき
あいで飲んだことはあるが、彼が酔いつぶれたところなど見たことがない。

「――誰かに飲まされたとなれば、話は別だがな」

 吐き捨てるように、眞崎が言う。
「つまり君は、そう疑っているわけだ」
「俺から言わせれば、あの性悪を殺して特になることなんてないんだが」
「性悪、ね…」
 眞崎もたいがいひねくれた人格の持ち主だが。その眞崎に性悪と言わせる男
は、いったいどういう男なのだろう。
「壬生」
「何だい?」

「拳武館への依頼料っていくらぐらいだ?」
  
 壬生は足を止める。眞崎が振り返ってこちらを見た。
「うちに依頼するつもりかい」
「調査まででいい。後は――俺がやる」
 眞崎ならたいていの相手は大丈夫だろう。問題は、そういうことではない。
「腹がたつんだよ。月に一回の飲み比べの相手を奪った奴がな」
「……」
 彼は怒っている。静かに。ただ静かに。
「調査をするのはかまわない。だが、その結果をどうするかは、こちらに一任
させてくれないか」
「それは、俺に黙って見ていろということか? 壬生」
「…そういう、ことになるね」
 こんなときの沈黙は重い。

「――僕は君に言ったはずだ。『君の闇は僕が引き受ける』と。君が裏の世界
に手を染める必要はない。こんな世界を背負うのは、僕だけで充分だ」

「…今更、だな」
 眞崎の目がこちらを射る。
「仇討ちぐらいさせてもかまわんだろう?」
「一度入ったら抜けられなくなる。そういう世界だ」
「そんなこと、とっくに知ってるさ」
「知っている≠ニわかっている≠ニは、別物だと思うがね」
「……」
「それでいいというなら、話を通してもいい。でなければ、僕はおりる」
「……」
 ふっと、眞崎が破顔した。
「相変わらず、頑固というか強情というか…」
「皐哉?」
「その条件、飲んだ」
 降参といいたげに、眞崎は両手を上げてみせる。
「了解」
 
「正式に――拳武館に依頼はされた。依頼内容は高嶺信也に関する調査。終了
は、死亡原因となる事件が特定されたとき。…これでいいかい」
 眞崎は黙ってうなずいた。
 



 高嶺信也。享年四十三歳。両親とは幼い頃に死別。六歳違いの弟がいたが、
これとも八年前に死別している。眞崎の言う通り、身寄りはと呼べる者はない。
 私生活は淡々としていた。交際があったのは、同じく歌舞伎町に店をかまえ
ていた、二十八歳の女性ぐらいだという。(これが眞崎の「恩人」だろう)
 おおまかな調査報告を見て、壬生はため息をついた。
 いくら目を通しても、誰かに殺されるというような人間ではないのだ。特に
恨みを買うような性格でもなかったという。休みでも店に来るぐらい、面倒見
のよい、落ち着いた店主だというのが、皆の感想だという。そのわりに眞崎は
「性悪」などと言っていたが。
 ということは、怨恨の線とは考えにくい。だとしたら他には…。
 もう一度考えをまとめてみようと、壬生は書類に目をやった。
 見過ごしていた箇所があった。むしろ、考えがいたらなかったというべきか。
 彼が店を開いたのは七年前。それまで彼はやはり歌舞伎町でバーテンなどを
して生活していたらしい。問題はここだ。
 身寄りのない男が、歌舞伎町に店をかまえる。これは別に不思議ではない。
 ――だが、その資金をどうやって調達したのか。
 歌舞伎町――東京の地価は高い。無一文から店をかまえるというのが、どれ
だけ労力を必要とするか。
 七年前といえば、彼はまだ三十六歳だ。店主というには若い方だろう。
 ――ここが、唯一の「黒」か…。
 紙の束をテーブルの上に投げ出し、壬生は眼鏡を外す。

 書類の一番上に貼られた故人の写真は、何も語らず、ただ微笑していた。



 眞崎から電話があったのは、あれから一週間ばかりすぎた頃だった。
「調子はどうだ?」
「…相変わらずだよ」
「そうか」
 眞崎は高嶺の葬儀の帰りだという。携帯から直接かけてきたらしい。
「今、時間あるか?」
「ああ」
「そっちに行っても大丈夫か?」
「僕はかまわないが…今どこにいるんだい?」
「まだ池袋。少し時間がかかるかもしれないが」
「わかった。待ってるよ」
 電話を切ってから、壬生は新聞を読みはじめた。某国の大統領来日の記事が、
一面トップを飾っている。そこから紙面の順通り、一枚づつまめに目を通して
いくから、かなり読むのに時間がかかる。
 番組欄が近づいた、社会面の隅に、その記事はあった。
『スナック店員死亡』
 それだけである。扱いも小さなものだった。
 どうしてもそれが気になったのは、眞崎の依頼を受けたせいだろう。内容も、
酔っ払いとの乱闘で、誤ってナイフで刺されたためとある。
(ずいぶんと、らしくない…)
 一つの仕事に固執するのは、あまりいい傾向ではない。もうすこし、鍛錬が
必要かもしれなかった。
 
 眞崎がやってきたのは、それから一時間ほどたってからだった。
「…悪い。遅れた」
 自分が悪いと思ったら、率直に謝ってくる。これはいいことなのだが、眞崎
の場合、自分が悪いと考えるということは稀らしい。眞崎の謝罪の言葉など、
壬生はめったに聞いたことがなかった。
「かまわないよ。夕食は?」
「まだだが?」
「もう少し後でいいなら、適当に何か作るけど」
「――頼む」
 二人は、一人暮らしの自炊仲間という、妙なつながりがある。
「まだ、たいして腹減ってないんだけどな」
「了解」
 コートを脱ぎ、眞崎は床に座り込む。
「葬式だったって?」
「ああ。身内がいないから、客がほとんどだった」
「そうか…」
「何回行っても、いいもんじゃないな。葬式ってのは」
「まあ、楽しいものじゃないのはたしかだね」
 そういえば、彼もまた身内がいない人間ではなかったか。
「例の件、結局どうなった」
「じきに終わるよ」
「おおかた、調べ終わったか」
「ああ」
 コーヒーを手渡し、壬生は彼の横に座る。
「結論から言えば――彼は暴力団とつながっていた。まだ確証はでてないが、
彼を殺したのはそこの一員だろうね」
「どこの組だ?」
 関東一円に勢力を持つ組の名をあげると、眞崎は大きなため息をついた。
「ま、アジア系マフィアじゃないだけマシか…」
「つながりを持つきっかけは、彼の弟が死んだときだね。彼の弟は、組同士の
抗争に巻き込まれて死んだ。あの店は、その詫びのつもりだったらしい」
「そこまでは、まだ美談でも通るな」
 眞崎の言う通りである。
「ここまではね。それから彼は独自に組について調べ始めた。復讐だったのか、
他に目的があったのかはわからないが」
「復讐なんてがらじゃねぇよ、あのオヤジさんはな」
 苦々しげに、眞崎がつぶやく。
「そんな情で動くような奴じゃない」
 眞崎は知っているのだろうか。ふとそう思ったが。
「それで彼は逆に、組を脅し始めた…。組としては、放っていくわけにはいか
なくなる。始めは脅し…」
「最後は殺しでおしまい、か…。やってくれる」
 カップを手に、眞崎がため息をつく。
「これ以上進めるというなら、僕らで引き受けるが」
「…いや、いい」
 意外な、眞崎の答えだった。

「相手を殺したところで、オヤジさんが帰ってくるわけじゃなし。それに…」
「それに?」

 懐かしむような目から、凍った、冷たい目へと、眞崎の目が変わった。
 笑っている。見る者の背筋が寒くなるような笑みだった。

「やり方は色々あるさ。そいつらを消すくらい」
 五年後でも、十年後でもいい。彼らを叩きつぶすだけの権力を握ればいいと。
 あっさりという眞崎の姿は、逆に凄みがある。
 それが、戦っているときの彼の顔だと気づいたのは、彼がまた、ふだんの顔
に戻ってからのこと。

「一つ、気になっていたんだが」
「何だ?」
「…調査書を見るかぎり彼は――高嶺信也は、人のいい落ち着いた店主という
ことだった。でも君は『性悪』と言っていただろう」
 呆れたように、眞崎は髪をかきあげる。
「あのオヤジ、客の前で本性出さなかったからな…」
「それじゃあ君は…」
 コーヒーを飲み干し、眞崎が返す。
「似てんだよ、あのオヤジと俺と。ひねくれてるとこが。それで気にいられた」
「お互い、本性だったということか…」
「あとは、飲み比べでタイまで持ち込んだのは俺だけだったあたりか」
「…何本空けたんだ…」
「一ヵ月分ぐらい」
 あえて、詳しい量は考えないことにした。
「ま、そういうことだ。客の前ではおとなしかったけどな」
「猫をかぶるマスターというのも、妙な話だ」
「人間なんてそんなもんさ。誰も本性なんて見せてやしない」
 誰もが、他人に勝手なイメージを抱いている。勝手な偶像を。
 それに従う義務は、人にはない。
「じゃあ、君も僕には本性は見せていないと」
「…それは、お互いさまだろうが」
 眞崎が苦笑する。
「お互いがお互いの邪魔をしなければいいんだよ。誰が何をしようとな」
 首に眞崎の腕が回る。
 軽く、彼の唇が触れた。
「皐哉?」
 悪戯でもしかけたかのような顔をしながら、眞崎は言う。

「お前はまだ、他の奴よりは俺の本性見抜いてるだろ」
「さあ、どうだか」

 こつん、と、互いの額を合わせる。

「見抜くより先に、わかってしまうみたいだな。似すぎてるんだよ、僕たちは」
「――違いない」
 眞崎の指が髪に触れる。


「似すぎてるのも、問題だ」



 


 

相変わらず、主壬生は書くのが早い。何故だ。
なんか知らんうちにサスペンスチックになってしまいましたが。おかしいな。
大変遅くなってしまいましたが、この話はMKST様へ。こんなんでよろしうございますか?
とりあえず、酒飲むわ女抱くわ(ついでに男も)でダメダメなうちの黄龍ですが、
それに慣れきって止めもしない、うちの壬生もどうかしているかもしれません。
これで、眞崎の小説は主如より主壬生の方が多くなってしまいました。嗚呼…。
 

 

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