自由な蟻



 新宿の雑踏は嫌いじゃない。
 ビルの谷間を、まるで虫のように小さくなって歩いて行くのも。
「…雷人、今度のリハ来れないって?」
 横からメンバーが声をかけてくる。
「悪い。ちょっと…別口で約束入ってンだ」
 できるだけ、バンドと重ならないようにしておく――そう言った彼の顔が頭に
浮かんだ。
「まあ、お前なら大丈夫だろうけどよ…」
 ベースを背にしたメンバーがつぶやく。
 悪いな、とは思っているのだ。ここのところちょくちょく練習も抜けているし、
ライブの後の打ち上げも早めに切り上げる。最近はつきあいが悪くなったと言わ
れても仕方ない。
「何かあったのかよ、雷人」
「いや、なンて言ったらいいのかな…」
 まさか、『東京を守るために修行している』とは言えない。
「別に隠そうとしてるわけじゃないンだけどさ」
 そう言って笑う。考えたらおかしくなってきた。
 バンドやってる高校生が、東京の未来を握る鍵の一つになっているなんて、誰
が考えるだろうか。
  夕方の新宿。家路を急ぐ人間と出勤する人間とが交差し、それぞれの道を行く。
あわただしいこんな時間の新宿が――結構好きだ。
 そんなことを考えながら雨紋があたりを見まわしていると、雑踏の中に――見
覚えのある後ろ姿を見つけた。
 長身の、黒い学生服。今時の高校生にしてはめずらしい雰囲気の男。
「あ、ちょっと悪ィ」
 メンバーに一言かけてから、いきなり雨紋は走り出す。
「皐哉サン!」
 20平方メートルには聞こえただろう大声だった。さすがに彼も足を止める。
「…雨紋か…」
 苦笑いする彼を見て、初めて自分の声が大きかったことに気がついた。
「悪ィ。ちょっと…声でかかったみたいだ」
「…でかいな、たしかに」
 見慣れた真神の制服。彼――眞崎皐哉は、雨紋より2センチほど背が高い。
 だからというわけではないが、どうも雨紋は彼に弱い。学年が上ということも
あるのかもしれないが。
「どうした。何か用か?」
「そういうわけじゃないンだけど、見かけたからさ。それにほら、この前の俺の
ライブ見にきてくれたンだろ。そンときのお礼、まだ言ってなかったし」
「ああ。チケットもらったからな」
「ひでぇよ、皐哉サン。来たなら声かけてくれたらよかったのに」
「かけてどうするんだ」
「打ち上げとか、色々ある…」
「…俺が行ってどうするんだよ」
「皐哉サンなら顔パスにしとくから」
「おいおい」
 年上の余裕、とでもいうのだろうか。彼は雨紋に対して、常に余裕のある応え
方をする。それがうらやましいと思う反面、自分が子供扱いされているような気
にもなるのだが。
「如月サンにもチケット渡しといたンだけとさ…」
「あいつにも渡したのか?」
「ああ。でも来てなかったみたいだけど」
「…お前、意外と勇者だな…」
 眞崎はそう言ってため息をつく。
「そういえばお前、今度の旧校舎大丈夫か?」
「土曜だったよな? 大丈夫だって。メンバーには言ってあるし」
「悪いな、練習時間削らせて」
「皐哉サンが謝る必要なんてないって。オレ様が好きでやってんだ」
 あらかじめ、旧校舎に行くときは予定をたてておく――眞崎はそう言った。
 雨紋のように他にやることがある人間は、それに応じて参加できるようにとの
配慮らしかった。『東京を守るのも大事だが、自分の生活を守るのも大事だろう?』
というのが彼の持論らしい。
「あっちの方も、それなりに楽しいわけだしよ」
「さすが、言うことが違うな。龍蔵院の弟子は」
「からかわないでくれよ、皐哉サン」
 後ろから他のメンバーがこっちを見ている。それに気づいたのは眞崎だった。
「他の奴ら、おいてきていいのか?」
「気にしなくていいって。もう今日の練習は終わってるし。連中も、後はバイト
くらいしか残ってねぇから」
「そうか」
「皐哉サンは、学校の帰りか?」
「いや、ちょっと寄り道してた」
「寄り道?」
「ああ」
「…ラーメンでも食ってたのかと思った」
「…京一と一緒にしないでくれ」
 真神の五人はラーメン好きという先入観があるらしい。どうもまずい。
「それじゃあ、またな。土曜の五時に、校門の前集合だから、忘れるなよ」
「忘れねぇって」
 軽く手を振って、彼はまた雑踏の中に消えていった。
「雷人」
「なンだ?」
 メンバーが声をかけてくる。どうやらさっきまでは遠慮していたようだ。
「さっきのって、お前の知り合いか?」
「そうだけど…どうかしたか?」
「いや、あれって真神の制服だろ。お前、真神に知り合いいたのかと思ってさ」
「何人かいるぜ。まあ、あの人は別格っつうか、なンていうか…」
「なんか、えらい奴だったな」
「は?」
 意味がわからず、雨紋は目を丸くする。
「すっげ―威圧感。ヤクザ関係かと思ったけど、お前は普通に話してるだろ?
高校生らしくねぇっていうか、迫力がダンチ」
「そう言われてみりゃ、そうかもな…」
 茶髪なわけでもなければ、今時の若者みたいな軽薄さもない。たしかに眞崎は
かなり一般的でない雰囲気の持ち主ではある。
「真神でやたらケンカの強い奴がいるって聞いたけど、ひょっとしてあいつか?」
「あー、かもしれないな。違うかもしれないけど」
 真神学園の知り合い――特に男は――腕のたつ者ばかりだ。転入生の眞崎もそ
うだが、蓬莱寺、醍醐もケンカでは負け知らずといっていいだろう。
「でも、今のは全然マシだぜ。ケンカのときなンて、今の比じゃねぇからさ」
 戦闘中の彼を見れば、一般人は卒倒するのではないだろうか。戦闘中の彼は、
脅威以外の何者でもない。
「なんつーか…お前の知り合いっていう感じじゃなかったな」
「あ? 気にすンなって。これも運命ってヤツだから」
 金髪の軽いバンド野郎と迫力ありすぎの高校生。言われてみれば接点がなさす
ぎる。メンバーが不思議に思っても無理はない。
「そろそろ新曲の詞、考えねぇとなぁ…」
 見上げた空は、大半がビルに占拠されていた。


   
 家に帰っても、特に何をするというわけでもない。
 機材がはばをきかせる部屋の中で、雨紋は机に向かっていた。
 目の前におかれた紙は白紙。その状態が三十分以上続いている。
 今回は曲が先に出来ていた。その曲のメロディーやイメージといったものは、
すでに頭に叩きこんである。それなのに、これという言葉が出てこない。
 煮詰まっているのだ。単純に言えば。
「なんか…ピンとこないンだよな…」
 ぐちぐちとこぼしても、天から素晴らしい発想が降りてくるわけでもない。
 そうして実にあっさりと、雨紋は考えるのを放棄した。ダメなときはダメなの
だと、自分自身を納得させて。
 そしていきなり、机の上の電話を手にとった。
 もうすっかり覚えてしまった番号をプッシュする。相手が出たのは6コールめ
のことだった。
「皐哉サン?」
『…雨紋か、どうした』
 寝起きだったのかどうか。微妙にいつもと声のトーンが違う。
「悪ィ。起こしたのか」
『いや、気にするな。ちょっとした仮眠だから。何か用か?』
「たいした用ってほどじゃないンだけどさ…」
 本当に、たいしたものではない。それで怒って電話を切るような相手でないと
いうことぐらいはわかっていたが。
「なんか…思うようにいかなくってさ」
『何がだ』
「新曲の歌詞」
『そんな考えこむようなものなのか?』
「考えなきゃ書けないって」
 いくら仲間で先輩とはいえ、音楽関係では眞崎は門外漢である。その眞崎に相
談している自分が、少し滑稽に思えた。
「考えても、ピンとくるのがなくてさ…」
『それは、“考えるだけ無駄”という、神のおぼしめしだろ』
「相変わらず、言うことキツイな、皐哉サン…」
『これが地なんでな』  
 苦笑いしている彼の顔が目に浮かぶようだ。
『曲はもう出来てるのか?』
「ああ。後は歌詞だけなンだけど」
『なら考えるまでもないだろ。適当に乗せちまえ』
「適当って、皐哉サン?」
『考えても無理なら仕方ないだろ。自分がふだん思ってることとか、素直に出し
たらいいんじゃないのか?』
「って、そんな単純に…」
『単純な方がわかりやすいと思うけどな』
「そりゃあ、そうかもしれないけど」
 ふだん、自分は何を考えているだろう。
 学校行って、部活やって、メシ食って、たまに暴れて、バンドやって…。
 そういう、日常の生活のことしか考えてないような気がする。
 そして、ふと思った。彼は――何を考えているのだろう。
「皐哉サンは、ふだん何考えてンだ?」
『俺か? 俺はたいしたこと考えてないぞ』
「だから何考えてンだって」
『――どっかにいい女いないか』
「…皐哉サン」
『なんだ?』
「そういう、あきらかにはぐらかすような言い方、やめてくれねぇかな」
『…ばれたか』
 彼の考えは読めない。時折、ふっと遠い目をする眞崎を見ることがある。そう
いうときの彼は、自分の手の届かないところにいるようで、何か物悲しい。
『俺、お前のトコの音、嫌いじゃないけどな』
「それ本当か? 皐哉サン!」
『いちいち嘘はつかないって。…少し派手かとは思ったけどな』
「なんかすっげぇ嬉しくなってきたな」
『そうか』
 よく考えてみれば、眞崎の音楽の趣味もよく知らない。仲間といえ、ふだんは
皆ばらばらの行動をしていて、別々の生き方をしているわけで。お互いの趣味が
一致しているとは限らないのだ。
「今度のライブもさ、チケット渡すから来てくれよな」
『曲が出来てないんじゃなかったのか?』
「オレ様ならなんとかなるって」
『雨紋らしいな』
 なんか――のってきたような気がする。今なら書けるかもしれない。
「名前言ったら楽屋の方入れるようにしとくからさ、来たら顔出してくれよな」
『だから行ってどうするんだって』
「他の連中に紹介するよ。ひどいンだぜ、皐哉サンのコト、ヤっちゃンみたいだ
とか何とか言って」
『…あんまり間違ってないかもな』
「自分で言ってどうするンだよ」
『ま、適当に頑張れ。俺は門外漢らしく見物してるよ』
「まかせとけって。最高にしびれるような曲になるから」
『…期待しないで待ってるよ』
 それを最後に電話は切れた。
 受話器をおいて、雨紋は目の前の紙に、乱暴に書きつける。
 ――自分が思っていることを書けばいいんだよ。
 今の自分をありのままに。それで充分に事足りる。
 …さっきまでさんざん迷っていたことが、馬鹿らしくさえ思えた。



「なんか…詞のスタイル変わったのか、雷人」
「んー、なんとなく、直感ってヤツかな」
 スコアを前ににらめっこ状態のボーカルがぶつぶつ言っている。
「ま、悪くはないと思うけどさ」
「だろ? オレ様の天賦の才ってヤツのおかげだ」
「――言ってろ」
 呆れ顔のメンバーをしり目に、雨紋は自分のギターの調整を始める。


 東京を――この街を守っていくのも、この街で虫けらのように生きていくのも、
きっと同じことなのだ。
 だからこの街の中で、虫けらのように自由でいるのも悪くはない。
 もう少しだけ、気ままに。自由に。
 ビルの谷間をさまよう、蟻のように。

 

 


 

書きたい書きたいといっておきながら、なかなか完成しなかった雨紋シリアスです。
この話は勝手ながら、バンドメンラバーの犬子犬雄さんに捧げます。
問答無用ですが、もっていっちゃって下さい。
その割に、主人公はオリジナルですが…ははは。眞崎の方が書きやすいんですよ。
…やっぱいりませんかね? え、返品?

 

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