偶像・奴

 


 ――私は、間違っていないはずだ。
 そう何度も、己の内で繰り返す。
 さながら、この工房で規則正しく繰り返される金音のように。
 だが、そう己に言い聞かせているのは誰なのだろう。
 「支奴洒門」か。それとも「嵐王」か。それすらもわからなくなってきている。
 故に、こうして自分に語らなければならぬのだ。必死で自らを肯定し、なだめ、
自分の道を振り返らぬよう。


 焦燥――というほど穏やかなものではない。
 その理想が一向に成就せぬことに、戸惑いを覚えはしたけれども。
 それが彼等のやり方なのだ、と一度は納得もする。
 だが。
 何かが変わってきている。
 ただこの理想を成就せんがため、がむしゃらに歩き続けていたあの頃とは違う。
 何が、と、はっきりいえるわけではない。けれども確実に――自分達の中で、
「変わってはいけないはずのもの」が変わっている気がする。
 自分の《千手》の力でも見通せぬような何かが。

 この長屋にいるのは、皆、平穏に生きることを望む者達ばかりだ。
  ささやかながら、けれどたくましく日々を生きてきた。
 そういう者達をより豊かにしようとして、いったい誰に責められよう?
 否。理は我等にあるはずなのだ。
 つつましやかながらもたくましく、強大な権力の下でもしたたかに生きのびる。
そんな者達が豊かになるのが罪だというなら、正義はどこにあるというのか。
 ――自分は、間違ってはいないはずだ。
 何度も繰り返すのは、そうせねばやりきれぬから。そう言いきらねばならない
逡巡が自分にあるから。
 ――確かに、自分は間違っていない。
 ならば、彼等は間違っているのだろうか。
 自らの理想、名もなき民の安寧を守ろうとするあの者達は。
  目的のためなら手段を選ぶぬという自分を、彼等は悲しげな目で見る。
 あきらかに、表情を変えて。
 その宿星を、理想をかかげながら、彼等は言うのだ。なるべく犠牲を出したく
はないのだと。
 それは大義だ。そう笑うには、彼のかかげるものはあまりに正直すぎた。
 対話できる余裕など、自分達にあるはずもないのに。それなのに、彼等の言葉
に真正面から立ち向かえるほどの力が今の自分にはない。
 ――自分は間違っていない。そうして言い聞かせても。
 彼等が優しい人間であることくらい、知っている。本来ならば――めいめいが
己の道を行き、穏やかな日々をすごしていたはずだ。
 それを奪ったのは、他ならぬこの時勢ではないか。
 彼等は優しすぎるのだ。この街に――この江戸の民と共にあることで、多くの
営みがあることを知っている。だから犠牲を忌む。
 だが、最初に彼等を戦わせたのも幕府であったはずだ。それを何故――。
  
 工房に、鎚の音が響く。心を映すよう不規則に、苛立たしく。

 彼等は「支奴洒門」の生き方を否定しなかった。
 ならば、彼等は間違った生き方をしているのか。
 ――それも否だ。そうな風にはとても思えなかったし、そんなことがあるはず
もない。

 私は、間違ってはいないはず――。そうつぶやき、手を止める。

 龍の閃きの如く鮮烈な若者達。彼等は自分が行くべき方向を定めている。
 自分との差異はそれだったのだ。
 自らの生き方を定めた人間が、「ただ漠然と」在る者と同位にあるはずもない。
 彼等の姿勢は悪ではない。民を守ろうとする思いの強さと、そのために拳を振
う強さ。この二者を兼ね備えていることでは、彼等を指揮する幕府よりもずっと
優れているはずだ。
 そしてその力は、何かを守ろうとする「守勢の強さ」であって――。
 本当ならば、それこそが自分が望んだものではなかったか。それなのに、彼等
のやり方に自分は戸惑いを覚える。
 自分が彼等に求めているもの――それは正しい。
 そして、彼等が望み、願い、進もうとしている道もまた――正しい。
 
 困惑。その間にも時は過ぎ、心を煽る。

 誰かが扉を叩いていた。「からくり人」の顔を作り、表情を消す。
 立ち上がった瞬間、ふと脳裏にひらめいた。

 ――正しいことが、間違いでないと誰が言いきれる?
 
 誰もが皆、「誤り」を恐れて、手探りで歩いているのだ。
 せめて「少しでも正しい道」をと、混迷の中を、思い思いの方向へ。
 惑う者。信じる者。考える者。皆それぞれの生きるままに。
 本当にそんな道があるかわかりもしないのに。

 
 扉を開けると馴染みの顔があった。

 自分がしていることが正しいことなのか。それはまだわからない。結論が出る
のはまだ先のはずだから。
 あの紅蓮の髪の男の言葉が正しいのかどうか。
 いつか来るその日が来るまでは。



 


 

天啓は舞い降りました。値札を打っている最中に。(実話)
「仕事中仕上げた」第二弾です。いやまじで。
支奴は難しいです。なんでこんなに書きにくいのか。
たぶん、四號は支奴より嵐王のが好きなんですよ。だから嵐王のが楽。
まるで間違い探しみたいな作品になりました。さあ嵐王篇とチェックだ(笑)。
そういう意味では本当に実験作品ですね。まあいいか支奴だし。
『偶像』は基本的に鬼道衆の話なんです。これだけが例外と思ってください。
まさか若より先に、支奴をあげるとは思ってもいませんでしたけれど。