偶像・嵐

 


 ――私は、間違っていないはずだ。
 そう何度も、己の内で繰り返す。
 さながら、この工房で規則正しく繰り返される金音のように。
 だが、そう己に言い聞かせているのは誰なのだろう。
 「嵐王」か。それとも「支奴洒門」か。それすらもわからなくなってきている。
 故に、こうして己に語らなければならぬのだ。必死で自らを肯定し、とどめて
はなだめ、己の道を振り返らぬよう。


 苛立ち――というほど激しいものではない。
 かの悲願が遅々として進まぬことに、焦りを覚えはしたけれども。
 それが彼のやり方なのだ、と一度は納得もする。
 だが。
 何かが変わってきている。
 ただこの悲願を成就せんがため、がむしゃらに走り続けていたあの頃とは違う。
 何が、と、はっきりいえるわけではない。けれども確実に――自分達の中で、
「変わってはいけないはずのもの」が変わっている気がする。
 自分の知識でも言葉にできぬような何かが。

 この村にいるのは、皆、何かの傷持つ者達ばかりだ。
 自分は主家を滅ぼされ、長は家と親を失い、他の者も、何かを失い、奪われて
生きてきた。
 そういう者達が復讐に走ったとて、いったい誰に責められよう?
 否。義は我等にあるはずなのだ。
 不当な理由で、強大な権力を楯にいわれのない罪を押し付けられ。そのような
者達が力を寄せ合い、生きようとするのが悪というのなら、正義は奈辺にあると
いうのか。
 ――自分は、間違ってはいないはずだ。
 何度も繰り返すのは、そうせねばやりきれぬから。そう言いきらねばならない
逡巡が自分にあるから。
 ――確かに、自分は間違っていない。
 ならば、彼は間違っているのだろうか。
 一族の悲願、哀れな村の悲願を背負って立つ彼の人は。
  目的のためなら手段を選ぶなという自分を、彼は悲しげな目で見る。
 決して、表情を変えずに。
 己の業を、悲願を背負いながらも、彼は言うのだ。なるべく犠牲を出したくは
ないのだと。
 それは理想だ。そう笑うには、彼の失ったものはあまりに大きすぎた。
 躊躇していられる余裕など、自分達にあるはずもないのに。それなのに、彼の
言葉に真正面から立ち向かえるほどの力が今の自分にはない。
 ――自分は間違っていない。そうして言い聞かせても。
 彼が優しい人間であることくらい、知っている。自分の主だ。本来ならば――
一門を率い、父の跡を継ぎ、穏やかな日々をすごしていたはずだ。
 それを奪ったのは、他ならぬ幕府ではないか。
 彼は優しすぎるのだ。この村に、この村の民と共にあることで、多くの暮らし
があることを知ってしまった。だから犠牲を忌む。
 だが、先にこちらに犠牲を強いたのも幕府であったはずだ。それを何故――。
 
 工房に、鎚の音が響く。規則正しく。小気味よく。

 彼は「嵐王」の意見を否定しなかった。
 ならば彼は間違った道を往こうとしているのか。
 ――それも否だ。そんなことがあってはならないし、あるはずもない。
 
 手が止まる。不意に鎚の音が止んだ。 
  
 鬼も哭く、哀しき村の長として、彼は自らが守る者を手にした。
 自分との差異はそれだったのだ。
 それが何であれ、「守るべきもの」を手にした人間が、「ただ奪われた者」と
同列にあるはずがない。
 彼の姿勢は悪ではない。民を守ろうとする願いの強さと、そのために剣を振る
う強さ。その二者を兼ね備えている点では、今の為政者である幕府よりもずっと
よきものであるはずだ。
 だがそれも畢竟、何かを守ろうとする「守勢の強さ」でしかなく。
 自分の求める強さとは異なるものなのだ。だからといって、彼の強さを完全に
否定することもできない。
 自分が彼に求めているもの――それは間違ってはいないはずだ。
 そして、彼が望み、願い、進もうとしている道もまた――間違ってはいない。

 逡巡。その間にも時は過ぎ、心を急かせる。

 外で鳥が飛びたつ音がした。異形の仮面の下、表情を変える。

 ――間違っていないということと、正しいということは同じではない。
 
 誰もが皆、「正しい道」を求めて手探りで歩いているのだ。
 せめて「間違っていない道」をと、暗闇の中を、めいめいの方向へ。
 迷う者。ひたすらつき進む者。とどまる者。皆それぞれの思うがままに。
 本当にそんな道があるかわかりもしないのに。

 そうして、静かに目を閉じる。

 自分がしたことが正しいことなのか。それはまだわからない。結論が出るのは
まだ先のはずだから。
 あの紅蓮の髪の男の力が正しいのかどうか。
 まだ来ないその時が来るまでは。



 


 

ラブストーリーではありませんが、ある日突然天啓は下りました。
某所のイラストを見て、萌ポイントゲット。そして覚醒。
「仕事中仕上げた」第二弾です。いやまじで。
テーマは「葛藤・矛盾・整合」そして「言葉遊び」。
『偶像』は鬼道衆→御屋形様な話ですが、嵐王のみ支奴と対に。
そういう意味での「言葉遊び」です。 キャラクターファイル見る前に書いたんで、 「?」なところがあるかと思われ。

そういや私、剣風帖で風角好きだったっけ…。
そんなことを思いながら書きました。てか好きなんです毘藍婆親父。