偶像・山

 



 規則正しく連なる音は、木に斧があたる音だった。
 山中にこだまとかえる音を聞きつつ、泰山は声をあげる。
「たおれるぞぉー」
 あたりに人間はいない。それでも、泰山は声をあげた。
 人以外の生きものたちに何かあってはいやだからだ。他の人間がここにいれば、
泰山のやりかたを笑ったかもしれない。でも、泰山にとっては大事なことだった。
 人の言葉を解さなくとも、生きものたちはこちらの思いが伝わるのだと、泰山
は知っている。鳥や獣の言葉がわからなくとも、自分には彼らの考えが「わかる」 
のだ。相手がそうでないと誰がいえよう。
 とはいうものの、普段からこんなふうに理屈っぽく泰山が考えているわけでは
ない。こういうことを漠然と思っている――それが正しいだろう。
 二度、三度、ひときわ強く斧を入れる。木が大きく傾いた。
「たおれるぞぉー」
 さらに大きな声で泰山は語りかける。その声も半ばにして、木は音をたて倒れ
こんだ。
「みんな、いねぇなぁ?」
 あたりを確認するのは念のためだ。山の生きものたちはとても賢いから、危な
いところには近づかないものだ。何もいないのを確かめてから、泰山は細かな枝
を落としはじめる。
 この木は、おやかたさまの家を直すのに使うのだ。残った分は他のみんなの家
にまわる。泰山でもひとかかえにできないような、これほど大きな木を切り倒す
ことはあまりない。
 木だって、人や他の生きものと同じように生きている。生きものや木が住む山
だって生きているのだ。だから、必要な分だけを切り、切った分は――もらった
命の分は大切に使っていくのである。

「おめぇは、しあわせもんだぁ。おやかたさまのところにいけるんだぞぉ」

 枝を落としながら、泰山は木に語りかける。偽りなど微塵もない本音を。
 泰山にとって大切なのは、この山と山に住む生きものたちだ。でもそれ以上に
大切なのが「おやかたさま」だった。
 今では思い出すこともなくなってきているけれども、もし「おやかたさま」と
会わなかったら、自分は我を忘れて大切な山を傷つけていたかもしれない。
 ――だから、「おやかたさま」の言葉には何があっても従う。
 それに、「おやかたさま」は強かった。
 強いといっても、力なら泰山の方が上である。でも、山に生きる泰山は、強さ
というものにもいろいろなものがあるということを知っていた。
 たとえば、空を翔ける鳥の強さ。何よりも早く跳ねる兎の強さ。日のあたらぬ
大樹の下で生き抜く、草の強さ。
 「おやかたさま」は、確かに自分とは違う強さをもっていた。
 そして、泰山が知っているもう一つのこと。
 ――「おやかたさま」は優しかった。
 泰山にもみんなにも、山の生きものたちにも、変わることなく優しい。そんな
優しい「おやかたさま」が、泰山は好きだった。好きにしていいと言ってくれる、
「おやかたさま」が好きだった。
 だから「おやかたさま」のところに行く木はしあわせなのだと、心から思う。
あの人なら、きっとこの命も大切にしてくれるはずだから。

 刈った枝を集め、かごに入れる。この枝も村の役にたつはずだった。
 さて、これからこの木を運ばねばならない。さすがにこのまま一人でかついで
いくのは泰山にも無理だった。一度村に行って、みんなを呼ばないとならない。
これだけの木なら、きっとみんなも喜んでくれるだろう。それが泰山には嬉しい。

「しあわせもんだ、おめぇも、おでも」

 特別に、おおぶりに作ってもらったかごを背負い、泰山は木をたたく。 
 ――こういうときに、いつも思い出すのだ。
 ふところから、鈍く輝く「たからもの」をとりだし、しばし泰山は見つめる。
 これだけはいつも、肌身はなさず身につけている。「大切な人」からもらった、
「大切なもの」。

 そして浮かぶ、紅蓮の影。

「しあわせもんだ。――おでたちは」
 宝玉をしまい、泰山は歩きだした。

 「たいせつな人」に会うために。


 


何故炎邑より書きやすいのか泰山。短いのは彼の生き方がシンプルだからで。
こういう企画でもないと書かなさそうな泰山です。しかし書きやすかった。
彼は鬼道衆随一の癒し系だと思うのですが(某氏は時にストレスを呼ぶので)。
泰山は本当に「善」しか見てない気がします。だから癒し系。
…何かに似てると思ったら、『真・三国無双』の許猪です。 偶像シリーズで一番化けた話になりました。

キャベツにですね、「泰山」て品種があるんですが。…どんな味なんだ?

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