奇跡無き世界

 


「――何の用だ」
 不愉快そのものといった声で、如月は話しかける。病院という場所柄、大声を出すような
ことこそなかったが。
「見舞いなら病室にそのまま行けばいいだろう。それとも――行けない理由でもあるのか」
 視線を合わせる気すらない。
 とにかく――不快だ。
「ここまで来て会わずに帰るわけでもないだろう。違うか、村雨」
 ソファーの陰――どうやら、不遜にもそこで寝そべっていたらしい――から、村雨が体を
起こした。おまけに、大きなあくびをつけて。
「一応、気配は消したつもりだったんだが」
「あれで消したつもりだったとはな」
 喧嘩慣れしているとはいえ、村雨は術師だ。その気配が如月にわからぬはずもない。それ
をわかっていて、そうふっかける村雨も問題がある。
「で、そこで何をしている」
「別に。昼寝だよ。おかしいか」
「産婦人科のソファーで昼寝している高校生など、見たことはない」
「だろうなぁ。俺もねぇ」
「――村雨」
「…相変わらず、切羽詰った顔してんじゃねぇよ、如月」
 この男のこういう表情は好きになれない。不遜で、傲慢で、他人の中に土足で入ってくる
ような、すべてを見透かしたような顔が。
「僕はいつもと変わっていない」
「ならいつもの方がおかしいのかね」
「……」
「一晩たったらマシになるかと思ってたが。やっぱ無理か」
「見舞いならさっさと行った方がいいと思うが」 
「今は真神の姉さん方が来てるだろ。野郎は自粛」
 こういう時のふざけた態度が――ことさら癪に触る。
「茶化すな」
「茶化してなんかねぇよ。だいたい用があるのはお前の方だ」
「僕の用なら終わった」
「俺が終わってねぇんだ」
「なら行けばいいだろう」
「行く必要ねぇんだよ。お前がここにいるからな」
「……」
「ああ、もう。完璧にわかってねぇな、お前。俺が用あるのはお前だって言ってんだ」
「僕にはない」
「てめぇになくても俺にあるんだ。黙って聞いてろ」
 どうやら――村雨は怒っているらしい。理由は如月にはわからないが。
「それなら、手短にすませてくれ。僕も暇をもてあましているというわけじゃない」
「まあ座れよ。立ったままじゃ話づらい」
 仕方なく――如月はソファーの前まで移動する。移動はしたが――座らなかった。
「頑固なことで」
 あからさまに村雨が舌打ちする。
「とりあえず、このままじゃあ――先生よりお前が先に壊れるぜ」
「僕が?」
「自覚してないだろ」
 そんなこと、しているはずがない。
「だろうな。お前はそういう奴だ」
「…何が言いたい」
「――そんなに無理して突っ張ってたら、今にバラバラになっちまうぜってコトだ。お前は
気づくどころか、自分で『そういうの』を押し込めるからな」
「そんな与太話だけなら、帰らせてもらう」
「言っとけって頼まれたんでな。でなけりゃ今のお前つかまえて説教なんて面倒な真似を、
いったい誰がすると思うんだ」
 人一倍面倒臭がりの男なのは、如月も重々承知している。だが、その村雨に頼みごとなど
できるような人間などいるのだろうか。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ。村雨」
「これ以上、どうはっきり言えって? それはお前がわかってない証拠だろ。だいたいお前、
自分がどういう立場にいて、他人からどう思われてるかなんて気にもしてねぇんだ」

「だから?」
 感情を抑えよ。無に帰せ。それが――。
「――キレてんじゃねぇよ、らしくもねぇ」
「らしくもない?」
 自分は、笑っている。きっと、一番嫌な笑い方だ。
「誰がそんなことを決めたんだ? 僕が僕らしくないなどと言われたところで――僕以外の
ものになれるわけでもない」
  
 どこか感覚がおかしい。
 何かが違う。体がそういっている。
 歯車が――狂っているのか。

「…お前は怖がってんだ。また『元』に戻るのをな。《黄龍》の存在がなくなって、自分が
変わることを恐れてる。このまま覚悟を決めることもできねぇから、そうやって自分の中で
否定して、冷静なふりするしかねぇんだよ」
「……」
「お前が恐れてるのはなんだ? 言ってみろよ」

 怖がる?
 恐れる?
 覚悟?
 ――いったい何を?

 目を閉じる。無に近づくために。
 心を封じるために。乱されぬために。
 
 そして、再び目を開ける。

「僕が――何を恐れているって?」
 笑っている。これは――昔の自分だ。
 緋勇龍麻という人間に会う前の、飛水の末として生きていた頃の。
 《如月翡翠》という一人の人間でなく。
 飛水流という、長い血脈の駒に過ぎなかった、過去の自分がここにいる。

「何かを恐れる必要があるというのかい? この僕が」
 こういう場面は――笑うべきものだっただろうか。
 わからない。
 何も。

「僕は何にも心を動かさない。それが――祖父から教わったことだ」
「捨てちまえよ、そんなもん」
「――村雨、貴様!」

 静止した時間の中で動いていた、赤い色。

 紅いのは――あの時の血だ。

「お前が何にこだわってんのかは予想がつくがな、それにこだわってばかりじゃ――肝心な
ものをなくしてくぜ」
「僕は――何かを失ったことなどない」
「今までの話じゃねぇ。俺が言ってるのはこれからのことだ」
「それで?」
「…如月」

「僕は何も失わなかった」
 まるで――人形だ。
「貴様のように、大事なものを守れなかった――そういうことなどなかった」

 母は自分が力を得る前に死んだ。
 父は母を喪い、家から去った。
 祖父はその教えだけを残し、姿を消した。

 空ろな家に残ったのは自分一人。守るべきものも何もない。
 ――何も、ないのだ。

「だから、僕に覚悟など必要ない」
 
 何か、自分をつなぎ止めるものが要る。
 そうしないと。

 そうしないと、《何か》が壊れていきそうだった。
 
「いいかげんにしろよ、如月!!」
 たち上がった村雨が如月の胸ぐらをつかむ。
「誰がここまでお前のことを心配してると思ってる!!」
 喉がつまる。息が――。
「お前がいながら緋勇がやられちまった。それは俺だって一緒だろうが! それならあの場
にいた全員がそうだ! 自分一人で背負いこむんじゃねぇ!!!」

 脳裏に浮かぶ、紅い情景。
 霧に霞んだ後姿。ゆっくりと倒れていく黒い影。
 ――動くことすら、できなかった。
  静止した時間の中で動いていた、赤い色。

 紅いのは――あの時の血だ。

「僕は――」
「緋勇が目ぇ覚ましても、その面さげていく気か!?」
「僕、は…」

 ――動くことすら、できなかった。
 四神として、黄龍を守護する位置にありながら。
 それは、無力な自分への呪詛。
 後悔という名の――自分への抑制。

「緋勇が何て言ってたか、教えてやろうか?! 『自分はいいから、如月を頼む』ってな、
あいつはお前より、よっぽど《如月翡翠》って人間を見てんだよ」
「龍麻、が…?」
「でなけりゃ、今のお前みたいな奴に話かけると思ってんのか!」
 村雨に頼みなどする者が、そうそういるはずがない。
 それを…。

「お前は人形か!? 誰なんだ!? 言ってみろ!」


「いいかげん、手を離した方がいいんじゃないですか、村雨さん」
 村雨と対照的な、冷静な声。
「壬生…」
「ここは病院ですよ。あんまり大声を出すと…」
「へいへい。わかってるって、それくらい」
「…大丈夫ですか、如月さん」
「――ああ」
 襟元を整えながら、首に手をやる。少し――熱をもっていた。
「いったい、何があったんです」
「別に。たいしたことじゃない」
 こういうとき、壬生は深くを追及しようとはしない。それだけつきあっていくのは楽だ。
「たいしたことじゃ、ねぇんだよなぁ…」
 村雨が笑っている。あれは…怒りを隠すときのそれだ。
「壬生も、こっちに来たのか?」
「まあ、なんとなく」
「…そうか」
 そこで、会話が途切れた。
 切り出すべき話もないまま、時間だけが過ぎていく。
 沈黙が重い。その重さを打ち砕いたのは、病院には相応しくないような、大きな足音。
「桜井さん…?」
 息を切らせながらロビーまで走ってきたのは、桜井だった。
「壬生クン、村雨クンも…。あれ…如月クン、まだ帰ってなかったんだ…」
「どうかしたのかよ、そんなに息切らせて」
 肩が上下している。緋勇の病室からロビーまではたいした距離ではない。その短い距離を、
彼女は全力疾走してきたらしい。
「電話、とりあえず、如月クンとこにしたら、全員にまわるかなって…」
「僕のところに?」

「うん。龍麻ね――さっき目を覚ましたんだ。おはようだって。なんか…力抜けちゃった」
 
「目覚ましたか、先生」
「今、院長先生が軽い問診してるけど。それが終わったら面会もいいって」
「そうか…」
「桜井さんは部屋に戻っていた方がいいんじゃないのか? 電話は僕がしておくよ」
「いいの!?」
「家でするかここでするかの違いだ。たいしたことじゃないだろう?」
 壬生と村雨が目を合わせる。
 軽く額に手をやり、桜井が敬礼のポーズをとった。
「ありがとう、如月クン」
 来たときと同じように、彼女はまた病室に戻っていった。後で院長にどやされるだろう、
病院の廊下を二度も全力疾走したなら。
「僕も、一度館長に連絡しておくよ。また後で来る」
「わかった」
 壬生はあっさりときびすをかえす。残った村雨は、困惑したような顔で頭をかく。
「俺も――御門達に報告してくるか」
「そうしてくれると助かる」
「――如月」
 村雨も華の字を背中にひらめかせ、歩き出す。

「お前は――大丈夫か」

 如月は苦笑する。

「大丈夫だ。――少なくとも、もうしばらくは」

/////////////////////////////////////////

 電話を手当たり次第にかけ、手元のメモと照合する。人数が人数だったために、かけ終る
頃には日が暮れていた。
「ごめん…なんか、面倒なこと頼んじゃったみたいだね」
 美里と共に出てきた桜井が、照れくさそうに笑う。こんな、「いい表情」ができる彼女が、
少し、うらやましい。
「気にすることはないよ。それより――龍麻の様子は…」
「うん。今は眠ったみたい」
「そうか…」
「もうすぐ面会時間も終わるから帰るけど。如月クンは?」
 面会時間――そんなものもあったのか。ほとんど気にしていなかった。
 と、いうより忘れていた。
「まだ繋がらない人間がいるから。もう一度連絡を取ってみるよ」
「気をつけてね、それじゃあ」
「さようなら」
 彼女達を見送り、如月はまたボタンを押す。
 窓の外はもう暗くなっていた。冬の夜の訪れは早い。
 何度目かのコールの後、如月は受話器を置いた。

 このまま帰ったら――彼は怒るだろう。
 そう思い、苦笑する。

 一人、廊下を進む。静かな病院に響きわたる足音。
 古い金属製の扉を開ける。
「――龍麻?」
 眠っているのだろうか。目を閉じたまま、彼は動かない。
「――ふり、か」
 ゆっくりと彼は目を開ける。
「ばれたか?」
「簡単に」
「自信あったんだがなぁ…」
 そんなことに自信をつけてどうするのだろう。
 横の椅子に腰掛け、脚を組む。
「調子はどうだい」
「最悪。夢見は悪いし、起きたら院長だろ。体も思うように動かないし…」
「それで意識が戻ったことの方が、充分凄いことなはずなんだが」
「いいんだよ。俺はこれで」
「…そうだな…」
 伏せっている彼というのは、らしくない。それでも変わらぬ彼の剛毅さが嬉しくもある。
「お前…また考えこんでたな」
「…?…」
 緋勇が手を伸ばす。顔に触れたいらしいというのを察して、身をかがめる。
「眼の下。あんまり寝てねぇだろ。食事も抜いたな」
 食事――最後にものを食べたのはいつだっただろう。思い出せない。
 少なくとも、昨日の晩からほとんど食べた記憶がなかった。
「……よくわかるな」
「わからいでか」
 呆れ顔の緋勇。彼は、人の感情を読むのがうまい。それが彼にとって必ずしも幸福なこと
とは限らないのだが。
「俺がドジったからな…。いつかこういうことがあるかもとは思ったけど、見事にやられた」
「見事なんて言わないでくれないか」
「見事なのは見事だろ。俺でなかったら、確実に天に召されてたんだから」
「相変わらずだな、君は」
「お前もな、如月」
 
 ――動くことすら、できなかった。
 守ることも、戦うことも。
 それすら、彼は笑い飛ばしてしまう。
 
「俺が目を覚ますまで、ろくな生活してなかっただろ」
「とりあえず、生きてはいたよ」
「歩いて息してるだけじゃ、生きてるなんて言わないんだよ」

 それなら――きっと、彼に会うまでの自分は、生きていなかったのだろう。

「首が赤いぞ。…何かあったのか?」
 自分の首に手をやり、原因を思い出すまでに数秒。
「ああ、少し口論になっただけだ。たいしたことじゃない」
 たいしたことじゃない。そう自分にいいきかせて。

「――村雨の奴、あれほど加減しとけって言ったのに…」  
 やっぱりとでもいいたげなため息と、小声のつぶやき。

「…村雨があんなことを言い出したのも、やっぱり君の差し金か」
「あれほど口止めしたってのに、あいつ…しゃべったな…」
「それは…何の話だい?」
「ひょっとして、怒ってるか? 如月」
「いや、別に」
 怒る怒らないの次元ではない。

「お前は…何かを守れなかったということなんてないだろう?」

 退屈らしい指が、布団の端でタップを踊っている。
「俺にも、守れなかったものがある。自分の目の前で、大事な人間が死んでいくのを黙って
見届けるしかなかった。村雨もそうだ。あいつも…自分の親友を守りきれなかった」
「……」
「だからかな。あいつと気が合うのも。それで話してたんだ」

 漂う紅い霧。散っていく赤い血。
 わずか、何十時間前でしかない過去。

「お前はきっと…何かを失うことに耐えられない。もし今、自分を見失ってしまうような、
大きな出来事があったら、またお前は昔のお前に戻ってしまうって」

 何かを失って絶望するくらいなら。
 はじめから、何も持たなければいい。
 それなら、自分が傷つくこともないから。
 失ったときに、覚悟を決める必要もないから。

 その言葉を聞いて、傷つく者がいるということを、心の中に押しやって。

「…だから言ったんだ。お前を引きずり出すのは俺の役目だけど、もし俺に何かあって動け
なくなったようなときは、村雨、お前に頼むって」
 
 「今の」自分が一番堪えるのは――。
 たぶん、彼以外ではここまでにはならなかったはずだ。

「随分と、御節介がすぎるんじゃないのか?」
「俺もそう思う」
「しかも頼む相手が村雨ときた」
「京一でも良かったんだけどな。村雨の方がつきあい長いし」
「――賢明な、判断だな」

 苦笑すら出ない。

 おそらく、彼と共に行くと決めたときにはすでにわかっていたのだ。
 自分の生き方が、どれほど大きく転換するか。
 飛水の使命、《玄武》の宿星。
 それらすべてを飲み込んで。

「――如月」
「何だ?」

 もう、あきらめるべきなのかもしれない。
 自分の中で、彼の存在が大きくなっていることを。

「お前が無事で、よかった…」
       
 かすれ気味の声。嬉しかった。全身が総毛だつほどに。

「僕としては」
「ん?」
「君がこんな大怪我を負ってくれないことの方が嬉しいよ。でなければ僕は――」
 
 ここにいるのは如月翡翠。
 飛水流の後継者にして、《黄龍》の守護たる《玄武》の宿星を背負う者。 

「――君の守護を果たせない」

 緋勇は――目を閉じる。

「やっぱり、相変わらずだな、如月は」 
「今更、そう簡単に性格が変わると思うかい?」
「お前に限っては、そうなってくれって思うこともある」
「そうか」

 熱はないかと額にかざした手を、緋勇がつかむ。

「まだ、ここにいるんだろ」
「面会時間は過ぎてると思うんだが」
「――関係ねぇよ」
 らしくもない甘え方だ。
「暇なんだろ?」
「今は、な」
 
 安堵とは、こういうものなのだろう。
 ――いったい何が、あれほど自分を惑わせていたのか。
 そんなこともどうでもいい気がした。

「君が眠るまではそばにいよう。それ以上は…僕は認めない」
「厳しいな」
 目を閉じたまま愚痴る緋勇に、如月は笑いかける。
「これでも最大の譲歩だよ」
「わかってる」
 
 まだ少しだけ。もう少しだけ。
 今だけ、浸っていればいい。
 わずかな幸福に侵食されていればいい。

「なんか…眠いな」
「薬のせいだろう。そのまま…眠ってしまえばいい」


 動くことすら、しなかった。
  静止した時間の中で、心だけが動いていた。




 奇跡など――この世にはない。
 あるのは現実だけだ。
 限りなく幸福で残酷な――。

 ――奇跡無き、世界だけ。

 


 

長ぇよ。(爆)

ギャグばかりじゃなんなので、ちょっぴり(?)シリアスモード。
こういうの、ムチャ得意です。一見わけわからんような、感覚的な長文の文章。
これ「外道之院(陰)」じゃないんすか? ないらしいです。
村如じゃないです。違うんです。信じてください。俺は主如。
如月はシリアスが書きやすい一人ですねぇ。不幸が似合うというか。
でも、ゲームやってる限りでは壬生あたりの方が不幸に見えるのは何故。
性格分裂してるのか? ゲーム中の如月は。
ああ、やっぱりシリアスは書きやすい…。

  最後に一言。産婦人科に、こんなに野郎(しかも高校生)がたむろってていいのか。

 

書庫へ トップへ戻る