アンコの野望〜ブン屋の系譜〜


 遠野杏子は画策していた。時間がないのはわかっている。

 しかし、どうしてもやっておかねばならぬことというのはあるものだ。
もうすぐ三年生が卒業という時期、真実を明らかにすることをなによりの使命とする
新聞部部長としてただぼうっとしていていいはずがない。自分も卒業生だということ
は、このさい二の次だ。

 まず卒業アルバムの編集がある。それはそれで忙しいのだが、問題は。

 ――活動資金がない。

 フィルムの整理や現像代もばかにならない。それをどうにかこうにかやりくりしてきた
が、もういい加減限界だ。今年はいろんな事がありすぎて、それだけで充分充実して
いたのは確かだが、なにぶん、先立つものがないと動きようがない。
?今年は、いろいろはりきりすぎちゃったからなぁ)
 ふと、壁にかかっているカレンダーを見る。いくら見たところで、時間が逆行してくれる
はずもなく。
?もうじき、バレンタインか…)
 その瞬間、神の啓示が降りてきた。ひょっとしたら、「陰謀」という方が正しいかもしれない。
?そうよ、これがあった!)
 アン子はにやりと笑う。
 こうして、新聞部の暴走が決定したのである…。


 まずやったのは、各部活への根回しだった。それも、女バスや女子庭球部と
いった、女子部限定で。各部の部長は三年が多いから、話をつけるのは簡単だった。

「アン子、これ後輩から頼まれたんだけど…」
 隣のクラスの小蒔が紙の束をもってやってきた。
「サンキュ。小蒔は?」
「あ、ボクはパス。なんかそういうのって苦手だから」
 彼女ももてるほうなのに、どうも本命らしき相手はいない…らしい。はたから
見ているぶんには、醍醐といい感じなのに、本人たちにその意識が皆無なの
であるから、どうしようもない。
「でも、こういうのって黙ってやっていいのかなぁ」
「いいのよ、こうでもしないとうちみたいな弱小部はたちゆかないんだから」
 根回しをしたのは、部活だけではない。帰宅部の存在も考慮して、個人単位
でのアンケートも実施したのである。それは新聞部の部室、もしくはアン子に
直接手渡しということで。

「そういえば、生徒会長さまは教室?」
「葵なら引継ぎが残ったからって、生徒会室だよ」
「あ。それなら好都合」
「ひょっとして、例のアンケート、葵にもやってもらうの…」
「それもいいけどね」
 真神のマドンナからチョコレートをもらえる男など、そうそういないだろう。相手は
容易に察しがつくが。 こういう類の「お祭り騒ぎ」に、彼女が乗ってくれるかどうか
というと、渋い顔をされそうな気がする。
「発行許可は、きちんともらっておかないと」
 アン子は預かった紙の束を手に、教室を出た。

 目の前に鎮座まします紙の小山を見ながら、アン子は笑った。
 バレンタインは、女と菓子業界のお祭りである。それを盛り上げるには、ほんの一工夫あればいい。
 アン子が考えたのは、バレンタイン用の真神新聞を発行することである。それも、女子限定の条件付きで。
 各部活やクラスごとにまわしたのは、『今年、貴女がチョコをあげたい人は?』という
簡単なアンケートだが、回収率はかなり高い。アンケートの結果をもとに、真神新聞で
ランキング上位にいる人間の「傾向と対策」を発表するという、まるでセンター試験翌日
の新聞のような仕組みである。

 こういう「お祭り騒ぎのアンケート」に、本命の名前を書く人間は少ないと、アン子は
みていた。だいたい名前があがるのは、「憧れの男子に一度渡してみたいけれど、
ちょっと…」というラインである。

 集計を始めると、案の定というかなんというか。

 アン子は疲れたようにため息をついた。

 

 集計終了したのは昨夜午前二時。やはり圧倒的に卒業間近の三年生が強かった。
 それも、得票数の大多数を獲得したのが3―C。
 目立つ男が多いのを考えれば至極当然といえよう。そして、アン子は隣の教室へ
ターゲットを追っていくことになる。
「やっほー、元気?」
「…いきなりなんだ、アン子」
 幸か不幸か、ターゲットのうち教室にいたのは一人だけだった。アンケートでは第
三位の、醍醐雄矢。「優しそう」とか、「守ってくれそう」という後輩からの票が多かった。

「あのねぇ、ちょっと聞きたいことがあるの。時間はかからないから」

 彼の場合、「優しい」し、「強い」のも事実だが、どうもにぶいところがある。この場合
ふさわしいのは――正攻法だろう。つもりは、正面からの突撃。
「醍醐君なら、どんな感じのチョコレートが欲しい?」
「は? チョコレート?」
 やっぱり、いまいちつかみ損ねている。

「もうすぐバレンタインでしょ。で、醍醐君に渡したいっていう子もいるの。どうせなら、
本人が喜ぶようなものを渡したいじゃない」
「俺は、甘いものはわからんからなぁ…」
 巨体に似合わず(いやある意味似合うのか?)繊細な彼は、眉をひそめた。
どうにも真面目なのである。
「本人の気持ちがこもっていれば、特に他には何もな…」
 ま、予想通りといえばこれほど予想通りの言葉もないのだが。
「ありがと、参考になった」
 さーて、これでどう記事を書くかな、とアン子は頭の中で考え始める。ついでに、
さりげなく爆弾を落としていくことにした。
「頑張ってね、小蒔からチョコもらえるように」
「ば、…!」
 赤くなったうえに、言葉までなくしてしまうあたり、やっぱり可愛いところがあるものだ。

 残るターゲットはあと二人。うち一人の居場所は予想がついている。
「ちょっとー。降りてきなさいよ、この木刀バカ!」
 体育館の裏に、やたら大きな木がある。その木の上に向かってアン子は声をあげた。
「…うっせぇな、バカアン子」
「バカにバカ言われたくないわよ」
 ぶつぶついいながらも降りてくるあたり、根は「いいひと」なのだ。
 ランキング二位は、蓬莱寺京一。例の「歌舞伎町疾走事件」で少々株は下がった
ものの、幅広い層に人気がある。

「そんなとこで寝てるから、女の子に『何考えてるかわからない』とかいわれんのよ」

「あー。俺の真の魅力がわかるオネーチャンたちには関係ないな」
「まーた、バカ言って。もうすぐバレンタインも近いってのに」
「今年はなー。ちょっとばかし厳しいかもな」
 かなり真剣に「もらえる気」である。このあたりが救いがたいというか、なんというか。
 醍醐と違って、京一は勘がいい。「本能的に」物事を察知するタイプである。
そういう相手に正面から正攻法というのは無謀だ。
「去年の大台越えるかどうか、自信のほどをききたくってね」
「バレンタインか? 俺がもらえねーわけないだろ」
「じゃあ賭けてみる? 去年の記録をぬいたら、ラーメンおごってあげるわよ」
「乗った!」
 安い情報代である。
「本命のみ…てのは厳しいから義理もありね」
「ばーか。本命だけで事足りらぁ」
「バカはそっち。歌舞伎町の件、忘れたわけじゃないんでしょ」
「あれ載せたのはてめぇだろうが!」
 そうそう。あれはかなりの収益になったのだ。
「まあ、優しいオネーチャンたちがくれるものなら、毒入りでも食うけどさ」
「あんたなら、食っても死にそうにないもんね」
「いいやがったな!」
 言うがはやいか、アン子は校舎までかけだしている。
「くやしかったら、去年の記録ぬいてごらんなさいっ! この木刀バカ!」

 アン子は――困った。
 部室で頭を抱えていた。
 最後のターゲットが見つからないのである。帰宅部な彼は、授業が終わるとどこか
に出かけてしまう。妙に交際も広いために、行動半径も広いのだ。
  「一見怖そうだけど」、「かっこいいから」、「頼りになりそう」と、様々な理由で票を
集めた転校生。ある意味、クラス一の問題児。「接点はないけど、どうせならチョコを
渡したい」という乙女たちの票を一気にかっさらっていったのは。
 3―C、眞崎皐哉。
  意外と、学内での交友関係はあたりさわりのない線にとどめているせいか、彼の
行き先を知っていそうな人物がいない。頭をかかえていたアン子に助け船を出した
のは、これも意外な人物だった。
「う〜ふ〜ふ〜。迷える子羊に愛の指針を〜」
「ミサちゃん?」
 いつのまにここにやってきたのか、相変わらず古びた人形を出しながら、彼女は窓
の外を指さしていった。
「古き物集う場所〜、金の龍が休むの〜。わかった〜?」
彼が行く場所で、そういうところは。――一カ所しかない。
「オッケー!」
 アン子は鞄をつかんで走り出した。
 彼女がどうして自分のところにやってきたのかということは、深く考えないことにした。

 
 北区。如月骨董品店。
 真神新聞にさりげなく広告を載せているこの骨董品屋は、仲間うちが顔を出す
場所の一つである。息を切らしたアン子が乱暴に店の扉を開けたとき、店主は
客と談笑していた。
「ああ、いらっしゃい」
 学生服の客に狼狽することがないのは、店主もまた学生だからだ。そして、その
横でなにやら楽しげに話をしている客も。
「やっと…見つけたわよ、皐哉」
「どうかしたのか? アン子」
 茶器を手に、こちらを見返す長身の青年――彼が「ラスボス」眞崎皐哉である。
「ちょっと、手助けしてくれない」
「手助けって…俺はかまわないが、よくここまで着たな」
 何故彼が「ラスボス」なのか。それは、他のターゲット以上のガードのかたさと
勘の良さゆえである。おまけに、警戒心が人一倍強い。インタビューという点では、
彼ほどやりにくい相手はないはずだ。
「新聞のネタがないの。前に独占インタビュー受けてくれるっていったわよね」
「確かにいったが、もういいかげん期限切れだろ、それは」
 そういうお祭り騒ぎが苦手…というか嫌悪しているふしが彼にはある。醍醐の
ように正攻法でいけば、彼は怒って無視するだろう。当然、京一のようにのせる
というのも不可能。このへんが彼のラスボスたるゆえんで。
「どうぞ」
 店主が奥から茶を出してくれた。たぶん、真神の生徒だからだろう。
「…おいしい」
 実際、出された茶はおいしかった。ぬるめの薄味だが、走ってきてすぐの喉
にはちょうどよいくらいである。
「これでお茶菓子があれば最高の気分になれるわ」
「残念ながら、そこまではできないな」
「…昨日買ってきたやつ、もう全部食べたのか?」
 予想外の眞崎の言葉に振り返る。
 ――これで、いける。アン子は確信した。
「皐哉って、甘い物意外と好きなの?」
「和菓子はたいてい。洋菓子はものによる」
「クリーム系はだめだろう」
 店主がなにげにサポートを入れる。
「前の学校の奴からもらった土産はわりといけたぞ。渋めの生チョコ」
「クリームがダメで、チョコはオッケー?」
「あんまり甘ったるいとやっぱ気分わるくなるな」
 ――もらった! という内心の声。
「で、これから暇ある? 時間あるならちょっと荷物持ち頼みたいんだけど」
「それでわざわざここまで着たのか? 物好きだな」
「京一も醍醐君も用事でつかまらなかったのよ。カメラって重いんだから」
「わかったよ。アン子には世話になったしな」
 胸の中でガッツポーズを決めた。
 完全勝利は目前である。



 戦闘結果報告。

 男子禁制真神新聞は予想以上の売れ行きだった。上位ランキング十人に対
するインタビューと、新聞が誇る秘蔵写真のたまものであろう。印刷代をさしひい
ても、充分な利益を得ることができたのである。


 バレンタイン当日。真神新聞効果か知らないが、例年よりもチョコを持ってきた
生徒が多いような気もする。まあ、それはそれで男子が幸せになれる確率が増
えるのだからいいことなのだろう。

 利益を確保し、任務を達成した喜びに浸っていたアン子は、半ばスキップしな
がら、卒業アルバム制作のため、部室へと向かった。



 浮かれぎみのアン子は知らなかった。
 「ラスボス」眞崎皐哉があまりに同系統ばかりのチョコの傾向から異変を感じ、
バレンタイン用真神新聞の存在をつかむことを。
 当然ながら、憤激した彼と、再び直接対決することになるのだが…。
 それはまた、別の物語である。


気が付けば二年越しで完成されたバレンタインシリーズ。
まだまだ四號の計画では続くようです。
果たして、真崎氏の憤激から杏子はのがれることができるのでしょうか?

 (コメント:植月拝)                  

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