バレンタイン大戦〜DRAGON GENERATION

 


 遠野杏子は戦闘体勢に入っていた。場所は新宿区内のマクドナルド。本来なら
そうそう気負う場所ではない。
 が、今回ばかりは相手が悪い。私服姿の彼を見つけ、心の中で気合をいれる。
「待たせたわね」
「五分は許容時間内だ。二時間すっとばした赤毛を知ってるからな」
 店内の客は無論、店員もこちらを見ている気がする。報道を目指す人間として
表現に正確さを求めるならば、彼ら、そして特に彼女らが見ているのはアン子で
はなく、その相手だ。
「入ったときから思ってたけど」
「なんだ?」
「皐哉って本当こういうとこ似合わないんだから」
「…自覚はしている」
 最安値のバーガーのセットをテーブルに置き、アン子は彼の前に陣取った。
「高校生の集合場所としてはまっとうだろ? 吉野家で会談はできん」
「そうでしょうとも」
 そもそもいつものラーメン屋でないあたりに、彼の意図を感じる。
 隣のクラスの眞崎皐哉は、実に手強い相手なのだ。
「で、用件は?」
「収益に見合う利益が欲しい。…もうけたんだろうが、バレンタイン」
 力技。単刀直入な切り込みである。
「皐哉こそ、大量にもらったんでしょ。よかったじゃない」
「ダース単位のビターチョコを処理する身にもなれ」
 『処理』とは、またきつい単語を使うものだ。一見フェミニストな雰囲気すら
ある眞崎だが、本心で何を考えているか、わかったものではない。
「…現金収入ならお断りよ。卒業アルバムにまわして、残りは来年度予算に計上
してあるから」
「金ならいらん。困ってない」
 ――でしょうよ。心の中でアン子はつぶやいた。一部で「戦闘狂」といわれる
眞崎が旧校舎で生活資金を稼いでいることは、仲間うちでは周知のことである。
生活資金どころか進学資金、豪遊資金すらあるということも。
「ただ少し、手を貸してほしいことがあるだけだ」
「ものによるわね」
「別に難しいことじゃない。…名簿作りだ」
「は?」
 この年代にしてはめずらしく、ファーストフードの類を好まぬ彼はナゲットと
烏龍茶のみという、実に「らしい」食事だった。ひときれつまみながら、眞崎は
言う。
「もうじきホワイトデーだろうが。あんだけもらうと返礼が大変なんだ。しかも
三倍返しなんていう通例まである」
 寂しい男にとっては、絞め殺したくなるようなため息だったろうが、彼の方は
まったく意識していないらしい。
「ちゃんと相手がわかるのはいいんだが、メッセージも何もなしの手渡しとか、
机の中組とか、誰からのものなのかわからんやつが結構ある」
「…それを調べろっていうの?」
「安い報酬だろうが。…俺だって、同学年の顔ぐらいはわかる。だけどな、下の
学年にまでなるとお手上げなんだ。お前ならチョコ渡した相手くらい調べられる
だろ」
 たぶんに、女生徒の大半は、身近なアイドルにプレゼントを渡すような気分で
チョコを渡したのだろう。アン子に言わせるなら「無謀」の一言だが。
 この男の手強さは、外見ほど中身がまともじゃない――本人に言えば、笑って
殺されるだろう――ところにあるのだから。
 ほら、今だって笑いながらプレッシャーをかけてくる。
「…何個ぐらいあったの」
「不明物は十五くらいだな。――ついでに、所属の名簿も作ってくれると助かる」
「わかったわ」
 彼を敵に回すのは得策ではないとアン子は判断した。強い相手は味方につけて
おくべきなのである。
「それじゃ、それ食べ終わったら移動な」
「え?」
「不明チョコの情報がいるだろ」
 ――まずいわね。
 ハンバーガーをほおばりながら、アン子は計算した。
 どうも、主導権が彼の方にいっている。


「…広いのね、一人暮らしのわりに」
 ついでに学生の一人暮らしにしては、掃除がいきとどいている。
 アン子が連れて行かれたのは眞崎の家だった。
「正確には一人じゃないんだが」
 眞崎がつぶやくが早いか、奥の部屋から何かが飛び出してきた。
「――皐哉!」
 飛び出してきたのは人間だった。それが眞崎に飛びついている。
「すまんな、外に出てた。――しばらくおとなしくしてろ」
 眞崎が語りかけているのはアン子にではない。
 『彼』は眞崎にしがみついて離れない。離れないまま、おずおずとアン子の方
を見た。思わずアン子が絶句する。
 髪型こそ違うが、彼は眞崎と同じ顔だったのだ。
 彼はアン子を見て何か言おうとしているのか、口を動かしている。
「ちょっ、皐哉…その子…」
「説明は後だ。――月哉。部屋に戻ってろ」
 おとなしく彼は部屋に戻ったが、アン子の疑問が消えるわけではない。 
 顔形こそ同じだが、動作や表情はまったく違う。
「――こっちだ」
 リビングの横の洋室が、彼の部屋らしかった。ベットと本棚、それにパソコン
がおかれた机が一つ。かなりシンプルな部屋である。
 ――このネタで、充分話題がさらえるのに!
 というものの、この男のプライベートを下手につつこうものなら、後でどうな
るかわかったものではない。真実の追求も命あってのものだ。
 眞崎は机の横に立てかけた紙袋を手に取り、アン子に手渡す。
「こいつが、差出人不明チョコの包装紙。一緒にわかってる方の名簿が入ってる」
「…手際いいんだ」
「半月あったからな」
「それよか説明してくれるんでしょ。さっきの子…」
 言い終わるのを待たず、別の部屋で何かが崩れるような音がしはじめた。眞崎
が舌打ちする。
「…月哉の奴…。すまん。ちょっと出てくる」
「出てくるって、ねぇ!」
 こういうときの眞崎は人の言うことなど聞いていない。
「なんなのよ…」
 つぶやきながらも、一人残ったこの身がすべきことはわかっていた。
 すなわち、「ガサいれ」である。
 まず机。パソコンと数冊の教科書の他に何もない。引き出しを探るが文庫本が
何冊が入っているだけで、他にあるのは高校生らしからぬ武器の類。
 (何もないわね、本当に…)
 本棚は多少見るべきところがありそうだった。小説と古本らしき全集の半端物、
そして一番下の段にあるファイルらしきものは――。
 (これよ!)
 黒無地のアルバムだった。
 少しためらいながらも中を開けたアン子は頭を抱える。――あまりに予想外の
ものばかりだったのだ。
 (うそ…)
 写っているのは中学生くらいのころの眞崎だった。アルバムの半数以上を占め
ている写真は、ほとんど彼の幼少時のものらしい。その中でも一枚、妙に浮いて
いる写真がある。
「何これ…」
「見てのとおり、写真だが?」
 ――不覚。
 相手は気配を消す達人だったのをアン子は忘れていたのである。入り口のそば
に立ち、こっちを見ている眞崎がいた。この状況では言い逃れできようもない。
「…いや、そういうことじゃなくてね…」
「販売交渉にはのらんので、そのつもりで」
 言いながら、アン子の手からアルバムをかっさらう。
「さっさと処分すればよかったな…」
「というか、その写真何よ!」
「俺の過去。アン子――俺、お前のこと嫌いじゃないんだが」
 いきなり顔のアップがくる。アン子は唾を飲んだ。
「今日のこと、誰かにしゃべったら、黄龍見るぞ」
 ――言われなくともわかってるわよ、と言いたいのだが、完全にこちらの迫力
負けである。
 世の中にはこういう言葉もある。――見なかったことにしよう、と。
「…わかったわよ。その代わり、いいわよね。さっきの子は何?」
「俺の弟みたいなもの…か。名前は月哉」
「そりゃあ、あんだけ似てたら兄弟だっていっても、誰も疑わないでしょうね。
ずっと一緒に暮らしてたわけ?」
「いや、つい最近からだ。知らない《気》を感じたから落ち着かないらしい。俺
以外の人間になつかんから。…これ以上はノーコメントな」
 彼がノーコメントといったら、本当にノーコメントなのだ。口の堅さはダイヤ
並だということをアン子は知っている。
 ため息をつきながら、アン子は渡された紙袋を開けた。
 手書きの名簿と、何種類もの包装紙。
「一つ、聞いていい?」
「何だ?」
「あのチョコ、全部食べたの?」
 かなりの量だったときいている。平然と眞崎は言う。
「食べたぞ。何個か、えらいのがあったが」
 なのに体型が変わっていないのは反則だと思うのは、アン子だけではないはず。
「茶くらい飲んでくか?」
「遠慮する。雑巾茶なんて洒落にならないもの」
「そんな柄じゃないぞ、俺は」
 眞崎は喉の奥で笑っている。
 ――あんた、本当にラスボスだわ。
 そう言ってやりたいが、口にはできなかった。完全に負けである。


 真神の女生徒に連絡をとって、包装紙からすべての名前を割り出すのに六日。
思ったより時間がかかった。
 完成した名簿を渡すべく、眞崎を呼び出したアン子は、この前のマクドナルド
で彼を待っていた。
 時間に几帳面な彼が十分遅れている。――実にめずらしい。明日は雹だろうか。
「すまん。遅れた」
「遅いわよ」
 紙袋を手にした彼がこっちに来たのは、約束の時間から十五分後だった。
「何してたのよ」
「…買出し」
「買出しってねぇ」
「それより、例の名簿できたのか?」
 黙ってアン子は紙の束を差し出す。苦労の結晶であるが、彼は、こともなげに
それをめくっている。
「サンクス」
「ちょっと、ここまでやらせといて、それだけ?」
「最初に俺をだしにしたのはそっちだ」
 眞崎はため息をつく。
「それでそっちはもうけた。俺はその負担に対する礼を求めた。それだけだろ」
「あのねぇ…」
 どうも、この勝負は分が悪い。
 最初から主導権が彼にいったままだ。
「わかった…わかったわよ。もう好きにしたらいいでしょ」
 アン子は白旗をあげざるを得なかったのである。 


 そして三月十四日。
 アン子のもとに、小さな小包が届いた。差出人を見ると眞崎である。
 何かと思い開けてみると、中にはチョコクッキーとマシュマロ。
 しかも手作りらしい。ラッピングまで凝っている。
「買出しって…ひょっとしてこれ…?」
 フェミニストなんだか、そうでないんだか。
 おそらく、内容の差はあれど、彼にチョコを渡した女子全員に、返礼が届いて
いるに違いなかった。
 同封されているカードには、『口止め料兼手間賃』と書いてある。
 とりあえず、クッキーを一つ口に入れてみた。
「…やられたわ」
 二重の意味での、敗北宣言。
 今日、アン子と同様の感想を抱いた女子は多いはずである。
 下手な店の菓子よりも、ずっとうまかったのだ。
 ――ラスボス健在ってとこね。
 眞崎の「報酬」を口にしながら、アン子は買収されることに納得してしまった
のである。
 
  

 


あれと気づく。『アン子の野望』のデータはどこにいったのか。
最初この話は『黄龍の耳』というタイトルでした。
もとネタわかる人は笑ってください。このタイトルは他のシリーズに回します。
こっちも何年越しになったのかわからんシリーズですね。
黄龍は設定上最強ということで…。

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